5月13日
「………ん?」
俺は、目を覚ました。そのままあたりを軽く見回してみる。
見慣れた部屋だ。いつも使っている学校のバックが、といってもまだ手に馴染まない様な新品だが、置かれている。それも無造作に。
ああ、思い出した。昨日は部屋に戻ってくるなり見たいTVが始まって、それっきりだった。
無論、一回も家ではカバンを開けたことすらないのが誇りだ。そのまま、視線を下へ。そこで、自分の時計がある。
毎朝毎朝、俺を至福の時から絶望の瞬間まで叩き落す憎き時計。でも、憎さあまって可愛さ100倍と言うよう(?)に、コイツがいなかったら俺は毎朝起きれないのだ。
ふむ…ここは感謝しておくべきなのかもなぁ…なんて思いながら時間を確認する。いまどき珍しいアナログ時計は、7:40をさしていた。
…? おかしい。いつもは7:30に目覚ましをかけている筈。それに、今日は目覚ましがなった記憶が無い。
さらには、また美咲のやつが殴りこみに来ていないのだから、まだそんな時間じゃないのか?
いや待て。冷静になれ。美咲も人間だ。そして、俺だって人間だ。目覚まし時計が鳴る。俺は五月蝿がるから、無意識に止めた。
ふむ、この仮説は信憑性70%くらいだろう。実際、やったことあるし。…あー、そのたびに時計を違う位置に置いたりするんだけどな。その度に枕投げつけて壊してたもんなぁ…。
反省。んで、美咲だが、アイツは何故か俺のことを恨んでいる節がある。だから、今日はいぢわるついでに起こしに来ない。
ん〜イマイチ信憑性が無い。30%ってとこか。じゃあ、美咲が単純に寝過ごした、とは考えられないのか。
アイツだって人の子だ。人生の中で、たまに寝過ごすことくらいあるだろうに。…むむむ、そうなると由々しき自体が。この時間になれば薫も………。
………あ、そうか。
こんな時間になったら薫が家に来ている可能性がある。アイツは寝過ごした事はないし、そもそもアイツは超が付くほど早寝早起きなのだ。
アイツは何故かウチの合鍵を持ってるから(本当に何故だ?)勝手に入ってくるだろうし(問題だが)。
となると残った可能性として…。あ、やっぱ。
見間違えた。時間は今、6:45をさしている。
…チクショー!! 何か、一杯思考しちまってからだが起きちまったじゃないか!!
「…はぁ、寝なおすのも、なぁ…」
仕方ない。俺は布団から出ると服を持って下へと降りていった。
…途中、目覚ましを消し忘れて戻ってきたが。
「ええええ〜〜〜っっ!!」
あーもう、五月蝿い。今は朝だぞ、それも、まだ7時前。
階下に降りてくるなり大声を上げる My ・ Sister 美咲。って、マジで五月蝿い…。
「ちょ、ちょっと兄!何でいるのよ!」
「いたら悪いか。ここは俺の家だ」
「う、うに…そ、そりゃそうだけどさぁ…まだ50分だよ?? ねえ、同化したの?」
「…なんで俺が”同化”せにゃならんのだ。てか、何と、だよ…」
「あーいやー早起きの神様と」
意味不明な妹だった。つか返し方が微妙なボケはヤメい。
「とにかく、今日は珍しく早起きしたからな。朝食くらいはと思ってな…」
よっ、と目の前のフライパンを素早く返す。中には特製・激辛チャーハン。朝から。
まずはチャーハンのクセに赤い! それでもって、辛い! さらには、唐辛子ではなく何とジャンを使って味付けをしている豪華な一品なのだ!!
…まあ、冷蔵庫の中にあったもので適当に作っただけだが。グリルでは魚が良い具合に焼けている
先ほど出しを取り終えた味噌汁も、あとは刻んだ野菜を入れるだけだ。チャーハンと味噌汁ってのがなんともオレっぽくていい。朝から。
…10分でここまで出来れば、立派な主婦だと言って良いのではないか? 自分の姿に惚れ惚れしてしまう。
と、目の前の妹が俺の姿を見て固まっている。まだ、固まってたのか?
「…なんだよ、美咲…そんなところに突っ立ってないで、早く食器出せって」
「いや…何ていうか…」
「…?」
「兄のエプロン、死ぬほど似合ってるなぁって…」
俺は手元にあったお玉を投げつける。直撃。痛がる妹。ははは、馬鹿め。
涙。無論、俺の悔し涙。
「っっ〜〜〜〜ったぁ! てか、ワカメ付いてる〜〜!! 洗顔したのに、阿呆兄っ!」
投げ返す。ふふふ、見切った。俺は手元にあった鍋のふたで……………あり? …無い??
鍋のふたは…何と妹の手の内に!? な、何故!! つか、いつの間に!!
メディカル・グッド・スピード??!!!!
次の瞬間、コーンと良い音がして、お玉は俺の額に直撃した…。しかも、かなりの速球。
し、死ぬ………。
「あら? お早いんですね、お2人とも?」
と、玄関から薫が入ってくる。
「おはよーございます! 薫さん!!」
先ほどまでの剣幕はどこ吹く風か。美咲が別人格へと交代して去ってゆく。
痛い…。額を摩りながらお玉を拾い上げると、
「ちゃんと洗えよ」
…軽く水洗いして味噌汁の中に戻した。
「あら…それにしても、和人、随分と早いんですね、今日」
朝の食卓。薫の明らかな不信を抱いた言葉。…そんなに驚くことか?
自問自答してみる………ふむ、まあ、妥当な反応…なのか? いや、何か納得いかない…。
「そーだよ、兄。ガッコで何かあった?」
「どーしてだよ…何も無いさ。てか、2人ともなんでそんなに不信がるかが理解に苦しむ」
魚をぱくつく。ふむ、良い感じに焼けているな。味噌汁をすする……あ、ちょっと出汁が足りなかったか?
「珍しいですよ、和人が早起きするなんて…珍しいというより……」
「うんうん、前に早起きしたときはいつだったかなぁ?」
「えっと…………私が家に来始めてからは一度も…」
「うにー…………私が生まれてからも一度も、だよ」
いや、嘘だろ。オレってどんな存在だよ
「ったく、ほら、美咲も早く食えよ。冷めるだろう」
「ん〜兄からその台詞を言われる日が来るとは思わなかったけどね…あ〜今日当たり槍降るかも。しかも全部ゲイ・ボルグ」
怖い!! 大量殺人じゃねーか!!
妹はそれから黙って味噌汁をすすっていた。ったく、俺の飯を早く食べろっての! 冷めるだろうが。
「兄、出汁薄い…」
「…俺も思った。だから、責めるな」
…まだまだ修行が足りないようだった。
「…巴と、何かありましたか?」
いきなり、そして唐突に前触れも無く、薫が聞いてきた。
……………。まあ、いきなりだけど、想像は出来なくはなかった。
先ほど家を出て、鍵を閉め、妹と軽いスキンシップを図ろうとして撃沈し、ちょっと沈んでいる矢先だった。
まあ、確かに実の妹相手に行き成り額をぶつけて熱を測ろうとするのは難しいな。クロスカウンターで思いっきり吹っ飛ばされた。
あー、某人物がうらやましい…。俺も、あんな妹がいればなー。でも、料理できないのは困るけど。…桜の花びらとか掃除大変だし。
むぅ、だからって自分の魂半分共有するようなサイコな妹さんも欲しくないし…料理できないし。しかもムネないし。
やっぱ俺が死んだら、樹に頼んで蘇生させてくれるくらいな妹が欲しいな。あ〜でも、消えてもらうのは困るなぁ。
もしくは、やたらと高く飛んでみたり。…あれはあれで元気がいいとは思うけど、何か今の美咲とそんなに変わらないっぽいしな…。
ま、結局何も変わらないのが一番なのかもしれない。
「…何も無い。ただ、気になってる。お前には嘘ついても仕方ないしな」
そうですか…と、悲しげにいう薫。 …? どうかしたのだろうか。
薫と巴というあの女の子は知り合いみたいだった。ちょっと前も下駄箱でなにやら話してたし。
「…なら、俺からも聞いて良いか。あの巴って子と、知り合いなのか?」
「…」
軽い沈黙。押し黙るというより、何を言っていいのかわからない、そんな感じ。
そんな態度の薫に、少なからず疑問を覚えた。
「…そう、ですね…知り合い、っていうほどでもないんですけど。お互いを知ってるだけで」
そういうのを知り合いっていうと思うのだが。まあ、いいとして。
「そうか…何か、嫌な事でもあったのか?」
え? と、疑問符を頭の上に浮かべている風で俺のことを見る薫。
こんな薫は初めて見た。何かに怯えているような、そんな薫は。
「…いや、すまなかった…」
少し早い時間帯、俺ら二人は暢気気ままに登校していた。
…2人? 何かを忘れているような…。
「あ…翼…」
「和人、僕がどうかした?」
「うわっ!」
唐突に、そして何の前触れも無く、声が発生した。それも目の前に。
「って、翼…お前、どーしてこんな時間に?」
「? 僕はいつもこの時間からいるけど…」
マジですか…。いつもより30分は早いぞ…。
「おはようございます、翼」
「……薫、どうかした?」
一瞬震える薫。あーあ、流石の洞察眼だこと。それに、友人だから隠そうともしない。
これを初対面の人にすると、大体は嫌われるんだよなぁ…。まあ、コイツもそれを分かってて、何も言わないんだけどな。
逆に、言われるって事は、それは友人だと認識してもらっていると言ってもいい。
「翼、俺が早起きしたんで動揺してるんだよ」
「………わかった」
明らかに不成立な会話。でも、俺は内心で翼に感謝した。今の薫は、何故か触れちゃいけない…そんな気がしたからだ。
『ソーレーっ!!』
威勢の良い声…無論女子の。残念ながら、俺は外見はコンナだが、内心はちゃんとした男狼なのだ。
そう、美人の女性がいれば追いかけておき、可愛い子がいれば優しくしてあげる。
そんな下心丸出しな優しきジェントルマンなのだ。…そんな男を捕まえて可愛いなどとは。笑止。
それにしても…朝も早くから威勢の良いことだ。体育館からは割れんばかりの女子の声が響いてくる。
…いつもギリギリ通学だから、そんなことを気にしている暇すらなかったしな。
先ほど、校門前で俺らは別れた。薫は生徒会が、そして翼は図書委員の仕事があるらしい。
一人暇な俺は無駄に校内を徘徊している、とそういうわけだ。今日は格別何も無いから、何をするも無い。
「ん? あー、和ちゃん…ぢゃなくて…和人さん」
…?
体育館前、一人の女の子から声を掛けられる。その少女は、いつか会った女の子だ。
街で、梓と一緒にいた、天然の女の子。確か、名前は…、
「私、千佳です。覚えてくださってました?」
笑って言う千佳さん…いや、何となくだが千佳ちゃん。
今はその身体を体育服に着替えており、その、なんとも露出度が高いこと。
…ったく、この学校は何考えてんだか。それに、そんな格好でよく恥ずかしくも無く男子の前に出てこれるよな…。
………男子として見られていれば、だが。もしかしておれ、恥ずかしがる対象ですら、ない??
それは、悲しい……。
「うん、覚えてる。今泉千佳さんだよね?」
「そうです! それにしても…本当に男の方だったとは…いやはや、失礼しました…」
俺の制服姿を見て苦笑いをする千佳ちゃん。
「…まあ、慣れてるからね…」
「それにしても、先輩、本当に女の方みたいですね〜」
…先輩?
「えっと…俺、同級生だけど…」
「あれ? 梓が『アイツは実は年イッコ上なんだ』って言ってましたけど?」
「…ああ、そゆこと。うん、確かに俺は皆よりイッコ上になるかな。小さい頃ちょっと事故にあってね。1年間、寝たきりだったから」
「は、はいぃぃ? …そ、その…す、すみません。嫌なこと聞いてしまって」
「いや、いいよ。てか、そんな感じしないだろ? だから、良いんじゃないかな」
……それにしても、梓の奴、何で知ってるんだ?この事はごく一部の人間しか知らないはずなのに…。
「それでは、和人君。コレより、証人尋問を行います」
今までの態度とは変わって、きりっとした表情になるチカちゃん。
…ひぐらしモード? 空気が、廻る。
「え? …証人尋問って?」
「では…えっと、和人君。今日はどういったご用件で?」
「あ……いや、何となくね。声がしたからさ」
「ふむふむ、何となく……ですか…では、どこから来られました?」
なにやらメモる千佳ちゃん。探偵の真似事かな? まあ、格好はブルマだけど。
つか、探偵の真似事か? あまりにも似合っていないと苦笑したけど、それを言い出せる空気ではなかった。
チカちゃんは、至って真剣だ。
「変なこと聞くんだね。勿論、校門のほうからこーぐるっと…」
と、建物を指差してみて、初めて気づいた。目の前の少女が何を言いたいのか。そして、何をしているのか。
コレは探偵の真似事なんかじゃなくて、単純に”犯人探し”なのではないのか、と。
「…女子更衣室の方向から、ですね?」
…やっぱり。
「ち、違う…」
「何が違うんですか?」
「お、俺は下着なんて盗んでないし…」
あ、墓穴を掘ったかも…。
「………和人君、ちょっとご同行を願いますか?」
「ちょ、ちょっとマッテ…」
「いいえ、待ちません。さあさあ、こうなったら見せしめです。貼り付けです。始終引き回しの上貼り付け拷問なのです!」
「そ、それを言うなら市中、始終じゃ長い……それに、貼り付けってペーストじゃ…いた、痛い痛い!!」
※市中轢き回しの上磔獄門、です。場合によって市中引き回し磔獄門とも言います。予備知識。
「問答無用! どうせ、毎日毎日、夜な夜な盗んだ下着を…履く…なり、被る…なりして、いやらしい顔をしていたのでしょう!!」
あー、何か千佳ちゃん顔赤いなぁ…。それに、掴まれた手が柔らかいし暖かいし。火照ってるのかな?
「いや、履かないし、被らないから。それにさ、俺、毎日ギリギリ通学で…あ、梓に聞いたら分かる―――」
「も、問答は無用です。さあ、自白なさい。わ、私の下着は…!!」
『…ねえ、千佳、誰、それ?』
数人の声。そこにいたのは数人のバレー部と思われるお姉さま方。
てか、身長高っ!! 俺は見上げる形になって対峙する。
「先輩、捕まえました!!下着ドロです!!現行犯です!!冤罪なのです!!」
「あはは、こんにちは…」
苦笑いを浮かべる俺。
「「「ふーん、あんたがねぇ…可愛い顔して、やってくれるじゃない、ボク?」」」
こ、怖いよ…お姉さま方…。しかも、何だか段々と近づいてくるし…。
身長が約30センチも違いそうな感じ…元々俺は低いほうだし…見上げるとお姉さまの顔が…。
「「「バレー部スマァァッシュッ!!!」」」
「べただぁぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
お姉さま方はキ○プ○ン翼よろしく、見事なコンビネーションでボールを俺にぶつけたのだった…。
悶絶。チーン…。
「アハハハハ、苦労だったねぇ、和の字」
ククククと、腹を押さえて笑い転げる梓。そして、横には申し訳ない程度の缶ジュース。
無論、俺が奢らされたのだった。笑われてるこっちが気持ちよくなるくらいの快笑。
散々バレーの的にされたあと、副部長権限とかで梓が俺を別室に呼びつけたのだった。
そして、缶ジュースを奢らされてると、そういうわけだ。その後は何とか梓の口利きで俺の誤解は解けた。
その際、俺がたっぷりと馬鹿にされたのは言うまでも無い。千佳ちゃんなんて後で謝りに来たときは、もうかわいそうってくらい泣きそうだったけど。
ったく、早起きは十文の損だな。でも、120円って、昔で言う何文なんだろうか?
知らないけど。古文の先生に聞いておこう。
「ったく、本当だぜ…千佳ちゃん、あること無いこと吹き込んでさァ…最後には俺、この世全ての悪にされかけてたし」
「ま、千佳の妄想癖は今に始まったわけじゃないけどさぁ……にしても、和の字。あんた何でこんな時にこんなところにいたのさ? タイミング悪いよさすがに」
「…お前まで疑ってるのかよ?」
「…? …ああ、まさか。和の字がそういうキャラじゃないってことくらい知ってるよ。それに、和の字なら、こんなヘマはしないだろうね。ふふ、それにさ、私の下着ならいつだってあげるよ??」
ニヤリと笑う梓。よりによって魔性の表情で。
「い、いらねーよ。もらっても、塩で清めて川に流す!!」
コレは信じてくれているのか、それとも馬鹿にしているのか。でも、何はともあれコイツのお陰で誤解が解けたんだしな。ありがたいことだ。
「…正直言うとね、助かった」
ちょっとの間。お互い、一息ついた後だった。
行き成りそんなことを言い出す梓。明らかにキャラじゃない。そんな梓に、面食らう。
「……何がだよ。俺はお前なんか助けたつもり無いぞ?」
「いや、幾分か雰囲気が軽くなった。実はね、下着ドロの犯人はわかってんだよ」
「はぁっ? …ならとっとと」
「そうもいかない。相手は同じ部員だし…。ボクのことをよく思ってないんだよ。だけど、ボクに直接何かするわけでもない」
「…同じ、部員? ……なるほどね。だから、周りにいた千佳ちゃんが狙われたわけだ」
「ふふ、和の字、理解が早くて助かるよ。よ〜わ、そーゆーことなわけ。下着ドロなんてハジメから居ないわけさ」
なるほど。これはこれで理由があるらしい。それに、梓も結構大変だったみたいだし。
まったく、そういう連中は見てるだけで腹が立ってくる。それじゃあ千佳ちゃんが可哀想ってもんだ。
ただ、俺がそこに介入していくのは得策じゃない。梓が、梓本人がなんとかするしかないんだ。
それにしても、こんな梓は、初めて見た。こんなの、薫のキャラじゃない。
まったく、俺が早起きしてみたり、薫が怯えてみたり、梓が沈んでみたり、今日はイレギュラーの連続だな。
まあ、新鮮だけどさ。気持ちのいいものではないが。
「…モチロン、ボクはこのまま終わるつもりも無いよ。敵が上級生だからってひるんだりしないし、ましてや部活を辞めたりしない。3年生が消えるまで、一年間辛抱強く待つ気も無いしね」
「…逃げない、闘う…か。……そっか。まあ、梓らしいな」
「応っ。だから、助かった」
にこっと笑う梓。その笑顔が、正直可愛かった。咄嗟に顔を逸らす。
「ったく、それで缶ジュース奢らされてるんじゃ適わないぞ…」
そのとき俺は、こんな悪態をつくことだけが精一杯だった。
「…また、か」
教室の前、俺はまた巴という少女と対峙した。俺の声を聞き、こちらを見る巴。
その表情は明らかに不信に満ちていた。まあ、そうだろう。俺が昇降口の方向からではなく、体育館に近い裏口から上がってきたんだから。
いつもと違うのだから。それでも、巴という少女は俺を見るなりどこかへと去ってゆく。
人は、まるで彼女を避けるように割れてゆく。朝の一番、人が多い時間帯にだ。
…何か、悲しいよな、そーゆーの。孤高といえば聞こえは良いが、それは言ってしまえは孤独そのものだ。
俺は、それを知っている………だから、分かる。巴という少女が、孤独だということが。
どうやら、俺は彼女に関わってしまうらしい。なら、こちらから仕掛けても問題は無いよな?
なんせ、意識しすぎて、なれない早起きをしちまうくらいなんだからな……。
もう自分でも気づいてるくらい、意思しちまってるんだから、な。
「……待てよ」
そう声を掛けたのは、放課後だった。いつもは巴が待っているのが普通だが、今日は逆だった。
巴と呼ばれる少女は、その言葉になんら表情を返さない。それでも、俺は続ける。
「何で、俺に構う?」
答えは無い。モチロン、分かっていた。
「何で、俺を、意識する?」
答えは無い。それも分かっていた。
だから、あえて、一言。内心をさらけ出して話すしかないのだ。
「そうか……なら、質問を変える。何で、俺は”お前を知っているような錯覚”に囚われる?」
一瞬だったが、巴の鉄仮面が崩れた。それは、あの翼が放った一言と同じくらい、彼女をゆすぶったらしい。
だが、一瞬目を瞑って、そして開くと、そこには憎悪にも見た感情が宿っていた。
そんな目を見たら、こちらは動かなくなってしまう。”魅入られてしまう”。
だから、目を逸らすしかない。飲まれるから、危険だから。
意思を強く持っているものと対峙するときは、自分の自我を強く保たなきゃダメだ。だから、俺は…
「ごめんなさい、何て言うと思った?」
巴は言った。極めて冷徹に、冷静に、そして冷淡に。
「見当違いもほどほどにすることね。私は貴方なんて知らない。薫の付き人の男、それくらいよ」
淡々と、それでもって冷徹に語る。
「さらにね、私達は会ったことも無い。だから、貴方のは錯覚そのもの。変に同族意識を持たないことね。異常者さん?」
クスっと、巴という少女は微笑した。いや、それはやはり嘲笑だったが。
俺は、そのまま、彼女が俺の後ろに去ってゆくまで、まったく動けなかった。
何なんだよ、まったく。
その夜、俺は昼間の学校のことを考えていた。最後の、巴という少女が言った”異常者”という言葉。
その言葉は…とこかで…。頭の片隅に、何かが残っている感覚。
何かが、引っかかって取れない。そんな感覚。巴という少女は俺のことなんか知らないといった。
残念ながら、それは下手すぎる嘘だ。オレにすら気づかせてしまうくらいの。
”彼女は意識してやっている”。確信しても良い。だが、思考は空転するばかりだった。
いつまでも同じところを回っている。先に進めない。巴という少女、薫のあの態度…そして何より、俺のこの、何か妙なものが引っかかっている感覚。
思考が先に進まない。この感覚は、まるでその記憶は封印されているような感覚を呼ぶ。
いや、もしかしたら封印してしまった記憶なのかもしれない。それが、巴とであったことで、取れかけていると思えば…。
「っったく、何だよ…」
ごろんと寝返りとうつ。と、その途端、
「ゴルァ、馬鹿兄ぃ!!! 風呂のヒーター、つけっぱなしだっただろうが!! めちゃくちゃ熱いぞぉぉぉぉ!!!」
妹に、悶絶させられるのだった……。寝よ…。
今は、とりあえず、全部忘れて―――そうすれば、きっと明日は元通りだ。