300のお題シリーズ
お題『 熱海 』
Seeing is not Believing, Believing is
Seeing.(見てもどうせ信じれないけど、信じれば見えるんだよ?)
「………?」 一人の人間が、その場所に立ち止まり、目の前の状況を、まるで信じれないものを見るように眺めた。 辺りは砂漠。ひたすら、砂と死の世界化が辺りを包んでいる。天候は極めて快晴。これから数週間は、雨も降ることは無い。 女は、再びその周りを見渡し、そして下を向いて絶句する。自らが立っている場所の”奇妙”さを、ようやく認識したためだ。 最初は疑問。辺りを見渡し認知。頭が思考し、再度認識。再考の結果、奇妙さを認識する。同時に、確認も。 辺りは砂漠。それは、女が立っている場所も同様で、辺り一面に砂漠が繋がっているだけの丘の上。 それは、異常が無いことが、既に異常な光景だった。 女の足元、あるはずのものが無いという異常さ。女は最初に何をすべきかを考えたのかもしれない、しばらく天を仰いだまま動かなかった。 いや、もしかしたら神とやらに嘆いていたのかもしれない。それは、不明だが。兎に角、しばらく女は動かなかった。 ありえない状況を突きつけられた場合、人間の多くは何をすべきかを見失う。それは目の前の出来事に対して対応がとれないためだ。 同時に、思考が停止する。その際、人間は思考の狭間でパニックを起こす。すなわち、何をしていいのか分か無いが、何かをしなければいけないのだ、と。 女は来たときの3倍の速度で、再び足跡の上を歩く。しかし、歩幅は明らかに大きくなっている。 焦り、とも違う。焦ったところで何もないことをよく知っている。苛立ち、とも違う。誰に対して、何に対していらだてばいいのか分からない。 しかし、それでも女は”急いで”村まで戻る。それが、今一番大切なことだと、理性ではなく感情で理解できたからだ。 女の手には、簡単な水瓶。先祖代々使われてきた甕で、皹が入っており、最近新しい甕を新調したものだ。 それゆえ、コレで最後の使用にしようと話し合った矢先の出来事だった。その甕を胸の前に抱え、慌てて村までの道を急ぐ。 砂漠の中心、そこにあったオアシスが、枯れたのだ。それは、砂漠での生活の不可能を示唆する。 村は、簡単に阿鼻叫喚へと陥った。女が方向を見誤っているのではないかと、道を辿る者。 村長を中心に集いを開き、どうすべきかを考えるもの。その事実だけを聞き、恐怖に震えているもの。 それはまさにありえない出来事にして、そして同時にいつか起こるであろう出来事でもあった。村人はその事実を信じれずにいながらも、享受した。 自らの生活を嘆くもの。村を直ぐにでも捨てて出て行こうとするもの、そして逆に村と共に神の意思にそぐわず滅ぼうというもの。 それは、村の終焉というより、村人にとっては”世界”の終焉を意味する。つまりこのとき、村人は世界を失い、故郷を失い、同時に信じるべきものを失ったのだ。 それは、世界の終焉といわず何と言おう? 人間は水が無くては生きてはいけない。そして、砂漠の住人にもそれは勿論いえる。 水というのは自然の一部であると同時に、人間の一部でもあるという、神との絆。それを失うことすなわち自らの崩壊を意味する。 意味がおろそかになったものは全て消え去り、自らの意思と希望、願望や野望だけが残る。 略奪、殺戮、共存、協和。調和、破壊、人間とはかも醜いものかというものを、存分に見せ付けられる。 人間とはかも自然に対して無力なのかを知るのと同時に、自然とは人にかも過酷なこかもしることとなる出来事だった。 神々が人の醜さを見かねて、過去世界を滅ぼしたとされている。そして、人間はそこから何も学んではいないのかもしれない。 自らの生のために他の動物の生を糧にするという意味では、人間も自然の中の破壊者に過ぎないといこうことなのだろうと、実感する。 同時に、人間というものに対して、憎悪すら湧くと同時に、何故コレほどまでに美しくもあるのかと嘆く。 一昼夜にして、村が一つ滅んだ。原因は、勿論水のためだ。勿論、それは砂漠に住む村を総称して”一つ”という意味だが。 人間の居場所を失い、同時に自らの信教を失った今、人間は何処までも残酷に、そして”動物”になれる。 自らの信じていた絶対が、絶対ではないと認識できることこそ、この世界の崩壊であり、同時にこの世に済む理由の排除であるのだ。 救済を信じてきた人々は絶望し、天昇を信じていた人間は地面を見つめ、輪廻を信じていた人間は自らの苦痛を嘆くようになった。 曰く、崩壊。しかし、それは既に人間の内側に内包されていたものだということを、誰もが気づいていた。 あまりにも純粋にして、あまりにも大きい感情。すなわち、死にたくないという願望にして、同時に生きる要素。 自らの存在を今朝内容とする保護作用は、かも強く、そして残酷だった。過去の人間らの業そのものを繰り返すことに、何ら躊躇を感じないのだから。 水場を失った砂漠の人々は、すぐさまに自らの村を捨て、安全な場所へと避難した。それは、簡単なようで最も難しい決断だった。 自らの存在を既に捨てている人々にして、かつての仲間を殺して前へと進む、足元には無数の死体。 そこには正義など存在せず、悪も存在しない。人間の純粋な気持ちに従った人間は正義だし、同時に人としての威厳を保ったものもまた正義。 それはどちらにも属さない絶対的な力にして、絶対的な正義。そして、同時に無論悪。 人はそれを必要悪と呼び、同時に混沌とも呼ぶ。 約数千。コレによって自らの居場所を失った人の数。約数百。コレによって生命を失った人間の数。 そしてその出来事も時間が経てば風化し、今では語り草になりつつある。 曰く、神の怒り。それは、ここあたりの地方での伝承となり、そしてそれは伝説となった。 熱海の出来事は、人々の記憶から忘れ去ろうと、していた。
そしてまた、人はきっと、繰り返す。 疲れたんだよぉ〜主題はありません(ぉ |