300のお題シリーズ
お題『 トランキライザー(坑鬱剤、精神安定剤) 』
うん、嘘をつかないっていうのがすでに嘘さ。
「っっぁあっ………はぁ…は…あ…」 数分後、その子は安定した。 そう、安定した。 周りにいた先生と思しき人間が、さっさと手馴れた手つきで処置に入る。 まずは、手の治療だ。そりゃそうだろう。手からはかなりの出血があって、シーツにもすでに染みが広がっているほどだ。彼の手を先生はとり、注射を二、三本打ち込むと、糸を使って縫合していく。周りの人間はその様子から眼を背ける様に、目線を途端にどこかへとやる。 逃避だね、それは。弱い証拠だ。 医者はすごいと思う。文句なしですごいと思う。なんたって、あんなグロテスクなものを意にも介さず扱えるのだから。何がグロテスクかっていうと人間以上にこの世にグロテスクなものは無い。というか、僕達人間は、須らく例外なく”異質なもの”、即ち”自分達とは違う異形”を見た途端、それをグロテスクと呼ぶのだ。昆虫類、甲殻類、その他様々。 まずは、自らの姿に比べ異形であれば、それは例外なく畏怖の対象となり、例外なく恐怖の対象となり、例外なく拒否・拒絶の対象となる。それだけで済めばいいのだが、それを駆逐しようって言うんだから人間が一番醜い。 さて、異形なものであろうが、人間と同じ部分があれば人間は認めることが何とかできるようになるのだ。足があって、眼が合って、そして自らと同じ手や、そしてできれば”考える力がある”こと。その条件を満たしておれば、それは恐怖の対称でなく、今度は愛玩となる。今時の人間は例外なく(この発言に関して何かの意見を言われても困るわけだが)小さいものに対して『可愛い』という愛称をつけることを義務付けられているかのように、可愛いを連発する。 はぁ、愚かな。 逆に、眼が無かったり、眼が多かったりするとこれはもう畏怖の対象でしかない。こうなればグロテスクという烙印を押され、殲滅の対象となる。今の生態系では人間単体には勝てても、複数となった”人類”に勝てるものはいない。食物連鎖の絶対の鉄則として、生物には全体数を保つために天敵が存在しているはずなのだが、人間には無い。それどころか繁殖するだけして死なない。食物連鎖破壊よろしく、増え続けている。まったく、人間というのは他の生物から見たら畏怖の対象でしかないのだろうが、自らでそれを感じることは出来ないってのが愚かだ。 ま、ボクもその一人だから始末が悪い。 さてさて。医者はすごいって話だった。今医者は針をで縫った手を包帯で綺麗にくるんでいる。血がふき取られているため、周りの人間は少しは視線を向けているらしい。 今度は唇だろう。彼女は”発狂”したとき、狂ったように自分の唇を―否、文字通り狂ったときは―嫌というほどかみ締める悪癖をもっている。そのため、彼女の唇はいつも切れており、血が滲み出ている。だから、彼女が食べている食事は栄養とかそう言う問題ではなく、単純に口が空けられないという理由から液体っぽいのが多い。ちょっと、可哀想である。さてさて、彼女の処置は終わったようだ。周りの医者は注射を乗せたトレイを、どこかへとも持ち去る。その後、室内には沈黙が訪れる。ボクは、この沈黙が大嫌いだった。ベッドの上から、さっさと誰かがこの沈黙を打破してくれるのを待つ。と、一人の少年がいつものお決まりの台詞で沈黙を打ち消す。 彼の名前は確かユージだったような気がする。とてもお喋りで、この病室内では彼の声が本当に絶えず聞こえている。しかも、彼は先天性で足が悪いために、ほとんど外に行かない。コレはつまり、彼はほとんどの時間病室にいるということを示しており、同時にボクはユージのお喋りに本当に丸一日、付き合う―いや、実際は会話はしてないのだから、聞こえるってのが適切だけど―ことをしなくてはいけないのだ。まあ、彼自身まともな知識があるわけじゃないので、聞いてて飽きはしない。ここで正論を長々と言われた日には、もう彼女のように発狂すること受け会いだ。 病室内に、普通の空気が戻る。ある者トイレに立ち、ユージを中心とした数名はお喋りへと身を投じる。これが病室の、広くは病院の、そして世界のあり方。自分ひとりでは生きられないのに、他人のことなどは気にしない。自分という存在が消えそうなときだけ、助けを求める一方通行。そこに言葉のキャッチボールは無い。一方的な意思があるだけだ。ボクは、ユージと他数名のお喋りから耳を外し、彼女を見る。 はっきり言って、この病院に来てから彼女は痩せた。というか、瘠せた。ほとんどガリガリだ。助けたいが彼女自身が積極的に運動とかしないから、仕方ないだろう。筋肉もかなり衰えているのだろう。眼は虚ろ。ただ、空中を眺めている。何を考えているのだろうと疑問に思いながら、その反面彼女の気持ちなんか分かるはずがないと冷静な自分がいるのがとても気持ち悪かった。 他人を理解するのは難しいね。 さて、ボクと彼女のベッドは向かいにある。だから、ボクは体を起こせばすぐに彼女を見ることが出来る。でも、彼女はボクを見ることは無い。あったのかもしれないけど、気づいていないから、実質見られたことは無いに等しい。彼女の瞳が何を写しているのかは分からないけど、ボクを含める他人を写していないのは確かだ。 ボクは、彼女に再び眼を向ける。彼女の身の回りも同時に見る。見える。殺風景、っていうか本当に何も無い。布団と、あとティッシュペパーと。あとは、枕のよこにアラーム時計。でも、それは普通のサイズよりもずっと小さいものだ。そりゃそうだろう。大きな物なんか置いたら最後。彼女が”発狂”したときに例外なくそれを投げつけるだろう。それイコール、被害者の怪我の率が上がるのだ。 さっきだって飯のために持ってきていたガラスのコップが置いてあったせいで彼女は怪我をしたのだから。まあ、あの怪我は自業自得だから何もいえないけど、それが他人へと向かったとき大人はどういう反応を示すのだろうか? 怒る? それとも、被害者の人に『我慢してね』というのだろうか? ま、どっちでもいい。その時はその時だ。ちなみに被害者がボクだったら許すだろう。 大人は例外なく彼女に哀れみの視線を送るし、子どもは子どもで彼女を疎遠しているし、病院は彼女のことを疎がっているし。まったく、可哀想ったらない。彼女の”発狂”は、彼女の自己表現手段にして、アイデンティティーの証明にして、生きていることの再確認にして、この世への彼女からのメッセージなのに。大人は、それが自らの”形態”と違うからといって、自分の意思を伝える方法が異なるからといって、その行動に『精神不安定』という称号を、レッテルを、診断を、名前を勝手につける。まったく、人間とは何でもカタゴライズしなければ気がすまないらしい。 気難しいね、人間って。嫌気がさすよ。 ボクは彼女を認めるし、彼女の行動が何を示しているのかも分かる。それは行き場の無い憤怒の表現で、自分の中に隠れている激情の表現で、愚鈍ではあるが愛情表現で、自らが最初から持っている狡猾さの証明で、生きている事に疲れた放棄の表現で、さらに自らの再確認であるのだから。 それを、奴らは何も理解してない。自分ら一般のカテゴリーを外れたものは、すべて須らく”異常”である。自分で解明できない問題は”謎”であり、自分で出来ない行為は”不可能”である。そんなものは思い込みでしかないのに、それが絶対であるかのように。 なんて愚鈍。なんて馬鹿。なんて単純。なんて臆病。ま、それが人間なんだけどね。 ボクは彼女を認める。彼女を理解するし、彼女を崇拝する。 だから、だから、だから、だから、だから――――― |