〜イントロダクション〜
"に"
「あ、おはようございます」
と、キッチンまで降りてきた僕は一人の女の子から声をかけられた。
ずずっと、優雅にテーブルの上のコーヒーを飲む。
その仕草に毎度の言ながら見とれてしまう。
と、その横でジト目……いや、これは最早仇を前にした武士の目で睨んでくる美咲。
それは”警告”。そして同様に”危険信号”でもある。
し、視線が痛いです……美咲さん。
彼女の名前は乙葉 薫。イツハ カオルという珍しい名前だ。
その横にはちゃっかりとニコニコ顔の美咲。
……なんでか、美咲は昔から薫のことを尊敬してる節があるのだ。
よくわからないんだが。女通し、何か分からないのだが、通じ合うものでもあるらしい。
「ん…おはよう…カヲル」
寝ぼけ眼で挨拶する。というか、照れ隠しであるが。
その様子を見てクスっと笑う薫。
「相変わらず…だねぇ、和くん」
その呼び方やめい。そのせいで、結構噂が立ってるのを本人は知らないのだろうか?
………いや、きっと知っているのだろう。薫はどうもそういうことをして楽しむような節があることを、最近気づいてきた。
俺では図りかねることが出来ない、そんな人物なのだ。
頭をかく。その仕草をみて、さらにクスっと微笑む薫。
「本当ですよ…薫さん。どうにかなりませんか、このぐーたら男。甲斐なしで節操なし。一緒に長年住んでるのに、未だに一回も襲われたこと無いんですよ〜」
誰がお前なんか襲うか。返り討ちにされて逝ってしまうわ! っと、内心思うが言葉には出さない。
そんなこと言おうもんなら、今日こそが愛と情けの命日と成ってしまうことマチガイないっ。
心底悩んでいるような様子で聞く美咲。その様子を見てさらに薫が笑う。
俺はそんな様子に、さらにマイって頭をかくのだった。
乙葉 薫は、俗に言うお嬢様である。
まあ、どーんと豪邸に住んでて、召使やらメイドやらがわらわらいる…わけではないのだが。
幼稚園、保育園、小学校と、ちょっと身分が違う人間が行くような学校に通っていたのである。
だから、動作がとても優雅だし、多趣味。
何よりも人との接し方が優しい。少し赤がかった髪の毛には艶があり、黒い大きな瞳はとても優しそうに見える。
髪の毛はロングヘヤーで、ソレを肩よりも下まで一直線に垂らしている。
制服はどこも手を加えておらず、スカートも膝下。
まあ、美人は無理に服などをいじらなくとも十分美人なのだなぁと、感心してしまう程だ。
そして、前にも書いたがとても優美な雰囲気を持っているのだ。
美咲から見れば、そんな薫がとても”大人”に見えるのかもしれない。
その部分だけは、根本的に僕らと違う気がする。
教育って大事なんだな………と、しみじみ思う。
で、その薫が何で僕の家のテーブルで朝のモーニングコーヒーを飲んでいるかというと。
理由は簡単、単純明快。
僕を迎えに来たからだ。そして、その理由はさらに簡単。
よもや幼馴染だったり、小さいころ結婚の約束をしていたり、前世で恋人だったりしたと想像した人、人生はそんなに甘くない。
お目付け役、ようはそれである。僕は遅刻の常習犯で、彼女は学級委員。
家も比較的近く、まあ、通学途中に通ってこれる範囲。同じ中学校。
そこから導き出される答えは………、そう、お目付け役であり、”監視員”。
何故そんな面倒くさいことを、生粋のお嬢様が引き受けたか、それも理由は簡単。
断る理由が無かったから、……………まあ、確かに。
いやぁ、いい子だねぇ……。僕にとっては迷惑だけど。
僕はそんな変な父親感情を出して、目の前のコーヒーをすするのだった。
「うーん、難しいかなぁ。私、もうかれこれ二年通ってるけど、和くんがまともに起きれたのって、稀(まれ)だよね?」
「はぁ、我が兄ながら、情けないです」
妹に同情されたくは無い。しかし、口に出しては言わない。
これは僕にとって死活問題だからだ。文字通りの、”生死”の問題。
……こう考えると、僕って物凄く弱い立場に居る?
「それより、和くん、時間、大丈夫なの?」
と、薫。その言葉を聞き、何気に時計を見上げる。
母さんと父さんは、同じ職場。別に職場結婚ではなかったのだが、お母さんの方が物好きにもお父さんの会社に入社したのだ。
えっと、何か環境コンサルタントとかなんとか……。
まあ、父さん自体が地位が高く、入れることは難しくなかったのだろうが、普通しないだろ、そんなこと。
大会社だぞ? サイコな夫婦だった。
母さんの方も、実際に実績を出して、今では父さんと同じ地位にいるらしい。
部長だっけか? 確か……。あー、軟化最近昇進したとか言ってたけど…。よくは知らない。
見事なジェンダー無視っぷりである。ガラスの天井とはよく言ったものだ。
まあ、いいとして。結果、両親共働きで朝飯は自炊。度々、夜飯も自炊する。
育て方が良かったせいで、僕も妹も料理は一人前にできるから、困らないんだけれども。
というか、あの母親あって、この子どもあり、である。結果グレてないからいいものの……一歩間違えば不良だぞ?
今さらながら、我が母親の過度な”奔放”っぷりが理解できて、少し体を震わせる僕なのだった。
時間はへの字。無論、その文字が下の字になった時点で家を出なくてはならない。
「ん……ああ、そろそろ危ないかもね……」
時計を見る。確かに、ゆっくりしすぎれば、遅れるような時間だ。
「兄、薫さんに迷惑かけないように、準備しろよ」
美咲がジト目で見てくる。目の裏では『醜態を曝すくらいなら、殺す』と語っている。
目は口よりものを語るってのは、本当らしい。
いや、怖いよ………。これ以上ないというくらい露骨で。
「わかったよ……ったく……」
とりあえず、テーブルに付いて、妹が作った飯を食べる。
その間も二人は何やら話していたのだが、ほとんど聞こえない。
と、いきなり僕に話が振られる。
「あ、そうそう、兄。昨日は誰に告られたの?」
停止…………………………………………………………………………。
…………………………………………………………………………、再起動。
手に持っていたトーストを置いてすうっと息を吐く。
よし、心臓の鼓動は止まったぞ。
「えっと……美咲、何でお前が知ってるの?」
とりあえず、聞く。答えは聞かずもがなであるが。
「ん? ああ、光からの情報」
……やっぱりね。そして、やっぱりか。
美咲の友達である光ちゃんは、僕の友達の妹なのだ。
しかも、その友達というのが無類のお喋り魔。
結果として、僕の学校での行動が逐一妹に伝わるわけだ。
やめれ………悠。つか、お前は俺とクラス違うだろ!!
悠と光の兄弟はどっちもお喋りだからな……。
そして、お互いにシスコン・ブラコンだし。
一瞬、脳裏で二人が『お兄ちゃん……』『光……』といちゃついている映像が出る。
………絵になってるのが恐ろしい。
お幸せに。(想像の中の二人に向けて)
「ったく、悠の野郎……学校いったら覚えとけよ……」
慣れたし。いや、いろいろ。詰ってやろう、悠の野郎。
「男? 女?」
「………何で、俺が男から告白されないといけないんだ?」
とりあえず、聞いてみる。というか、そうしか答えられないのだ。
「いや、だってさぁ、兄……」
慣れたよ、いや、慣れたはずだったのだ。
僕の悩み。
そして、僕が日々抱えているジレンマ。
同時に、トラウマ。
「…………………女の子より、可愛いし」
…そう。
何を隠そう…。
僕は、女の子よりも”女の子っぽい”顔立ちをしているのだ。
「………女の子……だったらよかったんだけどな………」
その言葉に妹は『またか……』と言った表情で去る。今度は表情にはっきり侮蔑を浮かべて。
横ではお嬢様が、屈託の無い笑顔で笑っていた。