300のお題シリーズ

お題『 ベンディングマシーン(自動販売機) 』

時々は背後を振り向くこともいい。遅れてきた人間が意外に多い事に気づくだろう?

 

最近の科学技術の中で、一番の進歩とし言えば、恐らく満場一致で『時間自動販売機』があがることだろう。

過去、この地球では多くの生命体が生活していたらしいが、いまや死に絶えている。正直に言うと、私自身、100人以上の人間を見たことがない。

この世界は、過去人間が自ら作った兵器などで徹底的に破壊し尽くしたらしい。そこから、今の生活が始まるのだが、私が生まれることにはすでにイースト菌の食事が普通だったし、外を歩くときは防護服を着なくてはならなかったし、自然の植物など見たことがなかったのだから、前の良さを語るお爺ちゃんやお婆ちゃんを見たって何も感じることはない。

寧ろ、可哀想に思う。もう戻ることがない過去にずっと捕らわれ、暇さえあれば昔を回想する。今の科学技術で未来と現在は最早関係が亡くなったのだから、これからは未来に生きるべきだ。

そう、時間を買うことが出来るのだから。

今の人間は、給料のほとんどを”時間”を買うことに勤めている。ほとんどの人間が、汗水たらして働き、この仕事は社会に役に立つのかと怪訝に思いながら生活しているものの、それを止める事は無い。

それは自分自身のためでもあったし、自分が扶養すべき存在のためでもあったし、自分が愛する人間のためでもあったのだが。

だから、多くの人間が、それぞれの『大切な人』の為に働き、文字通り時間を稼ぐのだ。

時間はまだ技術の進歩がニーズに追いつかないため、少しだけ高価だ。だが、多くの人間がそれを気にすることもなく時間を買っている。かく言うあたしも、この人生の中で時間を買った回数といえば100回は下らないだろう。

子どもの頃、お年玉やら親からもらったお小遣いを使って時間を買ったときは凄く嬉しかったのを覚えているし、友達に時間貯蓄量の多さで勝負したこともあったし、社会的に上の人間になればなる程その量は増えてゆくのだから俄然仕事にも力が入る。

最近では、買った時間の中ですら、仕事をしている人間がいるらしいが、それは明らかに無能の証だろう。やはり、社会と家庭などの環境の間には境界線を引くべきなのだ。

だから私は自分の家では一切仕事はしないし、買った時間の中でも絶対に娯楽以外の事はする気がない。まあ、それがこの時代での正しい”時間の使い方”なのだから。

だが逆に、会社ではハードな生活を送っている事は言うまでもない。目まぐるしい様な情報量の中、自らが必要とする情報だけを取捨選択して、その情報に対する数ある選択肢の中から道を決定し、それを実行する。

しかもそれは終わることがない仕事なのだから、研究者達とは異なる。彼らには”目指すべき場所”が有るのに対して、私達にはない。終わりのないロードレース。体力配分など出来るはずがない。倒れるまで走るのみだ。

だが、ちゃんとそれにしたいしての報酬があるからこそ、堪えることが出来る生活ではあるのだが。昔の人間が残した言葉の中に、『時は金なり』という諺があるらしいが、それは違う。私達は自らの苦労によって時間を買っているのだから、お金が時間なのだ。

社会の中に取り残された人間は生きて行くことが出来無い。それは、暗黙の了解だ。そのため、時間を買うことが最低条件だし、仕事をしなくてはいけないのだ。

それが、社会なのだから。

 

――それにしても、時間を”買える”ようにしてやったんだが、人間って生き物は本質は変わらんか。

――前は”土地”を買えるようにしてやった時と、結局は同じと言うことだろう。

その声は誰にも聞こえることは無かった。
最後のは蛇足かな〜と思いながら付けました。ま、どんなに技術が発達しようと、人間は変らない、と。