300のお題シリーズ
お題『 のどあめ 』
卵が前か鶏が前か? おいおい、そんなこと聞かないでくれ。そりゃ勿論どっちも後さ。
先ほどマネージャーから買ってきてもらった喉飴を、口の中に入れる。そうするとたちまち口の中に甘い味が広がる。 鼻が妙にすーっとして、少しだけだが舌がしびれる。 この感じが、私は堪らなく好き。 「はーい、本番開始まで後五分でーす」 と、スタッフの一人であろう若い青年が私の元へとやってくる。若いといっても、私よりもおそらく年上だろう。何と言ったって、私はまだ16歳なのだから。 すうっと、一息つく。さきほどのどあめを食べたので、ちょっとだけ喉に痺れがくる。 私がこの芸能界に入ったのは、なんと15歳のころだった。10歳のころから通っていた歌のスクールから応募したオーディションに、私は何と見事に合格した。もともと、どうやら私は歌手の才能があったらしく、先生に言わせれば当然だと言うことだった。 ずっと、芸能人としてというか、歌手としてステージに立つということが夢だった。子どもながらの夢だが、それはそれを実現した今でも変らない。 ずっとずっと、私の憧れだったのだから。だから、ソレになった今でも、現実感が無くて、それを追い求めている感覚。変な、感覚。 これが夢を達成したときの感覚なのかどうか、分からないのだ。ゴールテープを気っても、まだ続いていると感じるような。頭では理解しているはずなのだが、本当に理解しきれていないというか。 と、のどあめはどうやら完全に口の中から消える。最後にミントの香りを残して、形跡も無く消え去ってしまった。 私は緊張をほぐすために大きく深呼吸して、そしてステージへと上って行った。
『どーもー、今日は、ライブにきてくれてありがとー!』 大体5千人収容のライブ会場に、満杯のお客さん。私はその中で一人、スポットライトを浴びてステージの上に立っている。他は、真っ暗闇。 実際、ステージの上からは逆行で何も見えないため、暗闇から聞こえてくる歓声だけが、判断基準なんだけど、それでもかなりのお客さんが居ることは想像できた。 マネージャーさんの話では、満杯って話だったしなぁ…やっぱり、いるのかな? 今までの仕事といったら、カメラ相手だ。あの四角いカメラの上に赤いライトが灯ると、それは撮影中ってことだ。その赤いライトを追って、私はいつも歌ってきた。 別に四角いカメラだけじゃなくて、普通の写真のカメラ相手に仕事をしたこともある。でも、5千人の前で仕事をしたことはない。今までのライブだって、例外なく夜のライブ。だからお客さんが全く見えないのだ。 一時期は、本当に不安になったっけ……。 事務所に届くファンレターも、はっきりいって現実味が薄かった。今までずっと普通の人間だった私が、スターになったなんて、はっきり言って信じられない。それはデビューして一年経った今でも信じられない。テレビのブラウン管の中に映っている私は、おそらく私じゃない。 だから、自分の歌っている曲が、オリコンで上位に入っても、まったく現実味がわかなかった。それは、今も一緒。アルバムが1千万枚売れたところで、私は数字の巨きさに飲まれるばかりだった。 『それじゃー私のライブ、存分に、楽しんでく、だ、さいっ!』 ドラムスの音から、音楽が始まる。全てはリアル。 私は、その瞬間は間違えなくアイドルだった。
そして翌日。 私は普通の女子高生に戻る。私の学校は化粧は禁止だが、事務所のヒトが話をつけてくれて、私は化粧を例外でしていいことになっていた。それはアイドルっていうイメージでもあったし、何より学校事態で結構宣伝になっていることとか。 だから、普通の女子高生とは、本当は違うんだけどね…。 学校に行くまで、私はタクシーで行く。今迄はずっと電車に乗ってたんだけど、アイドルになってからはまったく無理。そんなコトしたら、ちょっと頭の変なヒトとかから何をされるか分からない。 さて。タクシーの乗って学校につく。待ってましたとばかりに写メールの嵐。毎日毎日、本当に懲りないものだ。一時期は事務所のヒトが本気になって反発してたけど、一年も経つと馬鹿らしい。というか、一年経った今でも、未だにこういうことがあるのはすごい。 そのまま、校内へ。その間も、絶えず視線を受け続ける。アイドルの、重圧。はっきりいってあの業界に入ったら後戻りは出来無いというのは事実だ。とくに日本は海外に比べてフランクじゃないから、学校なんかに行ってたら精神が保たない。 だけど、私は止める気は無いけどね。 そのまま、何事も無かったかのように学校を追え、部活動をしている人達を尻目に見て、すぐにスクールに通う。そして、また歌のレッスン。 歌のレッスンは、前よりもはっきり行って厳しくなったようだった。でも、それは当然だと思うし、実際もっと上手くなりたいと思う気持ちは、前より強くなっていた。 だから、私はまだ練習する。歩みを止めない。 一日が、終わる。家には沢山の手紙。一部のちょっと度を過ぎたファンは、私の家の住所を調べて(というか、格別隠してもないけど)手紙を送ってくる。流石に、読めないけど。 自分の部屋に帰る。全てが終わったころには、もう身体が動かない。 でも、これは自分が望んだことなのだ。そう、子どもながらの夢。そして今は、夢の中なのだろう。 私はそんな夢の中で、さらに夢に落ちて行ったのだった。
だから私は、毎日が楽しかった。格別辛いって思ったことは無かったんし、実際に思っていない。それを回りのヒトは何故か、幸せと言う。 でも、私も最近少し思うようになってきたんだ。それは、私だって同じ人間なのに、どうして皆と違っているのだろうか、ってことだった。 私は何をするにも特別待遇だった。多分、アイドルになっていない私がもしいたら、それは大きな違いだっただろう。だけど、私は普通の人間なんだ。 ちょっと、変な感じ。でも、その疑問に答えはないから、とりあえず保留しておく。考える時間があるときに考えれば、いいのだ。 また、一日が始まるのだから。
私はバックの中を求食っていた。そして手にプラスティックの容器の感触。それを手探りで手繰り寄せ、手元に置く。それは毎回食べているのどあめだった。 プラスティックの容器に、大体30個ほどだろうか、入っているのどあめ。私が歌を歌う以上、喉を痛めるということは自殺行為だ。だから、普段の喉の乾燥とか、そういうのには人一倍気を配らなくてはならない。まあ、それくらいは最低限だろうけどね。 のどあめを、口の中に放り込む。独特の感触と供に、鼻が涼しくなる。舌が微妙に痲れて、甘い香りが口から拡がっていくのが分かる。 口の中でのどあめを転がす。口の中で、のどあめは甘いシロップを出しながら段々と溶けていく。その飴玉を舌で転がしながら、私はぼーっと虚空を見つめる。 衣装は已に舞台衣装。ちょっと胸とか強調しすぎな気がするが、もう慣れたので何とも言わない。というか、今日もカメラが仕事の相手だ。ヒトじゃない。だから、着飾る必要も無い。カメラの向こうにヒトが居るなんて、正直思えないし。 私はそのまま、どこかを見つめ続ける。私はアイドルだ。だから、私はここにいる。 子どものころからの夢だった。だから、私はここにいる。 毎日が新鮮だ。そして、毎日が楽しい。だから、私はここにいる。 でも、ここに居るのは私ではなくて、アイドルの私。 だった、本当の私はどこにいるのだろうか? 何時の間にか、見失ってしまった。もう、探せないだろうか? 『はーい、本番いきまーす。スタンバイお願いします』 若い青年が、これまた私に話しかけてくる。年齢的には、私よりもちょっと上。 うん、とりあえず、思考中断。考えても始まらないのだ。 私は、アイドルなのだから。
もしも、もしもこのまま、ずっと生きて行けたら、それは素晴らしい人生だろう。 そんなことを思いながら、私は笑顔を浮かべながら、カメラの前に立つ。 様々なライトが、私を照らす。一瞬眼が眩みそうになるが、自然に眼を瞑るといいということに、最近気づいた。 私は目を瞑る。そして、ゆっくりと歌いだす。 カメラの前。赤いランプを追って。私は歌う。 私は、その瞬間は間違えなくアイドルだった。 |