300のお題シリーズ

お題『 熱帯魚 』

ありがとう、何もしてくれなくて。

 

妖艶な声だった。

ある暗い部屋。その部屋の中、二人の男女がベッドの上にいた。

先ほどから断続的に聞こえてくるベッドの軋み。そして、女の声。

相手の男の息は乱れ、今はもう肩で息をしていた。

男と女は会話をしていなかった。お互い、何かに夢中になる子どものように、一切言葉を発しない。

部屋の中に聞こえるのは女の艶やかな声のみ。

空間に存在しているものが沈黙している中、男と女は行為を繰り返す。

それはまるで動物。いや、これが本来の人間なのかもしれない。

無言。暗い空間に、女の声。

部屋の中には薄暗い明かりに照らされた一つの水槽の中、熱帯魚だけが済ました顔で居た。

 

「どうです、ガイ者の身元、わかりました?」

後ろから現れたのは一人の男。その一人の男は俺を見ると人懐っこい表情を浮かべながらそう聞いて着てきた。

「鋭意捜査中ですとさ」

その声に私は答えない。ただ、目の前の事実を述べたのみ。だが、目の前の男はそれを返答として取ったらしく、嬉しそうだった。

「ん……まあ、仕方ないんですかねぇ…これじゃあ、ね」

アハハと笑う目の前の男。

その男の笑顔をこれ以上見る意味がなくなったのであたりをすっと見渡す。壁には絵画、多分有名な画家の模写だろう、堂々と飾ってある。

他に目立つものは基本的にアンティークのようなものばかりで、部屋のど真ん中においてある水槽。その中にはカラフルな魚が泳いでいた。

カーペットで敷き詰められた空間の中、その水槽を中心にいろいろなものが配置されている。

その部屋はまるで、応接間と客間、それにリビングにベッドルームを一緒にしたような奇妙な部屋で、その中を今は鑑識の人間が忙しく歩き回っていた。

「あの、そろそろ運び出したいそうなんですが…?」

私が何も反応を示さないので飽きたのか、鑑識の一人の初老の男に話しかける。

初老の男は少しだけ顔をしかめたが「いいよ」と言う。ソレを聞くと嬉しそうにまた人懐っこい笑顔を浮かべる。

「ガイ者、運び出していいそうです」

男が態々私に報告に来る。まあ、ここの現場責任者は私なのだから、それは当然なんだが。

「ああ、いいが……」

くるっと背後を振り向く。ソコにはゼリーをぶちまけたような跡。

しかし、そのゼリーのところどころに”溶け残り”が浮いていて、それは明らかにヒトのソレだった。

「……」

そのゼリーを見ると気分が悪くなるが、それでも私はそれを見つめる。

「……行き先は警察病院? ……それとも、研究所?」

体が半分以上”溶けた”それを見下ろしながら、私は誰とも無く呟いた。

人懐っこい笑みを浮かべていた男はちょっと首を傾げた後『多分研究所じゃないですか?』と言った。

 

その事件はまるでB級のホラー映画よろしく、まったく警察の捜査が及ばない範囲の事件だった。

そういうことで、警察は半ば、捜査をあきらめていたのが事実。

そもそも、死因が分からない。体の大部分が”溶けて”いるので検死できず、しかも物的証拠も皆無。

文字通り捜査は行き詰った。それでも一応の捜査はしなければならず、私たちはこうやって貴重な時間を無駄にしている。

捜査会議は直ぐに開かれたが、まったくと言っていいほど事実はわからなかった。しかも、その捜査に輪をかけるように証拠が無いので、この事件は迷宮入りは間違いないようだ。

「…死因は、分からないのか?」

私の横に座っている強面の男が、そう述べる。

会議の時間はとうに過ぎている。それでも、会議は続いていた。とりあえず、何かしらの『決定機関』と評されるのが会議の属性であるのなら、何かしらの”決定”を出さないわけには行かない、とそういうわけだろう。

それにしても、意味が分からない事件だ。

「はい……一応調査してみたのですが、あのゼリー状の物体は主に淡白質でできていまして…その、申し上げにくいのですが、あれは体の一部分が溶け出したものという認識で、問題なさそうです…」

「さらに、溶け出した容積を考え出しますと、明らかにガイ者の”欠けている”部分と一致します」

「……はぁ、まったく三文小説だ。いや、三文小説でももっとマシな題材を使うだろうな……」

強面が苦笑いしながらソウ述べた。

貴重な時間は、こうやって過ぎていく。

 

「何か分かりましたか?」

喫煙コーナーでタバコをすっていると、一人の太り気味な男が豪快に笑いながら私に話しかけてきた。

「……」

無言で首を振ると、タバコに火を付ける。それを見ると男は豪快にさらに笑って、同じようにタバコに火をつけた。

「今回のヤマ、多分迷宮入りですねぇ〜」

「3週間」

「え……?」

イキナリ私が言ったので、何のことか分からないといった表情で私を見てくる太った男。

「3週間は捜査しろとの、上からの命令。それまでは迷宮に入れない」

完結に、述べる。それを聞くとさらに男は豪快にわらった。

「はっはっは、まったく、お上も厳しいなぁ〜。意味が分からない事件にも何かしらの意味が必要ってことですかねぇ〜」

『せめて絞跡でもあればねぇ』と続ける。確かに、その通り。

死因が分からない以上、捜査の仕様が無い。殺害方法が銃なのか、ロープなのか、それともナイフなのか。

それすら分からない。一つ分かることは、”人が死んでいる”という事実のみ。

中央情報局が情報の隠蔽に四苦八苦しているらしい。そりゃ、そうだろう。

こんな馬鹿げた事件、公に出すわけには行かない。

そういう意味じゃあ、この被害者は気の毒だ。死んだことの事実のみ告げられ、ほかの原因などは一切非公開。

ただ、一方的に死ぬ。理由も無い。それは、恐怖だ。

私はその思考を振り消すようにタバコを大きく吸い、頭の中をからっぽにする。

大丈夫。多分、今回も何とかなる。

ソウ思うと、タバコを灰皿にすりつぶすと、男に一言言って、その場を後にした。

 

情報は皆無。死因も不明。”何”がその事件を起こしたのか不明。

目撃者は皆無。被害者を知っている人もいない。コレは極めて異例な事件だ。

被害者はおそらく家の所持者である男。溶け残っていた歯形から照合できたらしい。家族は、いない。

まったく持って時代の片隅に忘れ去られている人間の最後そのものだ。家族もおらず、誰も彼を知らない。

そういう意味じゃあ、多分、彼が死んでも悲しむ人間はいないだろうから、多分コノ男は死ぬべきだったのかもしれない。

誰も死を悼んでくれる人間がいない場合、死ぬことにより誰にも影響できない場合、その人間は死ぬ価値すらなくなる。

つまり、死と生か等価になる。そしてそれは定義的には死と同義ではないのか?

思考を振り消す。

そして一歩、前に踏み出した。

いや、多分違う。

こうやって私が捜査をし、彼を忘れまいとしている以上、彼が死んだ理由も、きっとあるはずだ。

多分、それだけが、彼の追悼。

 

だからかもしれない。多分、そうなのだろう。

誰も彼を知らなかったから、誰も彼を見ていなかったから、誰も彼と触れ合っていなかったから、だから彼は溶けてしまったのだろう。

人間は多分、誰かから”見ら”れることによって存在できている。観測者が存在して初めて存在を認めてもらえる。

だから、かもしれない。

この事件を終わらせたくないのは。こんなにも、必死になっているのは。

次に溶けるのは自分かもしれない。そんな恐怖が頭の中に残っているから。

「とりあえず、情状酌量の余地は有る」

冷ややかに述べる。目の前には一人の女。年齢的に私よりは少し上。だが、外見的特長からコイツらを判断するのは危険だ。

「…だが、弁解の余地は無い」

続ける。言葉をつむぐ。目の前の影が一瞬動いた。だが、それだけ。

「一体何が目的だったのだ? 食事か? それとも、殺戮か?」

女は答えない。私は続ける。

「興味か? 興奮か? 過ちか? 過失か? 故意か? それとも、殺しちゃいないと、否定するか?」

女は答えない。ただ、私をじっと見つめている。私はその態度にため息を吐いた。

…まったくもって、面白みに欠ける。

ああ、気分が萎えてきた。そろそろ終わらせよう…。

「……とりあえず、人間一人殺したんだ、責任はとれよな?」

瞬。

女が背後に居た。まったく残像すらない。私は動けない。

「ぜんぶ、ちがうわ」

「……何がだ?」

吐息が首にかかる。

「わたしはあのおとこをころした。でも、なんのためでもないの」

まるで茶番。理由無き殺人。いや、こいつらにとって殺人ですら理由がいるものじゃないんだ。

二人の女に囲まれて、私は身動きが取れなくなる。

いや、とれるのだが、今の私では分が悪い。

 

だが次の瞬間に倒れていたのは、背後に居た女だった。

 

「え……」

声にすらならない声。それを断末魔に一人の女は沈黙する。

「くだらん。オリジナルにコピーが歯向かうか」

もう一人の女は、少し狼狽したらしく、沈黙した。

「ウラの世界で細々とやっていればいいだろうにまったく欠陥商品めが」

冷徹な声。

私じゃない私。

「…あなたは、だれ?」

 

そして、女も沈黙した。

 

「知る必要は無い」

 

 

その夜、さらに立て続けに発生した殺人事件に警察署無いは大混乱だった。

なんと言っても殺人事件が発生して警戒を強めている最中のことだったのだから、警察の威信に関わるというので捜査は続けられていたが。

この事件も最終的には犯人すら捕まえられずに終わることとなる。

今度は二人の女が、路上で”溶けて”いるのを発見されたのだが、いかんせん目撃証言などは皆無。

証拠も無く、死因も不明。

だが、一人、その捜査の中心にいる一人の女は、その全てを知っていたのだが。

「あ〜あ、この事件、また迷宮入りですかね〜」

一人の男が、タバコを吸いながら一人の女に話しかける。その女は沈黙したまま答えようとはしない。

「まったく、心労が溜まりますね〜」

「……」

それでも、女は黙して語ろうとはしなかった。

敵を騙すには見方から。説明文を一切省いてみました(笑

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