300のお題シリーズ
お題『 踏み切り 』
祈るくらいなら戦え。-
Fight without praying -
『お前はクズだ!』。その言葉は確実に少年の心を蝕んで言ったのだと思う。 後書き風になるのはソレが既に過去のことで、今はもうそうではないからに他ならないのだが。 少年は心優しい人間だったのだと思う。決して、人を傷つけることを好む人間ではなかった。 それは、そうだろうと、確信を持って言える。何故なら、世間一般的に言えば俺はアイツと最も近い場所に居た人間なのだから。 近いところに居たとはいえ、今はアイツは遠くへと行ってしまっているのだけれども。 苦笑する。俺はアイツの変わりになれるのか、と。自問するまえに答えは出ている。それは不可能だと。 アイツはやさしい人間だった。本当に虫も殺せない人間というのが存在するのかどうかわからないが、そういう奴だ。 人が困っていると助けずには居られず、自分が傷つくほうが人が傷つくのを見るよりマシだと堂々といえる奴だった。 アイツはいつも笑っていた。時には困ったような顔はしたことがあるが、決して人前で悲しんでいる姿は見たことが無かった。 いや、もしかしたらアイツはずっと悲しんでいたのかもしれない。時折見せる、諦め、諦観の表情がソレだったのかもしれない。 アイツが嫌いなのはきっと世界そのものだったのだろう。今アイツのことを考えると少しソレが分かる気がする。 アイツはもう遠くに行ってしまった。決して俺が届かない世界へ。俺が夢見ても、決して俺が行くことのできない世界にアイツは居る。 アイツは英雄になった。アイツは有名になった。アイツは、おそらく俺らの中の誰よりも凄い人間だったに違いない。 だからこそ、ああいう風になったのだろうと思う。確信を持って言える。 アイツが誰より優しかったから、アイツは誰よりも攻められたのだ。 アイツが誰より厳しかったから、アイツは誰よりも傷ついたのだろう。 そして同様に、世界がどうしようもなく駄目だから、きっとアイツは遠い世界へと行ってしまったのだろう。
それは、多分1年くらい前になるだろうか……。
「お前はクズだ!! 生きる必要も無い人間だよ!」 大きな声が響きわたる。その声を遮るものは何も無く、目の前の少年は地面に蹲ったまま呆然として動かない。 いや、動けないのだ。俺にはそれがよく分かった。 雨の音。野外に居る俺らの体から、徐々に体温が失われていっているのが自覚して分かる。 じっとした態勢のまま、一点だけを見つめる。動かない、動けない。だが、耳だけは少年の方を向いていた。 「何故撃たない!?」 再びなる雷。それに便乗するかのように、教官の声があたりに響き渡る。嵐は、確実に酷くなっているようだ。 「……何故、撃たないっ?!」 三度教官が叫ぶ。そこで少年は一言だけ『撃ちたくないからです』と言った。少年の体が俺に当たって、俺は無様に転げまわった。
「………っったく、お前もさ、そろそろ堪忍したら?」 ぬれた髪を乾かしながら、俺はシャワールームの窓を開けた。外は相変わらずの嵐。 空を見上げるとどんよりとした大きい雲から、無数の水滴が落ちてきているのが分かった。 風が冷たいので、隣の塔まで走る。扉を閉めると、今までの雨音がウソのように消え去った。 「………やっぱり、無理、か?」 「………」 少年は俯いたまま何も言わなかった。それが毎度のことなので、俺は溜息をつくと、少年を背にして歩き始める。 「あ、そだ、コーヤ?」 背中越しに、今思い出したことを伝える。軽く手を振りながら、 「今日の罰、晩飯抜きだとさ。んじゃ」 とだけ言う。背後からは何も物音が聞こえなかった。
雨は多分強くなり続けていたのだと思う。だが、俺はそれが強くなっているのか、夜になって静寂の中だからなのか判断がつかなかった。 暗い世界の中、俺は手探りで枕下にあるライトを探し当てる。コツンっと、軽い感触が手に伝わってきたので、それを引き抜いて、ベッドから降りた。 「……どこか、いくの?」 暗闇、今降りたベッドの下から、声がする。二段ベッドの階下、そこにはコーヤがいるはずである。 真っ暗な室内では、何も見えないがソレは明らかにコーヤの声だっただろう。 「ん? ま、な。ちょっと気になるところがあって、武器庫に行ってくるわ」 「武器庫に? ……なるほどね…見つかると、また怒られるよ?」 「へへ、そのときは言い訳よろしく〜」 コーヤが後ろで溜息をついて寝なおしたのを確認すると、俺はそのまま扉を開けて部屋を出た。 部屋を出ると、途端に雨音が静かになった。ひたすら打ち付けていた雨音が聞こえなくなり、ひたすら暗闇の廊下が続く。 安全灯すらついていない暗闇に、嵐のせいで月やら星が無いので、本当に真っ暗闇だった。その中を、進む。 手にはペンライト。しかし、まだ使えない。使ってバレたら意味が無いからだ。 あくまでも身長に、気配を消しながら、一歩一歩武器庫へと近づいていく。 宿舎を出て、簡易カッパを頭から被り、ゆっくりと雨音に足音が消えるようにして歩いてゆく。 その際、暗闇の中でもさらに暗い部分を進んでいくことを忘れない。そうでもしないと、教官に見つかる可能性がある。 可能性は削除する必要がある。たとえ、どんなに些細なことであろうとも、時間と共にソレが悪性化する”可能性がある”からだ。 無事、武器庫へとたどり着く。大丈夫、誰にも見つかっては居ない。そろりと武器庫の扉を開けると、中から人の気配がした。 すぐさまそれが誰だかわかる。俺は安心して、扉を開けた。 ガラリと大げさな音がして、当たりの沈黙を一瞬だけかき消す。影の人物は俺を見ると溜息をついて、 「時間がかかりすぎ、だよね?」 と、言った。紛れも無く、コーヤだった。
ミッション中にいい感じの葉っぱを摘んできて、ソレを室内で乾燥させて、オリジナルのタバコにするのが最近の流行だった。 そしてソレを武器庫ですうのだ。武器庫だから危ないと思われるかもしれないが、逆に火を扱うなら武器庫が最も安全な場所なのだ。 火は扱いを間違えない限り安全である。そして、ここには火薬やらの薬剤が山と積んである。 まさかそこで火を扱う馬鹿はいないだろうという教官の考えの逆をついたものだ。今考えると、多分バレていたのだろうけど…。 そのときはまだ、誰からも見つかってなかった。だから俺たちは自分たちの計画の完璧さを信じて疑わなかったのだが。 「止めたほうがいいと思うよ? それに、わざわざ武器庫までこなくてもいいじゃん?」 それは毎回コーヤがいう台詞だ。それに、毎度毎度微妙に言い回しが違うのは、まさにコーヤらしいというところだろうが。 「部屋で吸ったら絶対ばれる。教官らの鼻はマジで犬並だからな…」 暗闇に簡易ライトを一つだけ照らし、それをマクベスで反射させてイルミネーションにする。その時の俺らの精一杯のおしゃれだった。 「武器庫なら匂いが強烈だし、硝煙とかも混じって、絶対ばれないだろう?」 そういう理屈も、逆に今考えれば、服に匂いがついてバレるということになるのだが、そのときには気づいていなかった。 仲間の一人がそういいながらタバコを美味しそうに吐き出す。俺もソレを見て、ソイツのタバコが吸いたくなった。 「なあオル。そのタバコ、一個交換しないか? 滅茶苦茶上手そうだ」 「あ、それ俺も思う。オルのタバコ、何で毎回”アタリ”なんだっつ〜の…」 「ば〜か。俺は暇な時間を見つけては草とか勉強してんだよ。サバイバルにも役に立つから、お前らも勉強したほうがいいぞ?」 「……香草と薬草くらい、ボクも覚えたほうがいいと、思うな…」 弱気なのは勿論コーヤだった。俺は生意気なコーヤを足で小突く。 しかし、コーヤは俺のケリを無視して、立ち上がった。そしてすばやく壁に耳を当てると、次は床に手を当てた。 そのジェスチャーが全てだった。俺らは一瞬のうちに広げたタバコを片付け、それを武器庫の中のコンテナにすばやく放り込む。 このコンテナは俺らが内緒で作ったコンテナで、一見すると弾薬だが、中身にはタバコやらが入っているという宝物なのだ。 気配を消し、それぞれがそれぞれの場所に隠れる。その時点でコーヤは入り口に張り付き、教官の見回りに備えていた。 「……ち、今は、ヤバイな……」 俺が小声で呟くのとほぼ同時に、武器庫の扉が開いた。 静まり返る室内。教官の持っているペンライトは武器庫をくまなく照らすと、そのまま去っていった。 それから10分後、俺らは教官の待ち伏せを予想しながら、それぞれに部屋に戻ったのだった。
戦争のための訓練は、毎回熾烈を極めた。 あるときは10kg以上の重りをつけてトライアスロンをさせられたし、あるときは体力の限界まで肉体トレーニングをさせられた。 海のソコに沈められ海上では機関銃を乱射されたり、地雷の埋まった平原を進む訓練などもさせられた。 そして、その都度、毎回トップを飾るのがコーヤだったのだ。コーヤは、生物を殺すこと以外の事に関しては、最高の兵士だった。 しかし、その兵士も教官からすれば眼の上のたんこぶに過ぎなかったのだろう。気に入らないコーヤを教官らはこぞっていじめた。 酷いときには見せしめの意味も込め、俺らの倍のメニューをやらされることもあった。しかし、コーヤは全てやり遂げた。 逆に言うなら、コーヤは熾烈な試練のお陰で、俺らの何十倍もの体力があると言ってもいい。ただ、それはハードすぎる。 飛んでいる鳥を一人一羽ずつ撃つミッションでは、コウヤは一羽も殺したことは無い。機用に羽の部分だけを打ち落とすのだ。 その後、その羽を教官に見せるのは毎回のことで、そのたびに教官は怒り狂った。 羽根に弾丸がかすっている、しかし鳥は飛び続ける。しかも、それが故意に行われているものなのでさらにたちが悪い。 最悪の視界の中、100m以上もの距離がある標的を撃つ訓練で、コーヤは最高の20発の記録を出した。それは教官を遥かに凌ぐ成績だった。
しかし、あるとき、コーヤは血まみれになって帰ってきたことがあった。ソレは俺らが一介の兵士として雇われ始めた時のことだった。 俺たちは同じ部隊に所属し、数々のミッションをこなしてきた。その際、やはり人間も多く殺した。しかし、コーヤだけは別だった。 コーヤは完璧な作戦を立て、自ら先陣を切り、敵の陣地へと突っ込んでゆく。 巧みに戦況を操り、結果、犠牲者ゼロで相手を制圧するのだ。これには敵側の兵士も焦りを隠しきれなかった。 いつしかコーヤには『鑓』という呼び名がついた。それこそ直線的に相手の急所だけを最小限に打ち、相手を絶命させる。そんな意味合いだった。 ヤリは相手を殺す。そういう意味では、これぐらいコーヤを呼ぶ呼び名として相応しくない呼び名は無かった。 しかし、コーヤはいつしか鑓ではなくなった。血まみれになり、俺らを威圧的な眼で見た後のときから、俺たちとは違う道を歩んでいたのだと思う。 いつ、コーヤが変わってしまったのかは知らない。しかし、コーヤは紛れも無く『鑓』と化し、数々の戦場で勝利を収めていった。 何がコーヤを踏み切らせたのかは、未だに謎だが、俺は多分想像するに、アイツは多分優しかったのだ。世界に対して、優しすぎた。 優しすぎたがゆえに、アイツは誰よりも傷ついた。それゆえ、アイツはいつも孤高の存在でなければ、存在できなかったのだろうと、思う。 『剣』『弓』『鑓』『鎌』『斧』『鑓』。これはそんな悲しい、『鑓』の物語。 |