300のお題シリーズ
お題『 ハーモニカ 』
誰もが優しかった。でも、それが一番辛かった。
「…ったく…やってらんない…っ!」 少女は毒づいた。 ちなみに只単に毒づくだけに停まらず、その場にあったものを手当たり次第松葉杖で殴りつけていた。 無機質なポリ容器が、見る見るうちに変形していく。その横にあったゴミ箱もすぐに中身を外にさらけ出すこととなる。 それだけに納まらず少女はさらなる犠牲を求めるかのように歩き出した。 少女がいる場所。それは病院だった。白い廊下。それに、最低限の物のみが於いてある病棟の廊下である。 窓からは東向きの太陽が、もうすでに直角に近い角度から差し込んでいる。彼女は窓側とは反対側、つまり太陽の光が当たらないほうを壁に沿うように歩いていた。 勿論、少女は寝巻き姿。そして手には松葉杖。足には当然の如くスリッパがついているところからも彼女が病院で生活しているということは予想がつく。 彼女はかなり気分を害しているらしく、彼女に抵たって数人が転んだり迷惑を被っているのもまったくお構いなしに歩いてゆく。その姿はさしずめ暴君と言ったところだろうか。 何故少女がここまで憤慨しているのかと言うと、それは少し時間を遡る。
彼女は数ヶ月前、この病院に入院してきた患者だった。入院してきた当時は勿論今のように、無暗矢鱈に辺の物に当り散らすなんてことはなく大人しい患者だった。 彼女はスポーツ界では期待された、いわばホープとも呼ぶべき存在であった。無論、彼女も自らは言わないもののソレを誇っておる節があり、能力がそうさせるのかどうかは分からないが彼女はそこそこにプライドもあった。 それが、絶たれた。 スポーツの試合中に、不慮の事故により彼女は靭帯に深刻な損傷を負ってしまったのだった。結果、無論試合は不名誉の不戦敗ということになる。 それだけでも彼女のプライドを傷つけたのに、さらには靭帯の損傷。 しかし、今彼女が憤慨している理由はそれだけではない。彼女だってそこそこの分別はある人間である。だから、そんな自己責任に於いて腹を立ててあそこまでやるような人間ではない。 彼女が怒っている理由、それ則ち人の優しさであった。 彼女の回りの人間は例外なく彼女を尊敬し、尊重し、さらには褒めていた。彼女のことを偶に嫉みの理由から悪く言う人間もいたが、そこに腹を立てていられるほど彼女の能力は平凡ではなかった。 彼女の回りにはいつも『天才』の文字が付いてまわったし、主要大会などでは今までには無敗を誇っていた。だから、それが彼女のプライドを築いていたし、それはある意味で当然の結果であった。 しかし、彼女が怪我を負ってから、その態度は打って変って――――――
「あの憫れむような目…一体、何っ!? 皆、皆、みんな私を『可哀想』って目で見る…もう、うんざり…っ!」 彼女はさらに手前にあった椅子を力任せに弾く。少し松葉杖が凹むが気にしてはいない。ロビーにいた数名が彼女の事を一瞬だけ見るが、すぐに自らの世界へと戻る。それが当然の姿だし、いまさら否定しても始まらない。 彼女はその様子を目の端で確認すると、ふんと言って再び歩き出した。 多くの人間は、自らの手が届く範囲内の物事にしか興味が無い。しばしば、その範囲が広い人間もいるようだが、今の世の中で統計をとれば間違いなく少数派だろう。大概の人間は何かを目にしてもそれと”関係”しようとは思わない。自ら関係を作り面倒な事に成る位なら、関係しないほうがいい。関係しなければ、すべてが他人事で終わるし、自らは何も気にしなくて澄む。 何も関係ないところで事態が起こりそして終わっただけといういわば歴史の流れが一つ過ぎ去った程度、そのくらいの認識しか保つことは無い。しかし、それは悪だろうか? いや、悪ではない。自己保持、自己保守の面から見てもそれは悪ではない。自らのことを考えた”賢い”行動である。さらに、その考えが繁茂している現代社会において今のこの状況はつまり”自らとは関係ない事象”にすぎなく、その結果誰も彼女とは関係してこようとは思わない。 これが世界の、当然の有り方。 しかしそうではない人間もいる。流石にその様子を見かねた看護婦が注意しようと寄ってくるが、彼女はそんなもの眼中に無い、とでも言うかのようにその場を後にした。 そのまま、彼女は外へと出る。本来、室内用のスリッパで病室を出る事すらできないのに、今の彼女にそんなものは通用しない。彼女は、そんなことは気にしない。 外に出る。 病院には例外なく庭園のようなものがある。これは患者の精神にもいいし、そこで軽い運動などができるスペースがあったほうが健康にもいいのだ。 しかし、それはあくまでも”気持ち”の問題だ。 すでに世界が『歪んで』見えている彼女にとって、すでにその清々しいイメージの庭園は地獄であった。というか、世界が怨むべき対象でった。 庭園に吹く風はじめじめして気持ちが悪いし、それにどこからとも無く漂って来る饐えた鉄の匂いがさらに彼女の気分を逆撫でする。 松葉杖では当然歩きにくい芝生も、それは世界の所為であり彼女の所為ではない。さらに、自分がスリッパで出てきたから仕方無いのだが、あきらかにスリッパが汚れていることも、彼女にとっては許し難いことだった。 世界が曲がって見える。それは、しばしば子どもに見られる現象である。いつもは好きなはずの料理も、気分が悪い時には食べようとしない。むしろ、気分がいいときには嫌いな食材を食べたりする。それはつまり、自らの気分や機嫌によって『世界』の見方が変化しているからに他ならない。 「…もう、最低。何でこう、私ばっかり…」 彼女は、松葉杖で強引に歩いてきた足をとめた。実際、彼女は片足が使えないのだから、半分は手の筋力で歩いてきたと形容した方が適切かもしれないのだが。 彼女は、気怠そうにベンチに腰掛ける。日陰のベンチだったので、少し濡れていて、さらにそれが彼女の気分を逆撫でする。 …ふと、彼女は空を見た。何故かというと、彼女の耳に、どこからか音楽が聞こえてくる。 いや、音楽と形容するにはあまりにも楽器の個数が足りない。これは一個単体の楽器の音だった。それはおそらくハーモニカだろうと、彼女は想像した。 どこからとも無く流れてくる音。決して上手いとは言えない曲調だが、何度も何度も同じフレーズを練習しているらしい。実際、音感がある彼女ならすでに音符まで言い当てることが出来るほど、その音はたどたどしく、しかも反復された。 彼女は、立ち上がる。そして、辺りを見渡す。 病院の庭園の中でも、少しだけ木々が連立している場所なため、どこから音が聞こえてくるのかが木霊のように分からない。しかし、彼女は必死に耳を澄ました。 しかし、そうして捜し歩こうかどうかといううちに、音は聞こえなくなる。彼女はちょっと残念に思う。そのままベンチへと戻ろうとるると、看護婦と先生と思しき人物がこちらに急いで来るのが見えた。 彼女はその2人に、素直に『ごめんなさい』と謝った。。
それからと言うもの、その場所に行くのが彼女の日課だった、 大体毎日通っていると、日にちによって時間帯が異なることが分かった。どうやらこのハーモニカの主(未だに発見できていない)は月曜日と、水曜日、それと土曜日にいるらしい。 それ以外の日に言ったことが無いので、臆測でしかないのだが。もしかしたら、毎日いるのかもしれない。 あれから一週間が過ぎようとしている。彼女は毎日この庭園に来ては、音楽を聴いていた。病室にいたって何もいい事は無かった。 偶に来る後輩はバカの一つ覚えみたいに『がんばってください』を連発するし、先輩とか先生も『早く戻ってくれると良いね』としか言わない。誰も、彼女の足の特については触れないようにしているのがバレバレで、逆に彼女は不快になる。 彼女は病室にいるのが嫌いだった。元々弁は立つ方だったので、看護婦と医師と親を言いくるめ、毎日ここに来る許可をもらったのだ。その時も大人は彼女の事を気遣い、本当は駄目なんだけど〜…とも言わんばかりの言い方で許可してくれたのだが。 はっきりいって、面倒くさかった。 もともと彼女は体育会系で、あんまり深く考えすぎることは駄目だという考えの持ち主だった。考えるよりもまず行動。その後後悔したって、次に活かせばいいというような、比較的サバサバした考え方の持ち主であった。だから、大人のような、何時までたっても煮え切らないような言い方は、彼女にとって負担でしかなかった。言い方を変えれば、彼女を縛るものでしかなかったのだ。 何が悪いかと言うと、それが彼女のためになると絶対的な観念で思い込んでいる大人や、回りの環境が一番悪かった。自らの考え方が最善だと思っており、最善だと思っていなくとも自らは完全に善人であるかのように振舞う。怪我をしたら心配するし、将来を絶たれた人間は時間を置いてあげる。流石は道徳の授業で育った保護精神。見上げたものだ。 彼女と言う”個”はこの場合関係ない。つまりは、”自分が満足”すればいいのである。結果、自己満足で完結しており、彼女には要らぬ愚物となる。気持ちだけが空回りしていて、はっきりいって目的と手段が入れ替わっている。本末転倒だ。 それも、彼女を憤らせている理由のひとつだった。ただ、これを訴えても詮なきことなので、分からないフリをしていた。 さて。彼女は日常どおり音に耳を傾けるが、何故かいつもと違う感じがしていた。それは、一言では言い表せない感じだった。 いつもは簡単に吹けるフレーズを何回も間違う。間違ったフレーズも今日に限ってはやり直そうとはしない。さらに、リズムがいつもよりも遅く、アップテンポな曲調とは全く似合わない曲になっている。 不安。彼女に伝わってきた気持ちはそれだった。何故かと問われれば、分からないとしか返答できないものの彼女には何故かそれが確信できた。 いつも通り曲が終わる。あたりに人の気配はない。彼女はいつもなら終わると清々しい気持ちで帰るのだが、今日はそういう訳にも行かなかった。 抵たりは風が段々と強くなってきており、見上げた空は微妙に曇っていて今にも雨が降り出しそうな天気だった。
「オメデトウございますね」 という単調で、かつ単純で、さらには感情のまったく篭っていないような声を受け彼女は退院することとなった。 といっても、彼女はしばらく病院に通院しなくてはならないのだが、あの病室で皆が皆斉いも斉って、しかも皆個性の無いような一言を毎日言って帰られるような日々から少しでも抜け出せると思うと、彼女の気持ちは少しははれていた。 彼女は上辺だけの礼儀を医師に述べてから、なにやら両親と小難しい話を始めたのを尻目にその場を抜け出した。 勿論行く場所は、あの庭園。 彼女はもう随分と慣れた感じで松葉杖を握り、そのまま歩いてゆく。物は慣れだというが、まさにそれだ。玄関をくぐりそのまま庭園へ。今日はいつかのようにスリッパではない。ちゃんとした靴を履いているので随分と歩きやすかった。 毎度の道を歩いてゆく。今日の庭園は清々しくてとても気持ちがいい。外は相変らずの熱射だが少しでも木陰に入ると心地よい風が頬を撫でてくれる。彼女は少しだけだが、この庭園が恋しくなる。 今日も、どうやらいるようだ。どこからともなく聞こえてくる音。たどたどしく、しかも下手くそ。はっきり言って彼女が着たときから何も成長していないのではないか? と、疑問に思ってしまうほど。 彼女は歩いてゆく。場所はわからないが、今日は遭える気がした。 木々の間を抜けていく。すると開けた場所に出た。 そこだけ日光が照付けているように輝いており、最初は少し余りの明るさに目が慣れずに目を瞑ってしまった。しかし、段々と目が慣れてくる。 そこは、一人の少年が、いた。 少年はまだこっちに気づいていないらしく、相変らずコチラに背を向けて音を奏で続ける。下手な演奏で、でも一生懸命に。 少年の着ている服は寝巻きだろう。そらに、彼女が前履いていたようなスリッパ。 「…それってさ、何の曲?」 話しかける。少年が振り向く。目が合う。少年は答えない。時間だけが流れて行く。 木々の間を、ちょっと強めの風が駆け抜けた。 |