雪溶け


願い……それは時に悲しく、そして厳しく、とても残酷。

想い……それは時に優しく、何よりも優雅で、何よりも冷徹。

好き…嫌い…又は、愛している…愛されている。

人間が人間である限り、いや人間が人間だからこそ感情は生まれる。

とうぜん、感情の輪廻も、続いてゆく。

そしてさらに私らが人間である以上は、この世からは感情は無くならないんだろう。

こんなにも、苦しいのに。

愛し、さらには愛されるということは、残酷で優しい心のゆとりで。、

接してくれる人の温かさ、絆、重さは自分自身に与えられる底知れぬ安心感であり、不安で。

側に居て欲しいという想いは、何よりも強く、何よりも深い。

傷ついても、それでも尚、愛と言う仮初の追憶の罰を受けたいがゆえに。

まるで、それは永遠に出合わないはずの出合いを求めるような、そんな夢想で。

安らぎを、感じたい。不安を、消したい。

さらには他人愛したいから。

 

*     *     *

 

パタン・・・と、目の前の本を閉じる。

題名は『愛と私』。

この本は大学の研究室にあった本で、私が先ほど暗闇の中適当に取ってきたのだものだ。

研究室の戸棚の中にあったのだから、研究資料とか、運がよければそのままレポートに書き抜けそうな文章が載ってないか? と、探していたのだが………甘かったか。

私はそれらの本の題名を明るい場所で改めて見ると、はっきりいって役に立たない本ばかり………。

……あそこの研究室って、医者の資料の見たいな資料おいてないのかなぁ?

はぁと、ため息をつく。

前の前には計5冊ほどの、分厚い本。

『愛と私』『宇宙の陰謀』『おじいちゃん、咲いたよ!(絵本)』『カササギの観察とその考察』『メイドの育て方』・・・・・・・・・

というか、あの研究室は何なんだろうか?

とくに、軽く厚さ5センチを越えるような本ばかり……。

『おじいちゃん、咲いたよ!』なんか、絵本でその厚さだ。

今、私御影 あゆみは、自室において没んでいた。

先ほどから、何度目だろうか、溜息は。

私の通っている大学は、医学を専門とした職業……つまりは、医者の卵が通うような学校だ。

つまり、並大抵の努力じゃあ、入ることは出来ない大学なのだ。

しかも、その第二学年。つまりは、大学二年生。

そんな中、先ほどの講義で教授から提出されたレポートをこなすために参考資料を研究室から(無断で)ちょっと拝借して来たという訳なのだが・・・

「はぁ、暗闇で闇雲に取ったから仕方ないとはいえ……なんで、こー変なものばかりなのかなぁ?」

そして、またため息。

意味不明な本をまたベッドの上に放り出し、そしてちょっと考え事をする。

勿論、最近気になってしょうがない先輩のこと……。

いや、昔から気になっていた、先輩のことだ。

先輩。

女学生にとってその響きは確かに魅了的だし、その相手が美男子&成績優秀となるともう、メロメロだ。

しかも、性格もすごい優しいし、それに何より、時々見せる子供っぽさが可愛かったりする。

ふふっと、ちょっと思い出し笑い。

ある日、その相手の先輩を嚇(おどろ)かそうと構内の公園で木の陰に潜み、嚇かしたことがあった。

その時は先輩ビクッと全身を震わせて、その場にしりもちをついてしまったっけ。

あまつさえ『ウワァッ!!』と大声を出して。

もう、逆に嚇かした私が恥ずかしかったほどだ。

勿論、その後たっぷりと怒られたけど……。

その外にも沢山ある。

夜。先輩が何故か一人でウロウロと歩いていたので、そぉっと近寄って『フゥッ』と息を吹きかけてみた。

しかし、次の瞬間。

先輩はまたまた大声を上げ、硬直。

そのままビューッ!!とダッシュで逃げていってしまったのだ。

途中、『幽霊は存在しない…存在しない…存在しない…』と呪詛のように呟いていたとか。

アレを彼女さん聞いたときは腹が捩れて笑いこけたものだ。

………。

そう……先輩の、彼女。

とても可愛くて、優しくて、ほんのり暖かくて…。

素敵な、女性。自分よりは年下なのだが、どうも私よりも年上の女性に思えてしまうヒト。

みずき…さん。いや、年齢的にはみずきちゃんだが。

ロングヘアの好きな先輩(先輩情報収集は、無論着手している)にはぴったりの、流れるような黒髪。

大きな、優しそうな眼。そして…女の私から見ても悔しいほど完璧なプロポーション。

それで、時々見せる女らしさ(…というか、アレは乙女らしさ?)が、また先輩は大好きらしい。

先輩は今、大学の3学年。みずきさんは……確か、高校3年生のはずだ。

幼馴染で、幼い頃から一緒だった2人。

端から見ても、完璧につりあいの取れた二人。

私が……私なんかが入り込む隙間なんてない…。

幸せそうに結婚し、どこかの病院へと就職。その後、ラブラブな新婚生活を送っている2人のヴィジョンが浮かぶ。

………。

………どう見ても、すごい似合っている。

ブンブンブン!と、頭を振り、イメージを吹き飛ばす。

駄目だ!こんなことでは…。

今は遠い未来より、一週間後の私の結末を想像しなければ。

と、あの石頭教授(本名:樋口 紀夫)に頭ごなしに起こられている私のヴィジョンが思い浮かぶ……。

………。

ど、どお考えても・・・似合っているっ・・・というか、簡単に想像できてしまう・・・!!

嗚呼、むしろ未来予想…。

「ああぁぁ〜〜、どぉ〜しよぉぉ〜〜」

親友のゆいなという女の子も居るが、彼女は生憎、経済学部だったりする。

私の恋の悩みは聞いてくれても、私の研究課題の内容については聞いてくれないのだ。

はぁ……と、本気でその通りのヴィジョン実現しそうな予感がする。

そんな感じで、私が頭を抱えていたその時…

テゥルルルルル………

電話が鳴る。

「う〜誰よ〜〜私がこんなに苦しんでるときに電話してくる馬鹿はぁ〜」

とりあえず、愚痴。

別に電話の相手は私のそんな状況をお構いなしなヒトだろうが、なんとなく悪態をつきながら電話へと這う。

それに、自宅の電話番号を教えているのは親友の中の数名だし、ほとんど課題を終えてしまっているヒトだ。

どうせ『あゆみ〜、苦しんでるぅ〜?』といった内容の電話だろうなぁ…。

…なんか、悔しい。

そう思うと、一瞬受話器を取るのをためらう。

そして更に一瞬思考した末、受話器を握る…。

先手、必勝ッッ!!!

「あ、もしもしあゆみですけど? あのね〜ゆいなか誰か知らないけど!! 今、私は忙しいの!! だから電話なんて迷惑な真似は止めてよ!! ちょっと、聞いてるぅ〜? 電話の向こうの頭の悪いオツムさん?」

とりあえず、思いつく限りの悪態を叩く。そして、電話の相手は沈黙して、一言。

『…………。オレは、確か3学年ずっとトップの成績で通ってたぞ?』

……は?…え??…………………え?

……………………………………

………………………

……………

…………

きっちり沈黙と硬直3秒間。

「せ、せ、せ、せ、せ、先輩〜〜!!」

大声を張り上げた。

『ふん、どうせ忙しいんだろ? 悪かったよ!俺なんかが手伝おうとして!! ああ、切るさ!! オレは頭の悪いオツム君だからなぁっ!!』

そんな……、確かに先輩とは少し仲が良かったりする仲だったりするけど……。

い、今の時間帯的に(夜の10時過ぎ)先輩は最初から除外してた……。(と言うか、今迄そんなこと無かったし?)

慌てて、弁解。

「そ、そんなことないですよぉ〜ごめんなさいぃ〜ゆいなかと、勘違いしちゃったんです!!」

『泣いても許さんぞ、あゆみっ!もう、手伝わないと決めた!』

電話の向こうから明らかな激怒の声。

「え…どうして…先輩が手伝ってくれるんですか……?」

そこで、先輩が言っていることを改めて聞いて、不思議に思ったので聞いてみる。

『みずきの優しさだよ! あぁ、だがなぁ、お前はどーせ忙しいだろうからぁ、オレは手伝わん!! みずきがいくら頼んでもだっ!』

みずきちゃんが……………?

あ……そういえば。

前、先輩と一緒にデートしているところを邪魔(基、ちょっとお話)したとき、そんなことを私が言ったような気がする。

レポートが手一杯で、もうずっと遊べないから、今日くらい良いじゃないですかぁ〜といった誘い文句で。

それを、覚えていてくれたんだ……みずきちゃん。

みずきさんのことだ。恐らく、『聖人お兄ちゃん! 困ってる後輩が居たら、助けてあげなくちゃ駄目でしょう?』とか言ったんだろうなぁ。

優しすぎるみずきちゃんにとっては…………。

ありえる。というか、正にそうだろう…。

彼女はまるで先輩を信じきっているからだ。そして、先輩もその信用にちゃんと答えている。

だから、みずきちゃんにとって、別に他の女性と一緒に居るということは容認範囲なのだろう。

嫌がっていたのは、専ら先輩だから…………。

「ああぁ〜そんな事いわないで下さい!! 実は、そのレポートで困ってたんですよぉ〜」

泣きながら訴える私。折角のチャンスだ。(私のせいで)無駄にするわけにはいかない……。

このまま、出来たら星野先輩を……なんて、考えてしまう自分を一瞬、恥じる。

というか、先輩がそんなこと、絶対しないだろう……。

みずきちゃんを……愛しているから。

『知るかっ! 電話の受け答えもできんやつに、そんなことしてやる優しさはないっ!』

ううぅ、取り付く島もないよ〜(モトはといえば、私のせいだけど……)

『聖人おにいちゃん!!! 駄目じゃない!!』

と、電話の向こうにもう一つ激怒した声が聞こえてくる。

これは……みずきちゃん?

『み、みずき……でもな……』

今度はみずきさんへと弁解を図る先輩。

『後輩さんが……可愛そうだよ…聖人お兄ちゃん恐い…』

今度は、涙声。

うわぁ、これは弱いぞ…先輩。

『わ、わかった! わかったよ!! ああぁもう!! あゆみ、今から家に行くから、扉、開けとけよ!!』

と、叫ぶ先輩。

「は、はいぃっ!!」

その叫び声にビクッと身体を震わせながらも答える私。

そして・・・電話は切れたのだった・・・・・・

 

かくして。

「ったく…オレは、みずきの受験勉強を手伝ってたのに…みずきったら…なんでか他のヒトばっかり心配しやがって…」

かなり憤激している星野 聖人(ほしの まさと)先輩……。

「あ、あの…お茶です…」

コトンと、即席で片付けた部屋のテーブルに、お茶の入ったグラスを置く。

先輩はそれを確認するなり、ぐいっと飲み干して、

「最後なんか、『聖人おにいちゃんが行かないなら、私も勉強しない!』って言い出すし…強情すぎだっての……」

あー、何か本当に怒ってるみたい。

「それに、今は、アイツのほうが大切なのになぁ?」

ギロッという、効果音でも鳴ったような怖い睨み。

その目に、私は何も言えなくなる。

「は、はい………」

とだけ、縮こまって言うのが精々だった。

(こ、怖い・・・・・・)

「とにかく、オレは時間がない! 俺は、一刻も早くみずきのモトに戻らないと行けない訳だ・・・というわけだから、あゆみっ!!」

どんっ! と、卓上のグラスが振動する。

その言葉にびくっと身体を震わせ、

「さっさと、終わらせるぞ! さ、始めるぞ、あゆみ!」

「は、はいぃっ!!」

私は幸せな気分に浸る間もなく、勉強を開始したのだった。

 

が、勉強に入ってからは、先輩は優しかった。

ぽーっと、先輩の横顔に見入る。

きりっと締まった眉に、切れ目の目。そして、優しそうな輪郭…格好いい髪の毛…。

こんなヒトが彼氏だったら……私、他に何もいらないのになぁ…と、そんなことを考えてしまう。

しかし、その視線に気付いたのか今度は先ほどまでの真剣な目とは程遠いギロッとした目で睨み、

「あ〜ゆ〜み〜、聞いてたか?おい……オレはお前のために…」

「は、はい! 聞いてました!! きりっと締まった肝臓の優しそうな腸がですね、格好いい膵臓に…」

一瞬というか、永久の沈黙。

「……………お・前・な・ぁ………ッッッ」

ピクピクと痙攣するような動きをする先輩の眉。そんな私に……

「ごめんなさぁぁーーーい!!」

天誅が下った。

 

「……………で、ココに結論を書くんだよ。あと、もう少し考察は長いほうがいい。あの樋口って教官は、基本的にレポートの判断基準として考察を重く見るからな。それに、ここの表記はヤバイ、これじゃあ他の意味に取れてしまうし、何よりもこの例外の症状に当てはめた場合……」

勉強に集中して、早3時間。現在の時刻、午前1時半。

それまで先輩は、飽きもせずずっと、私のレポートを手伝ってくれた。

ココまでくれば、私も楽に仕上げられる。

基本的に注意すべき点は押さえたし、それに何より先輩のお蔭ですごく分かりやすかった。

というか、普段講義の大切な部分のみを記憶しているのに対し、今回は先輩の一言一句を聞き逃すまいと聞いたのが良かった。

うむ、何か自分の真の実力発揮って感じ?

結果、このような短時間でのレポート完成。

と、一通り説明を終えた先輩が、ふうっとため息をつく。

「……どうにか、なりそうだな……あゆみ」

そして、そう、言った。

「ええ、もう、先輩には大感謝ですねぇ…」

にっこりと、極上の笑みで答える(答えた……つもり)私。

「それにしても、ん?この本は……研究室にあったやつか?」

憧れの先輩から恥ずかしいものを発見され、私は幸せな気分はどこへやら、恥ずかしくなり下を向いてしまう。

どうせ『お前…何を勉強してたんだっ!!』とか、天誅がぁ……と、覚悟を決めた瞬間、

先輩は笑っていた。

え…?

その笑顔に一瞬、見入る。惹きつけられそうになる。

「この本…懐かしいなぁ。オレも、レポート仕上げようとして研究室から本引っ張り出してきてさぁ。この本掴んだときは焦ったぜ…」

「あ…先輩も…ですか?」

顔を赤らめる先輩。

「ああ、懐かしいなぁ。ぶ厚い本をとにかく掴んでな。なんか参考資料として使えるだろうとふんだんだが、残念無念ってな」

アハハ、と笑う。

先輩の……笑顔。

「私もなんですよ、まったく…なんで教授はこんなものを…」

それから私達は、夜更けまで、ずっと雑談をしていたのだった……。

幸せな時間は、あっという間に過ぎてゆく。

ありがとう………先輩…一生忘れません……

 

そして、一週間後。

 

「おおい、御影!御影はいるか!」

講義の最後。私は樋口教授から、呼び出しを食らった。

「はいぃっ!!な、なんでしょうか!!」

周りの学生もクスクスと、何時も私が怒られている光景を想像し、笑う。

ううぅ……私、今日なんか悪いことしたかなぁ??

反省してみるものの…特に思いつかない。

強いてあげれば、教授の講義を30分ほど熟睡して(講義は120分)いたことぐらいだろうか?

「樋口、非常にいいレポートだったぞ!」

と、次の瞬間、怒られることを覚悟していたので、意外な言葉に虚を突かれたような表情になる。

「あ…」

「おおい、皆! 御影君の作ったこのレポートが非常に素晴らしい。是非、参考にするように」

教授はそう、構内の学生へと言った。

周りの学生が『おい……嘘だろ……』といった感じで、私のほうを見る。

「それでは…解散!今日の講義はココまで!!」

そして、私の講義は終了した………

これも、先輩の………

 

それから、時は流れて…

 

「へぇ、そんなことがあったんですか、あゆみさん?」

目の前の黒髪で、綺麗な女性が微笑みかけてくれる。

そう、みずきさん。

もう大学を卒業し結婚。

先輩と奥さんの2人とも北海道の病院へと転院して来て、そこで医者見習いの私とであった先輩はであった。

最初は、とても驚いたけど。

そして……………それからすぐの交通事故。

みずきさんは重態で、一回は死の淵に立たされた。

しかし、そこは先輩が……、みずきさんの旦那さんが手術で、成功率50%の手術を成功させた。

成功しても、半死半生。

そんな状態のみずきさんを、先輩は何日も待った。ずっと……ずっと、目覚めるまで。

目覚めると信じ続けて。

その間に、汚いと思いながら、先輩の悲しみに付け込んで、誘惑もした。

でも………先輩はみずきさんを選んだ。

そして………今、みずきさんは元気になり、目の前に居る。

そう、とても幸せそうな笑顔で…………………。

 

「それにしても、あゆみ、よくそんなこと覚えてるよなぁ。オレはてっきり、脳まで筋肉になっちまったかと思って…グヘェッ!!」

先輩は最後まで言う前に私の拳で吹っ飛ばされる。

「お、女の子にそう言うことを言っちゃあ…いけないんですよ!!」

「聖人さんっ。一体、女の子の事どう思ってるのかしらっ?」

「ふ、相変わらず、デリカシーがないな・・・星野。それに、よく懲りませんねぇ」

横でみずきさんにお酒を注がれつつ、飲んでいた篠原先生が冷ややかな笑みを浮かべる。

三人から責められる先輩。

「ふ、ふるへぇやぁいっ!!しほはらぁぁ!(う、うるせぇやい!篠原!!)」

必死に訴える、先輩。

その姿は、いつまでも先輩で。

あの頃の………先輩で。

そして……………私は…………。

 

今でも、先輩のことを―――

 

 

 

Fin