si-ai

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな町。

影落ちるこの町で、一人の少年が何をするもなく佇んでいた。

「………さってと、次の標的は……」

暗闇に浮かんだ、一つの言葉。

その言葉は別に誰に向けられたものでもない。

ただ、暗闇に溶けていくはずの言葉。

いや、正確には溶けていくはずだった、言葉。

だがその言葉は、ある人物によって拾われる。

「……七夜の…者か……」

言葉は、繋がる。

ゆっくりと、振り返る。

そこからは運命が始まる。いや、始まってしまう。

今夜は、そう、何が怒るか分からない、夢見夢想の御伽噺。

運命は、繋がってしまった。

この、仮初めの運命の中で。

「………なるほど、アンタか…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死愛   ×   最愛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

無言。

そして、重圧。

観られている、見られているだけで殺されそうな感覚。

今、七夜シキは、生れて始めての感情を感じる。

則ち、死という感情。

今まで幾度と無く殺してきた。殺し、刻み、バラし、並べ、そして更に殺した。

殺せなくても殺した。意味も無く殺した。殺して殺して、そしてさらに殺した。

そんな、少年だった。

人の死は、最早彼の中では一つの現象であり、その中に意味など無い。意味を求める気も無い。

多くの人間を殺してきたといえば恐怖を連想させるかもしれないが、七夜シキにとってそれは身近なものだった。

恐怖を感じるどころか、安らぎすら感じてしまうほど。

人が生れながらにして話すことなどを不自然に思わないように、彼にとって死とはずっと寄り添ってきたものだった。

言うならば、感情の一部。言うなら、身体の一部。言うなら、人生の一部。

そして、存在理由そのもの。

言葉を発することよりも容易に人を殺せる彼は、それこそ多くの死を内包している。

ただ、唯一、自らの死以外は。

「………」

だから、七夜シキは無言で答える。

「……死神、か…」

その目の前の人物は、七夜シキを意識しながらも、独白のように呟く。

その言葉もまた、夜空に溶け、そして消えてゆく運命にある言の葉もまた、今のシキにとっては斬新な感情だった。

則ち。

 

―――嗚呼、俺は、初めて“死合える”と。

 

興奮。心臓が高鳴った。

 

無言で、疾る。いや、跳び、飛ぶ。

目の前の人間に興味は無い。

今のシキにとって重要なのは、この空間であり、瞬間であり、運命であり、そして何よりも行動なのだ。

起こっている事は意味を失い、言葉は最早色褪せ意味を失う。

身体の感覚は妨げとなり、思考すら殺す。

目の前の、死合いを、娯しむ為に。

折角死逢えたのだ。愉しまなくては、損と言うものだろう。

全てを、殺す。思考すら、例外ではない。

ナイフを、”構えていた”。そんな、妙な感覚。

身体は已に対手の目の前。ナイフを突き刺す。慣れた手つき。

何千何百と経験してきたはずの、絶対の未来予想。

 

ただ、感覚だけが付いてこなかった。

 

「っっ…!!」

身体に、衝撃。

一瞬で、現実へと引き戻される。

否、一瞬で夢の世界へと引き戻された。

気づけば、自分の身体は、不様に転がっていた。

空が黒く、何も映してはいない。しかし、最高に清々しい夜だ。

いや、シキにとって、初めての、太陽を見たような、そんな感動だった。

「はっ…」

不思議と、

「くっくっく…は、はは…」

笑いがこぼれた。

身体を確認する。異常は無い。

むくりと、ゆっくり、しかし隙は無く、身体を起こす。

せっかくの死逢いだ。心の底から娯しもうじゃないか。

口は笑みの形を作る。心臓は高なる。

心は、最高にクールだ。

「アンタ、名前、なんて言うんだ?」

シキはそれこそ本当に自然に、まるで懐かしい人間にでもあった時のような気軽るさで、声かけた。

「…名など無意味」

しかし、目の前の男は一向にコチラに興味は無いといった様子。ぶっきらぼうに、返す。

しかし、それすらシキは楽しいものと感じる。

 

―――嗚呼、最高だ。血沸き肉躍る。

 

シキは、まるでマスターベーションにも似た感情を覚える。

果てし無い満足感、幸福感、裕福感。しかし、どこまでも貪慾に満ち足りない、そんな矛盾した感情。

汚い、ドロドロとしたものが自分の中にあるのに気づく。そのドロドロとしたものは体全体を這いまわり、舐めまわり、シキを凌辱してゆく。

体の隅々が全て性感帯となる。今ならいつでもイケる…そんな、最高の興奮。

死にそうな重圧。だが、それすら気持ちいい。

「そうかい? 俺の名は七夜シキ。殺人貴だ……」

全く繋がることの無いコミュニケーション。しかし、それにシキは構った様子も無い。

「…やはり……七夜…」

シキの名前を聞いた男が、少しだけ興味を向ける。

刹那、殺意。

赤い、空気。

目を、蹙める。

ああ、”懐かしい”空気。

付近の空気すら握りつぶすような、そんな殺意が満る。

最高の、コミュニケーション。

「……夢の中にしちゃ、上出来だ…」

殺人貴と、そして殺人鬼。

「…七夜…我が、敵よ…」

空間が、捻じ曲がる。

力によって、空間すらもが捻じ曲がる重圧。

目の前の人間の目が、すうっと澄んだ朱色へと変化してゆく。

「…さてと、始めよう…」

「……我は軋間、軋間の紅赤朱…」

 

 

「軋間 紅摩 也」  「―――ようこそ、我が惨殺空間へ」

 

 

 

 

 

 

 

撃。

 

 

 

交差。

 

 

跳ぶ、シキ。

再び構える紅摩。

そこまで、瞬。

「……チッ」

そう舌打ちをしたのは七夜シキだった。

シキは紅摩に攻撃する寸前に、身を捩って避けたのだった。

何故か。

それは、シキが寸前に“危険”を感じたためだった。

大体の人間なら感じることの出来無い、死と生の狭間の感覚。

それは最早直感としか言い表せない、そんな殺人貴だからこそ理解できる感覚。

その感覚が、シキの命を救った。

「ほう」

ここで、初めて紅摩が感情の入っていると思われる言葉を発する。無論、気迫はそのままで、だが。

「七夜…黄理…」

―――どくん。

シキの中で、一瞬血がはねる。

身体に言い表せないような感情が走る。

シキは再び体制も立て直そうとはせずに、駆け出す。それまでとは違い、フェイントは瞞しは入れない単調な助走。

七夜のスタイルは基本的に素早い動作で相手を撹乱することにある。

元々暗殺者としての血が濃い七夜は、大概相手に殺されることを覚らせずに殺すことを得意としていた。

則ち、死角からの攻撃。アフェクション・キル。

相手の視線の範囲から如何に抜け、そして如何に殺すか。

つまりは七夜の技とは、その一言に集約される。

そしてそれを可能なまでに引き伸ばしたのが、今の七夜シキなのである。

しかし。

今、シキが取っている行動は、それとは対極に位置するものだ。

すなわち、単調な突進。無論、速度は常人とは比べ物人もならないが。

十メートル以上ある距離を、二つの跳躍で越え、三つ目の跳躍と同時にナイフを振りかざす。

速度と技術を合わせた業。

だが。

「…」

紅摩は又してもそれを腕一つで受ける。

赤い空気が、体を襲う…。

さらに―――

「っ!」

再び、体を拗り跳躍。安全なところまで、距離をとる。

その様子をまるで眺めるように見る紅摩。追撃するといった雰囲気は無い。

その様子に再び姿勢を落とすシキ。

「……いや、幻想か…」

殺人鬼は、誰に話しかけるもなく、呟く。その言葉は意味を形成せずに、暗闇に溶ける。

いや、その言葉は三度シキによって、裂かれる。

シキが再び疾る。

今度は前の反省を踏まえた動き。いや、それは寧ろ、相手に合わせた動き。

「正に、蜘蛛の如き動き……」

今度はシキは上手く動く。元々シキの得意としているのは“錯乱”である。

派手に動き、そしてその中で同時進行に一撃必殺のナイフを無数に繰り出す。

普通の人間なら、造作も無い。

だが、この男は別格だった。

「地獄より舞戻りし死神か」

紅摩はゆっくりと、シキから見ればあくびがでるスピードで、腕を振り上げる。

途端、再びシキの中に“危険信号”が走る。

 

赤い、空気。

 

―――殺 れる!

 

シキは再び、本能に委せて、跳躍する。

しかし、今回は、違った。

「ぅっ…っっ!」

振り下ろした凶器が、シキの体を掠る。

拈ったはずの体から、鈍い痛みが韻いてきた。

腕は何かに燃やされたかのように焦げており、最早使い物にはならなかった。

唯一の救いは、それが利き腕ではなかったことか…。

しかし、そんなことに構っていられない。

紅摩は今まさに二撃目を放とうと、構えていた。

「はたまた、道化か」

 

―――殺さ る!

 

「チィッ!」

力強く、後方へと跳躍。

紅摩の腕は、シキが一瞬前まで居た空間を、空振りするように振り下ろされる。

赤い、衝撃。

「は…ぁっ!!」

崩れ落ちるシキ。

何とか逃げ切ったと思ったが、一撃目の腕で擦ったのが効いていた。

少し”空気”が肺に入ったらしい、呼吸が狂う。

「はぁ…はぁ…」

しかし、それに紅摩は構う様子も無い。

「……」

すうっと、今度は紅摩は、またしてもゆったりとした動作で構える。

腕を軽く引き、体を屈める。

シキは、又してもあの感覚を感じる。

そして、紅摩が、走る。

シキにしてみれば躱すには動作も無い動き。

しかし、シキは大げさに背後に再び跳躍した。

途中、紅摩が止まる。

少し間を置き、

「……黄理は我を恐れてはいなかった…」

静かに、そう口にする。

シキはそれを静かに見ている。

刹那、空気が固まる。

「それ故、我は七夜を滅ぼした」

三度、殺気。

 

―――どくん。

 

だが、今回は、シキは、嗤っていた。

 

 

跳躍。

態勢を低くし、地面を這う様に疾る。

紅摩の腕が、振われる。

―――殺される

精神の警告。

しかし、シキは、その警告を“殺す”。

命の警告を無視し、シキは走る。

紅摩の腕は、恐らく最強の凶鬼だろう。

紅赤朱と化している奴には、なにやら不思議な力があるには違いなかった。

沈着冷静をウリとしているシキとしても、十分に観察してから仕掛けたいところだったが、

それは、最早シキにとって戯言でしかない。

―――折角の、死会い。思考はは邪魔だ。

言葉は意味を失くし、感覚は浮かぶように皆無。思考は霧散し消え、全ての事は事象と化す。

―――折角の、死逢い。意味は邪魔だ。

現実は無様な鏡像と也果て、存在意義すら浮かんで溶ける。

―――折角の、死遭い。感覚は邪魔だ

自分が感じるもの全てが霧散して、そしていつの間にか失くなっている。

―――折角の、死邂い。恐怖は邪魔だ。

痛みなどは無視。警告は殺した。

―――娯しまないと、損だろう? 俺は、今だけでいい。

 

例えそれが””を秤りにかけなくてはいけないモノだとしても。

 

 

過去。

今まで、シキは絶対的な場所に居た。

絶えず自らの死は確実なものだった。

だから、殺せる。だから、戦えた。

だが、今回は自らの存在をかけても、尚足りない。自らの死をかけても、まだ足りない。自らの全てをかけても、まだ足りない。

不足している。渇望している。まだ、まだ足りない。

だが、それだからこそ、シキはコレを求めていたのだろう。これを、探していたのだろう。

死に場所を求めていたわけではない。

ただ、最高のエンターテイメントが、偶然そういうものだっただけの話。

偶然、シキにとっての最高の環境が死だっただけの話。

 

 

自らの命が危ない。自らの全てが危ない。

命が毀れる、意味が壊れる、目的が頽れる、全てが崩れる。

ああ、俺はこんなにも死を請っている。

嗚呼、俺はこんなにも死に恋われている。

 

 

―――死決。

 

 

「ぁっぁぁっ!!」

短く呻いて、跳ぶ。

 

『―――極死、七夜――――――』

 

体の感覚は無い。四肢が無事である保証は無い。

だが、それでもいい。

赤い空気が、体に満ちる。気づけば、相手の腕が俺の腕を穿っていた。

朱い血が、飛び散る。それと同時に、体中を、まるで焔のような空気が満ちる。

紅摩の体が近くにある。死にたくなるほどの重圧。

赤い空気。呼吸をするのだけで苦痛だ。

紅い悪魔。死にたくなるような重圧。

血い武器。シキの腕はすでに消え去った。

だから、疾った。

最早、勝負ですらなく。

それは、単純に彼の生死そのものの、終焉だったのだから。

 

……………

…………

………

……

 

軋間紅摩は、ゆったりと、その場に立っていた。

前ほどの少年はもうどこにいるのかは分からない。

人間離れした業を披露し、そして紅摩を殺して見せた少年はもうこの場には居ない。

七夜………志貴。

この心臓に穿っているナイフを見ながら、紅摩は考える。

人間の業では決して肉体に痍ひとつすら、つけれないはずの肉体に、ナイフが刺さっていた。

それも、無論急所である心の臓へと。

一直線に、迷いもなく。全力で、自らの全存在をかけて。

そして、彼は結局、”勝った”のだろう。

紅摩は思う。

死とは、何かと。

そして先ほどの少年の事を考える。

あの少年にとって、死とは何かと。

紅摩は思考する。

我にとって死とは何かと。

我らにとって、死とは何か、と。

 

「ふむ、それは愚問だな…」

 

 

 

その言葉は、誰に受け取られるわけでもなく、霧散して暗闇に溶ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな夜。

影落ちる町並。

時間は何も無かったかのように流れてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

end

 

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