300のお題シリーズ

お題『 クレヨン 』

『好きな物を使って絵を塗りなさい』

確か、先生が言った言葉はそんな言葉だったと思うが、今となってはどうでもよい。

今問題になっているのは、僕の絵の周りに集まっている沢山の人と、その人たちが話している内容。

それのせいで、ひどく気分が悪い僕自身のことなのだから。

絵を書くという行為そのものは僕としては大好きだ。しかし、時々絵を投げたくなるような破壊衝動に駆られることもある。

というのも、別に僕が癇癪もちってわけでもなく、ただ普通に、ひどく絵が下手なだけなのだが。

というわけで、今目の前で僕の絵のことに対して話し合っている人たちというのが、僕の絵を見て貶しているのか、それとも褒めているのか。

到底関係ないわけだが、如何せん恥ずかしい。というか、まるでさらし者にされているみたいに張られている僕の、絵。

それも、職員室の廊下とか、学校の掲示板とか、はたまたとある会社のオフィスなんかにこそっと飾ってあるぶんには(無論、それでも十分に恥ずかしいのだが)構わない。

ただ、『絵画展』みたいな堂々とした場所に、イチ学生であるはずのところの僕の絵が張られるのはひどく違和感を生じるというわけだ。

それにしても、先ほどから僕の絵には人がよく寄ってくれている。それ自体はすごく嬉しいのだけれども、でもやはり恥ずかしい。

ふらふらっと歩いてきて、ふと、 僕の絵を見て止まる。そんな光景を幾度と無く見ているうちに、僕の絵というものが、先ほどまでとは逆にひどく上質のものに見えてくるから不思議だ。

――他人の絵はすぐに見て去ってゆくのに、僕の絵だけ見てくれている。

そんな具合に。

でも、それは実際は僕の絵がひどく上手いわけではないのだから、まったく褒められてはいない。お生憎様、僕はピカソみたいな芸術センスを持ち合わせていないのだから、そんなに奇抜な発想というわけでもない。

ただ、ある絵。

そこにある違和感。それが、人を止めるのだろうと思う。いや、それは最初から分かっていたのだ。自分自身の絵がひどくいびつで、そして変だと言うことが。

元々、コレはあの先生が言った一言から始まっているのだろう。もし、先生があの時『絵の具を使って』と方法を指示していれば、ここまで人を止める絵にはなっていないはずなのだ。

そうに違いない。ひどくいびつで、白い空白が沢山ある、絵。そこに芸術性は無く、ただ一方的な、それでもって絶対的な意思があるに過ぎない。

そこにあるのは、怒りであったり、恐怖であったり。それでもって、悲しみであったり。しかし、全てにおいて何かを訴えている、のだけれども。

まあ、そんなことを行っても仕方ない。僕は、今までずっと見ていた絵から、顔を背けると、静かに会場を後にする。

二度と、ここへは来ないだろうと、思いながら会場を後にする。

少し行ってふと見返した博物館。それはある種の異界に近かった。

 

――自殺者達の思い。貴方へも届く。

 

そんなキャッチフレーズが、ひどく笑えた、、、。
個人的に、かなり好きな作品ですね。