ぷろろーぐ


はじまり

 

なんとなく、きてみたかっただけ。

理由なんて無い。言ってみれば、それが理由だろう。

今、僕−久良木 和人−がいるのはとある場所。なんともない、ちょっとした”秘密の場所”といった場所だ。

この場所から僕らの住む町が一望できるような高台の上で、僕はダレていた。

徒然草序文の『つれづれなるままに〜』は、このような心情のことを書いたのだと、とりとめもなく思う。

ああ、ひぐらし、徒然なるままにココロにうつるよしなき事を書き作れば、さぞをかし…。
…何か違うか。まあ、いいだろう。一人で、苦笑。

季節は春の終わり。その高台では早々と木々が芽吹き、桜の花が咲いていた。

丘の上には、一本の大きな桜の木。

しかし、この桜は何かの影響で咲くことが出来ないらしい。成り切れない、桜の木の下。

 

 

何となく、気が向いた。

この場所にはよく来た。と言っても、年間数回だけれど。

お気に入りの場所だった。特別な思い入れはない。

でも、僕は始めてきたときからここが大好きだった。理由はわからない、。

いや、実際、いつ来たのが初めてなのか、そして誰と来たのか。

何とために来たのか、そして何をしたのか。その全てが曖昧で、薄れてしまっている。

まあ、それほど昔からここにいるということだ。それほど、きっとボクにとって大切な場所だということ。

町を一望できる景色とか、地平線まで続く空とか、その横でささやかにたたずんでいる木々とか、草の声とか、そういうのとは別に関係なく僕は何となくこの場所が気に入っていた。

理由なんてない。理由なんていらない。

僕は昔から『女の子』みたいと言われてきた。実際、今もそうなのだけれども。

何も変わっていない。しかし、何もかもが変わっていた。

きっと、何かが変わって、きっと、何も変わらない。

 

 

僕らは今年で高校生になる。

正直に告白すると、先ほど入学式を終えたばっかりなのである。

一般に名門と呼ばれる学校に、僕らは中学校の甲斐あって入学することが出来た。

まあ、そんなことはどうでもいい。今は唯、自然を感じて寝転ぶだけ。

何も無い。自然と空間と、隣り合わせに座っていた。

 

 

不意に、声がした。

 

 

声がしたと感じたのは、実際に声を聞いたからじゃない。

ここでは、こういうことがよくあった。

専門家や批評家に言わせれば『幻聴』の一言で片付けられるようなもの。

でも、僕はその声を、聞いた。

 

 

―――――

 

 

ちょっと、嬉しくなる。

あたりは幸せで、僕らは恵まれていて。

いつもは喧嘩ばっかりだけど、やっぱりそこに絆は存在していて。

 

 

―――――

 

まるで、それが僕を容認してくれそうな勘違い。

全てを許してもらえてしまいそうなやさしい”声”。

暖かく、そしてどこか優しい。

 

 

また、声がした。

その声は笑っていた。同時に、僕も嬉しくなる。

まるで祝福しているような声。福音のように澄んでおり、宣託のように神々しい。

声と言うより、感情の奔流に近いような、もの。

僕はこの声が大好きだった。あたりは自然で。気持ちよくて。

自分が何であるのかなんて、忘れてしまいそうで。

世界と一つになる感覚。それはとても心地がいい。

 

 

「はぁーあ。また、始まるんだねぇ」

唐突に、今度はちゃんとした声がした。

「?」

僕は寝転んだまま、そっちの方に顔だけ向ける。

そこには、一人の少女が立っていた。

外見だけで判断するなら、おそらく15〜16歳。つまり僕らと同じ。

しかし、一つだけ違っていたのは、

「何が、これから?」

彼女は、僕を見てなかった。というより、瞳に何も写してはいない。

どこか空の虚空と話しているよな、そんなちぐはぐな雰囲気。

あまりの自然さに、そこに誰かいるのかもと思わせられるような感じ。

奇妙な、それでいて懐かしい――――

声だけが、届く。

「……クラスの委員長決め。また、学校始まるんだな〜って思ってさぁ。私は思うわけよ、どうしてこうも毎年毎年、こんな下らない事に思春期という貴重な時間を使ってるのかってね。結局最終的にくじ引きになるんだし、んな話し合いなんて必要ないじゃん? ソウ思わない、入学早々ダラけてる新入生の君?」

女の子がしゃべる。あーあ、気分が台無しだ。

折角感傷気味な感じだったのに。実際悩みなんて無いけど。

「なーんかなぁ……もっと、ミステリアスなこと喋って下さいよ…折角、こっちは黄昏てたのに」

無理な要求だった。

「あはは、無理。つか、君もなかなかやるね〜」

彼女もそれに答える。彼女の目が、すっと開かれる。

澄んだ、黒。今度は、直接僕を捕らえていた。

黒い、瞳。そこには光も、闇も無い。ただ、僕が写っている。それだけ。

「でも、一回言ってみたかったんだよね、演技でも」

悲しい笑顔。

とっても変な表現だけれども、僕にはそういったほうが相応しいような気がした。

「さ、新入生の君。そろそろ行かないと学校、本気で始まっちゃうぞ? 入学早々、『不良』のレッテルを貼られたいのかな? あ、もしかして君”俺は悪者だ〜”って豪語しちゃうようなタイプの人??」

「断じて違う」

「あはは、ごめん、見たら分かる」

と、目の前の女の子はたたっと、丘を降りていきそうになるところを、

「あ、ねえ」

僕が呼び止めた。

「?」

女の子が一瞬振り向く。

そして、僕は聞いた。

 

「貴方は、誰? また、会えます?」

 

 

「さぁ? 私は誰でしょ〜か?」

屈託の無い笑み。だが、本当は笑っていないことは簡単にわかった。

ただ、ただ一瞬。一瞬だけど、彼女は笑ったような気がしたのは気のせいだろうか―――

 

 

でも、多分、また、会える。きっと、それはこの桜の舞い散る丘の上で。

 

 

 

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