koibumi
--/--
――白い机に向かって、今日も手紙を書いている。
窓からは、爽やかな風が吹き込んでくる。
午後の日差しに、ほんのりと照らされた室内には、私だけがいた。
ぽっかりと空いた空間に、無雑作に置かれた白い机だけが、まるで切り取られたように、部屋の中では不釣合いだった。
部屋には、他の家具は置かない。置いていなかった。
だから、この部屋は、本当にこの白い机だけが置いてある。
カーテンレールに垂れ下がった、薄いカーテンを、外から吹き込んできた風がそっと揺らす。
穏やかな午後の情景。
外からは誰かの喋り声が、五月蝿くも無いホーンで聞こえている。
太陽の光は直接机には中らないが、部屋の中を明るくしてくれていた。
そんな、穏やかな午後のこと。
私は、白い机に向かって、いつもの様に手紙を書いていた―――
恋イ文
1/a
ごとごとと揺れる車内。
俺は、隣に座っている男と必要以上に肩が触れ合っているのも気にせずに、座っていた。
頭に乗っかっている簡単な安全帽。これで鉛の玉が防げるとは到底思えないが、それでもそれを脱ぐと不安には陥るだろうと、簡単に想像できた。
車内を、それとなく見渡す。
そうしていた何人かと目が会うが、お互いに直に目を逸らした。
車内は、無言だった。
完全に無言に包まれた車の車内は、途中何かに大きく突き上げられ、決していい環境とは言えない。
むしろ、最悪と言っていいだろう。
このトラックの荷台に乗っているのは、大方10〜20代の男だ。。
自分と同じだと、思う。
そして同時に、この状況は非現実な状況を認識しなくてはならないことを意味する。
―――。
またも、トラックが大きく揺れる。
俺は近くにあった自分の銃を、抱き寄せるようにして、持った。
隣の男が、少しだけ震える。
俺はその震えを肌で感じ取ったが、しかし何も言わなかった。
おそらく、ここに居る人間が、恐らく共通して感じているであろう、恐怖。
それは不安と言い換えてもいい。
暗い車内。
その中にいる、男達。手には銃。沈黙、沈黙、沈黙。
格好は暗い、ダークな迷彩服で、誰もが一言も喋ろうとはしない、無言が支配する車内。
そんな状況の中、誰が恐怖を感じずにいられるだろうか。
少なくとも、俺には無理だと、俺は思う。
時に、荷台に一緒に乗っている指揮官の足音が、コツコツと車内に響き渡る。
指揮官はこのようなトラックの荒い運転には慣れているのか、まったく衝撃には動じる様子も無い。
ただ、一定のリズムを保ったまま、コツコツと、ただ、歩いていた。
目的は、容易に想像できた。
この車から脱走しようとした人間を、殺すためだ。
そのための、監視。
それ以外の、何者でもない。
俺たちの仕事は、一体何なのかを考える。
―――人を、殺すことだろうか。
そう思い、一瞬心臓の鼓動が早くなるが、すぐに落ち着かせる。
今から、俺らは戦争に行くのだ。
そして、人を殺すだろう。
逃げたら殺され、そして立ち向かえば殺される。
殺されないためには、殺すしかない。
普段は聞き慣れない『殺』すという言葉しか、今は聞いていない気がする。
思考も慣れて、いやむしろ痲痺してきているのに、俺はすこし自分自身に対して吐き気にも似た感情を覚えた。
ぐっと、手に持った銃を抱き寄せる。
それだけがよりどころであるかのように。
そして同時に、それだけが頼るべきものであるかのように。
否、それは違う。
この戦争で、頼れるのは、他ならぬ、自分自身だけなのだから。
俺は、もう一度、目深に帽子をかぶりなおすと、ひと時の休息に、身を委ねることにした。
―――このままこれが、醒めない夢なら、どれほど苦か。
1/b
今日は、快晴。
ここのところ、天気がいい。
最近は随分と雨が降り続いていたのに、最近ではそれが嘘のように、晴れ渡った空が続いていた。
世界は、こんなにも美しいのかと、少し感動してしまう。
朝起きたら、まず一番最初に、扉を空けて新しい風を部屋の中に入れた。
何となく朝の空気は浄化の作用があるような気がする。
もしかしたら、気のせいかもしれないけど。
窓を、全て開けた状態で、コーヒーを淹れる。
朝ごはんは簡単なシリアルで、特に凝ったものは作らないことにしていた。
ただ、広い家に一人、私だけが住んでいるだけだから。
―――。
窓を、閉めるために、立ち上がる。
家の中を、ゆっくりと歩く。
相変わらずの心地いい風が、家の中を駆ける。
そうだと思いつき、今日は窓を閉めないことにする。
そっちのほうが、暗鬱とした気分を、晴れやかにしてくれるかもしれないと、何となくだけどそう思った。
そのまま、引き返す。そして、普段いつも座っている椅子に、腰掛けたまま、外を見る。
外は、まさに快晴そのもので、雲がほとんど見えない。
どこからともなく小鳥のさえずりが、絶え間なく聞こえていた。
朝のコーヒーは少し苦めに淹れたため、舌が少ししびれているが、格別不快ではなかった。
むしろ、私にはそれは慣れた苦さ。
少し冷たい朝の空気を、風が窓から運んできては、私の頬を優しく撫でてくれる。
コーヒーからたつ湯気の香りが、部屋に広がってゆく。
朝、だなぁ。
私は、コーヒーをもう一杯飲むと、その場で立ち上がった。
そして、二階へと上がってゆく。
白と基調とした壁紙に、木の木目が見えるフリーリングの床。
同じく、フローリングの階段を上がってゆく。
こつこつと、自分の足音だけが家に響く。
登ってきた位置から、丁度九十度までの角度で回転している階段。
階段は狭くは無い。横に二人の人間が並んで降りてこれるくらいの広さはある。
白い壁に囲まれた階段。そして、その上には寝室と、ひとつの部屋がある。
階段を登りきると、目の前の廊下の先には、二階のテラスへ出れる扉。
そこから左右対称に、二つの扉があった。
そして、私はその左の扉を開けて、中へと入る。
そこには、白い壁に囲まれた、部屋。
フローリングの床、そして家具などはまったく無い。
ひとつだけ、その空間から切り取られたようにある、白い机。
私はカーテンを引き、窓をあける。
朝の空気が、部屋中に満ちた。
その空気を肌で感じて、私は少し嬉しくなる。
朝の空気は、好き。
そのまま、目の前の白い机へと腰を下ろす。
引出しを明け、その中から白い便箋と、茶色々の封筒を取り出す。
慣れた手つきでペンを握り、あて先を書く。
ふうっと、一呼吸置く。
うーんと少し何を書こうかな?と考えた後で、私はペンを握り、文字を綴り始めた。
―――『お元気ですか? 私は、元気です。』
2/a
俺は荒いトラックの中から、やっと解放された。
がたごとと荒々しく揺れていた車内から外へと降り立つときは、少しよろめきもしたがじきに慣れた。
ずっと曲げていた足を、久し振りに伸ばしたため、少し痲れていたが、気にならない程度だ。
俺らは全員降りると、すぐさま二列縦隊で並ばせられた。
そのまま、直立不動である。
そこには既に数十張りのキャンプ・テントが張られていて、その中を俺達と同じ服をした人間が忙しく動き回っていた。
車から降りた指揮官が、やたらと大きい声を張り上げ、俺らを激励していた。
しかし、そんな声は、まったく耳に入らない。
嫌になるような、むせ返るような、匂い。
土を踏みしめる感覚が、不快だった。
朝の空気を、これほど不快に感じた事はなかったが、それでも少しは、そう車の中よりは、解放的な気分になれた。
簡単な挨拶の後、俺らは指揮官の指示で、新しいテントを立てなくてはならないらしい。
無論、制限時間付きである。
俺らはフォーマンセル/四人一組で、テント張りにとりかかる。
張り終わったテントの中に自らの荷物を詰め込むと、再び集合がかかる。
テントを張り終えた後、簡単にこの基地―というには、余りにお粗末だが―の説明が始まる。
二列縦隊の直立不動である。
説明の間も、何に追われているのか知らないが、指揮官はしきりに声を張り上げていた。
俺はその間、微動だにしなかった。してはいけなかった。
まっすぐ前だけを見て、そして指揮官が声をやたらと張り上げるのをかき消すくらいに、声を張り上げて返事をした。
馬鹿げているが、これがそうなのだろう。
明らかに育ちが悪い言葉を連発して使う指揮官に多少嫌な感じを覚えたが、無論ポーカーフェイスで通す。
数十分後、俺らは全員解散の命令が出る。
そして俺らはテントへと戻って言った。
そこで初めて、俺はキャンプの周りを見渡した。
何もない、森の中だ。
付近には十メートル間隔くらいで木が生えており、そして頭上からは朝梅雨の名残である水が、時々落ちてくる。
鳥が鳴く声が、森全体に響いていた。
空気は住んでおり、もしもこれがミッションのためでなく、普通のキャンプだったのなら、深呼吸でもして落ち着くことだろう。
しかし、それも今は叶わない。
車を見たが、道らしい道は見えない。
なるほど、こんな所を通ってきたのなら、あの振動も頷けるというものだ。
早足で、遅れた分を取り戻すために、テントへと戻る。
テントはどれも茶色一色で統一されており、なるべく土の色と同色になるように、ところどころにカモフラージュがされていた。
そのテントを開ける。既に中には2人の男がおり、自分の荷物を簡単にいじっていた。
―――。
誰も、喋らない。
その沈黙は特には辛くない。慣れっこだ。
もしかしたら明日死ぬかもしれない相中なのだ。
まあ、酒でも入れば、話しは別かもしれないが。
俺はテントの中へ入ると、まず自分の銃を解体し始めた。
いつでも、射てる状態にはしておきたかった。
自分の身を守るのは、自分自身なのだから。
最早俺の中に、相手を殺さずにどうにかなるといった幻想は、潰えていた。
―――俺は、生き残る。それだけを、強く願った。
2/b
あれから、すでに1ヶ月が経とうとしていた。
私は相変わらず、日々平穏に生活をしている。
毎日朝起きて、コーヒーを飲む週間も、変わってはいなかった。
不思議なものだなと、思う。
ただ、コーヒーカップが一つ、少なくなっただけ。
他は何も変わっていなかったのだから。
朝、だった。
私はベッドから起き上がると、一階へと階段で降りて行く。
少し、今日は肌寒い。
上に羽織ったショールを抱き寄せるように胸の前で合わせながら、私は部屋の外へ出た。
今日は、雨みたいだった。
家全体を、したたかに打つ雨の音が、誰も居ない家の中ではやたらと大きく聞こえた。
カーテンを開ける。
やはり、雨。
窓を少し開けると、雨の匂いが入ってきた。
窓を、雨が振り込まないくらいに開け、いつものコーヒーを飲む。
今日は少し熱めに、そして濃い目に淹れた。あの人は濃いコーヒーはダメで、根っからのアメリカン派だった。
私は逆に、エスプレッソ並の濃さが好きだったのだけど。
でも、私はそれでも文句は言わなかった。あの人もそれは分かっていてか、少し濃い目にしても怒りはしなかった。
幸せだったなと、思う。
それが、本当の幸せだったのだなと、今更思う。
私はコーヒーを飲みながら、雨模様の空をぼんやりと眺めた。
白い壁に、木のリビング。
ぽっかりと空いた空間には、今はコーヒーの湯気と、雨の音しかなかった。
時々、雨の匂いが薫ってくる。雨の匂いも、たまにはいい物だ。
雨音など、前は鬱陶しいと思っていたのだが、静かに聞いてみると、それは上質なクラシック音楽のようで、落ち着けた。
不思議な、気分だ。
なるほど、水の音にはヒーリング効果があるというのは、本当なのかもしれないと、一人語ちる。
コーヒーが無くなると、私は席から立ち上がり、再び二階へと上がって行った。
もう、これがかれこれ一ヶ月、続いている。
自分でも、こんなに物事を続けた事は、今までなかった。
飽きっぽかった私は、今まで物事を連続してするということが出来無かったのだ。
しかし、これはもう一ヶ月も続いている。
いつまで続ければいいのか、それは分からないけど。
そう思うと、少し寂しい。
―――。
うん、今日はちょっと、夕飯を豪勢にしてみようと、ちょっと考える。
お隣さんも呼んで、ちょっとしたティーパーティーを開こう。
そう思うと、多少気分が張れた気がした。
私は慣れた手つきで、階段をあがり、そして向かって左の部屋の扉に手をかける。
ゆっくりと開いていく扉。
今日は雨雲で少し曇っているため、室内は暗かったが、カーテンを開けると、そこそこに明るくはなった。
電気は、点けないことにした。
そのまま、白い机に向かう。
途中、窓を少し開ける。雨は幸い振り込んでは来ないようだ。
ペンの握る。
抽出しから便箋と封筒を取り出し、そして少し考えた後、手紙を書き始めた。
―――『お元気ですか? こっちは、今雨が降っています。』
3/a
その日は、雨だった。
森林全体を揺るがすような雨。
雨音が森中に反響して、それは木霊のように飛び回り、まるでそこを幻想世界のような雰囲気にしていた。
いや、ある意味で、ここは確かに異界なのだろうと、思う。
じめじめと、そしてゆっくりと服に浸透してくる水に多少の不快感は覚えたものの、それを意識から強制的に外した。
森の中を睨む。
目の前では同じような体制で、銃を構え前方を狙っている仲間。
名前はまだ覚えていないが、どいつもいいやつだ。
絶対に、殺されたくなかった。
だから、殺す。
銃を抱き寄せるようにして、構える。
俺の役目は、狙撃だった。
ライフルによる後方支援。
実際に、前線の兵士よりは死ぬ確立は低いと思われているかもしれないが、意外に狙撃手は狙われやすい。
戦闘においては、まずは後方支援を狙うというのが鉄則なのだ。
ぐっと、ライフルを引き寄せる。
雨がライフルの先に当り、弾ける様子が見える。
スコープを覗いたまま、静止。
一体、どれくらいこのままの体制でいればいいのかは、不明。
しかし、俺はその体制を崩さないまま、森の一部分になりきる。
呼吸も、泊める。
一瞬。そして、永遠の長い時間。
聞こえるのは雨音と、自分の呼吸のみ。
狙撃手は、それこそ何時間でも、同じ体制を維持していなくてはならない。
狙撃手にとって一番大切なもの、それは何より忍耐である。
すっと、鋭い目で、前方を狙う。
ライフルのトリガーに、指がかかる。
雨のせいで、前方の状況は不鮮明だったが、それでも泣き言は言ってられない。
スコープを覗く目に、身体の全神経を集中させる。
どんなものでも見過ごさない。
どんなものでも、見逃しはしない。
ゆっくりと、付近を見渡す。
森の中は、いまや雨の音しか聞こえない。本当に心臓が止まってしまったように感じる。
自分の呼吸する音が、ゆっくりと、ゆっくりと聞こえる。
雨水が、ぽたりと、帽子から滴れる。
視界に見えるのは、雨でぼやけた景色のみ。
何も、ない。
全てがスローモーションのように、見える。
緊張する。
一体、何が起こるというのか。
一体、これからどうなるというのか。
わからない、わからない、でも、殺す。
見えない不安、感じれない恐怖。
トリガーにかかっている指が、少し震えだす。雨晒しになっている身体に、染み込んだ雨が体温を急激に奪ってゆくのが分かる。
吐く呼吸は白く。
トリガーは震えている。
視界は最悪。
しかし、スコープを覗く目だけは、決しては外すことは無い。
―――。
視界の隅、何かが動いた。
トリガーの指が、勝手に動いた。
―――銃声。
3/b
ふと気づく。
私はゆっくりと目を覚ました。
嫌な予感がした。
頭を上げる。
次の瞬間、再びベッドへと倒れこんだ。
頭は何かに打たれているかのようにガンガンと、不規則な頭痛がする。
額に手を当ててみて、少し熱っぽいかもしれないなと思う。
緩慢な動作で、ベッドから再び身体を起こす。
そして手の届くところにあったショールを身体に羽織ると、階下へと降りて行った。
今日の天気は曇りだった。
空はどんよりとした雲に覆われており、今にも涙が溢れそうな状態。
窓を開ける気には、ならなかった。
簡単に自分の体調を診た。
熱をまず測ってみるが、平熱。
うん、おそらく、多少の疲れがあるのだろうと、一人で結論付ける。
そのまま、いつものコーヒーを飲もうとした時に、気づく。
コーヒーが切れていた。
しまったと、思う。
そういえば昨日、ティーパーティーをしたときにコーヒーは無くなっていたのだった。
手紙を出しに行くときについでに買ってこようと思っていたのだが、忘れえていたのを思い出した。
自分の愚かさに少し腹がたった。
仕方がないので、今日の朝は紅茶にすることにする。
どっちみち、何かを飲まないと気がすまなくなってしまっているので、紅茶でも問題はないんだけど。。
しかし、何となく習慣と違う動作をしていると、昔を思い出してしまう。
今までの習慣を、意識する。
普通を、強く意識してしまう。。
同時に、あの人のことも。
―――。
紅茶をお湯で少し蒸らし、そして暖めたティーカップに注ぐ。
綺麗な薄赤色に染まった紅茶を、口に運ぶ。
よかった、涙は、出なかったようだ。
コーヒーと違って、身体の奥からぽうっと、暖まるような気がする。
香りも、いい。
すこし得した気分だった。
でも、コーヒーの方がいいなと、やっぱり思いなおす。
ちょっと喉がヒリリとするあの感覚が、好きだった。
あの人が、好きな感じ。
うん、やっぱり今日はコーヒーを買ってこようと独り言を言うと、そのまま紅茶のカップを持って二階へと上がって行った。
紅茶を溢さないようにしながら階段を上がるのは、少し大変だった。
そのまま、白い部屋へと入る。
どんよりとした雲のせいで、部屋は暗かった。
いつもは真っ白に見える部屋も、今日は灰色に見える。
空の黒い雲の影が、部屋の中には落ちていた。
私はいつもはつけない明かりを、点ける。
しばらくして、部屋の中に人口的な光が満ちる。
一歩部屋の中に足を入れると、予想以上に冷えているのがわかった。
ちょっとだけ身震いをして、そしていつもの白い机へと座る。
カーテンは、閉めたままにしておいた。
締め切った部屋の中、人口的な光が降り注ぐ。
朝なのに空気はどんよりと曇っており、まるで何か毒でも飲んだかのように身体が重い。
空気が、汚れているような錯覚。
やっぱり、労れてるのかな。
そう、感じる。
そしていつものとおり、抽出しから便箋と封筒を取り出すと手紙を書き始めた。
あて先は、いつも一緒である。
―――『お元気ですか? ……返事が、欲しいです。』
0/a
そこは、まさに地獄だった。
戦闘の後、俺らは生存者を探すために、森の中を散策していた。
降り止まない雨。反響する木霊。
今は森の中は、まさに地獄だった。
無数の、人、人、人。
そして、死体、死体、死体。
―――。
気が、狂いそうだった。
いやむしろ、この情景を見て気が狂わない人間こそ、気が狂っているのかもしれない。
ふうっと、溜息を吐く。
足元の死体を跨いでこえる。流石に死者を足蹴にするのは、耐えられないことだった。
自分は、この戦いでは勝ち残ることが出来た。
しかし、次はどうか、わからない。
不安、恐怖。
しかし、その先には在るべき希望はない。
どこまでも続く、絶望のみだ。
森の奥へと歩いていく。
相変わらずの雨。付近に漂う消炎の匂いが、鼻につく。
無数の顔と目。
人の肉。
そして、意識と絶望に歪んだ最後。
森に刻まれた、戦闘の苛酷さと、死の虐さと、そして恐怖を俺に教えてくれていた。
地獄。
今すぐ逃げ出したかった。
だが、そうすれば自分は殺される。
こいつらと一緒で、こうやって森の真ん中で最後は倒れるのかもしれない。
そう思うと、少しは生への執着が湧いてくる。
最も純粋で、一つの欲望。死にたくない、という希望。
人を、本当に文字通り、掻き分けながら進む。
手、足、そして身体。
もはや肉となってしまったあとの人間を掻き分けながら、まだ肉になっていない人間を探す。
一人でも多く、
先ほどまでは殺して、
今は救う。
矛盾だと、自らを嘲ざける。罵しり、そして沈黙。
戦争など無意味だ。
戦争を悪だという連中もいる。必要悪だという連中もいた。でも、戦争の本質は無意味であると俺は思う。
無意味だから、悪も正義も無い。
行動そのものが全て意味がなく、結果が出たところで結局意味は無い。
そんな無意味のデス・ゲーム。
命を賭して戦うには、余りにも馬鹿げている至上の遊び。
俺はこれ以上その場に居られなくなり、テントへと足を戻した。
無数の屍を越えて辿り着くのは、一体どこなのだろうと、とりとめも無く思った。
無論、答えが出るはずも無い。
―――。
自らのテントへと戻る。
キャンプは、比較的静かだった。
傷ついたもの達は、最前線のキャンプではなく、今既に後方の医療用のキャンプにいるのだろう。
当然のように居なくなる仲間。
会えなくなるのが当然の、仲間。
だったはずなのに、涙が出た。
大きく一回背伸びをして、空を見上げる。相変わらずの森。
ふと気づいた。
視界の隅に、伝令兵がいる。
誰かの手紙を届けているのだろうか。
忙しく走り回っている伝令兵の男が、今自分のテントの前を丁度通過したところだった。
0/b
緩慢な動作でむくりと、今日も私は起きた。
そのまま、階下へ。
いつもの習慣である一杯のコーヒーを喉に流し込む。
うん、今日は美味しく淹れることが出来たと、一人で喜ぶ。
一回、大きく背伸びをして、外を見る。
窓からは、爽やかな風が吹き込んでくる。
午前の日差しに、ほんのりと照らされた室内には、私だけがいた。
静かで、音も無く、ただいるだけ。
そのまま、二階へと上がる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
今日は何を書こうかと考えながら、階段を上ってゆく。
そして、左の部屋に、入る。
ぽっかりと空いた空間に、ぽんっと置かれた白い机だけが、まるで切り取られたように、部屋の中では不釣合い。
でも、私にとっては、一日の中で一番幸せな時間。
この部屋は、本当にこの白い机だけが置いてあるのだけど。
その部屋のどこかには、あの人がいるような気がするんだ。
カーテンレールに垂れ下がった、薄いカーテンを、外から吹き込んできた風がそっと揺らす。
穏やかな朝の情景。
外からはどこからとも無く聞こえてくる鳥のさえずりを聞きながら、私は席についた。
太陽の光は直接机には中らないが、部屋の中を明るくしてくれている。
そんな、穏やかな午前のこと。
私は、いつものように、手紙を書き始める。
そう、これからも毎日続いていくだろう私の習慣。
―――『お元気ですか? 私は、とっても元気です。』―――
――――――a missing letter is written for ever.