05月21日

 

 

「それにしても……久良木。君たちは、実にいい見せもんだったな」

と言ってきたのはオレの大親友(他称)にして、俺の唯一といって良いほどの天敵。梓とはまた違ったタイプの”苦手キャラ”である。

それにして、俺を理解してくれる数少ない人間の一人。つか、無理やり理解されている、知られているというのが正式であるが。

その名も、神楽坂 悠。こう書いて『カグラザカ ユウ』と読む。残念ながら、”知り合い”ではない、一方的に知られているのだ。

その妹は神楽坂 光という。光ちゃんは俺の妹、美咲の友人だ。つまるところ、兄妹二人そろっての友人である。

さて。何故神楽坂という、俺とは違う学校の人間がここにいるのかというと…理由は簡単。

悠の悪癖のせいだった。悠の悪癖、それは簡単に言ってしまえば”探偵病”とでも言うもの。

どんな些細な事態も詳細に感知し、はっきりいって悠に訊いて知らないことは無いと言ってもいい。

それも情報通というレベルからは激しく脱線している。

本人曰く、『オレに知らないことといったら、どこぞの国家機密か、それか妹のスリーサイズ』と言う話だ。

…それが、洒落にならないほど当っていて、事実オレはこいつに知識の量などで買ったことが無い。

それに悠は学業も洒落にならないほどの成績の持ち主だった。

絶えず全国トップとか、そう云うレベルではない。というか、ランクだけで言うなら俺よりも下。

だが、悠の場合は違う。何と言っても悠は、『小学生のころ足し算を学んだ段階で、自力で四則演算の公式を導き出した』といわれるほどの天才なのだ。

いや、実際はあと少しでフェルマーの定理とか何とかまでいきついたらしいが。相対性理論を中学生辺りで読破していた気がする。

ま、こっちは話されても分からなかったし、本人自身もそこまでそれを誇張しなかったのだけれども。

…本当か嘘かは定かではない。本人も、忘れたで通していたし。ただ、通信簿に『あまりにも頭がよ過ぎて、逆に悪すぎで、扱いに困る』と書かれていたらしい。

つまり、そういうこと。桁外れのIQを保っており、桁外れの発想、さらには超人的な情報収集能力。

これが、オレの知っている悠だった。だが、この完全無欠人間にも、欠点はある。それは、記憶力。

発想の展開、それに理論的思考などは得意とする分野なのだが、記憶力だけはめっきりだった。

だからいつもテストの点数が悪い。何と言っても、公式を一つも覚えれていない。歴史の事実などさっぱり。

そのせいで、この天才は、オレよりもレベルの下の高校へと天降りしたのだが…。

「って、悠。あたかもその場にいたようないい振り、いい加減に直せ」

「ん? ああ、悪いな。どうも、オレは”自分が見たこと”として認識しないと、記憶できない性格でな。久良木くんも知っているとおりだ」

「ったく…お前が言うと、本当に覗き見てたんじゃないかって言う不安に駆られるよ…あまりにも正確すぎるから…」

「それは最上級の褒め言葉としてうけとっておこう、久良木くん」

そして、何故かオレのことを”久良木くん”と呼ぶ。理由は不明。

まあ、どうせ訊いたところで『久良木兄妹が二人いるからな。苗字で経験(おぼえ)たほうが効率がいい』とか言うだろうし。

「…さて。悠。今日来たのは、俺が学校でそんな醜態を晒しているのを笑いにきたのか?」

そう、今日突然、というか朝起きたら隣にという本当に突然、こいつは現れた。

ちなみに、今日は学校である。…コイツは、何を考えているのかわからない。

「もう少し理論的になれ、久良木くん。オレがそんな暇人に見えるか?」

「見えるね。朝のそれも6時に、オレの枕元に行き成り現われやがって…暇人以外の何者でもないだろうに」

「はぁ、まったく、久良木くん、もう少しは論理的思考をしたまえ。俺は逆に時間が無いから、早朝に君の部屋に忍び込んだのだ」

時間がなかったら忍び込むのか、お前は。それが世間では不法住居侵入罪と言って立派な犯罪だ。

「はい、兄と、悠さん。お茶です。あと、悠さん。最近、光、どうですか?」

と、そこで卓子に美咲が寄ってきてお茶を差し出す。それを一瞬悠は眺めると、ふむ…と少しうなったかとおもうと、一気に飲み干した。

…熱かっただろうに。ポーカーフェイスは崩さないらしい。

「む。熱い……こほん。で、光の話か? いや、普通に健康に育っているよ。いささか胸が育ちすぎな感じはあるが、それでも予測範囲以内だ」

それが兄の科白か…? てか、”予測範囲”って何だ…?

「その、学校とか…?」

それに対しても突っ込まない我が妹。うむ、悠の扱いには慣れている。いや、光ちゃんはもっと凄いからな…。

「ああ、そういう意味か、久良木妹くん。うむ、光は少し目立ちすぎる節があるからな…ただ、いぢめのような事態にはなっていないことは保障しよう。そういう事に成っていれば私が知らないはずが無い。まあ、光自体が隠蔽工作をしていれば、難しいだろうが」

相変らずの、ズレた兄妹愛だった。それでも、悠は光ちゃんのことを溺愛している。

それは、多少兄妹愛を逸脱している感じがあるけど…。それでも、こいつら兄妹に付いて言えば、認めて良いかもと思う。

どちらもルックス抜群。それに、天才肌。逆に言えば、こいつらは兄妹じゃないと釣り合わない気がするくらいだ。

「そうですか、よかった…時々電話では話すんですけどね〜心配で…そ、その、いろんな意味で」

いつもと少し違う美咲。美咲はどうも悠が苦手らしく、どうもよそよそしい。

苦笑いの美咲の反対側、悠は何故かうんうんと頷く。

「ああ、伝えて置こう、今の言葉一言一句な」

「阿呆。記憶力悪いくせに覚えられないだろ。で、用件はなんだ? もうそろそろ、薫が来るからな。お前は、帰らなくちゃいけないんじゃないのか?」

「ふむ、そうだな。まあ、それにしてもお前らはまだ『夫婦通学』を続けていたとは…知らなかった」

「…さっさと用件を言え、用件を、んで早く帰れ」

「ああ、そうだったな。すまない。さて、単刀直入に言う。例の少女『巴』についてちょっと調べてみたのだがその結果言わせてもらえば、あの少女とは付き合うな」

と、悠は今度もいきなり真面目な声で言ってくる。しかし、その言葉自体があまりにも自然だったので、その重要性が少し下がっていたが。

…悠にしては珍しい。いや、俺が悠という人間にあってから始めてのことだった。

悠が他人のことをどうこう言うのは、それほど珍しいのだ。コイツは、他人に関して、”一切関心を持たない”。

情報は持つが、ソレに対して自らの意見を述べる事は、稀中の稀。

「………いきなりだな。だが、どうしてだ?」

「いやな。彼女、お前らの学校ではどういう身分になっているのか分からないが、日本社会においては彼女の地位はまさに天皇と列んで高い地位だ」

「………天皇、か? 話が飛躍しすぎていて…」

「FrontForesterInc.。通称F.F.。お前も聞いた事あるだろう?」

「フロント…。ああ、あの、このまえちょっとスキャンダルで騒がれてた会社か? だが、それがどうした?」

「巴という少女は、その御曹司にあたる。つまりは、このまま行けば、彼女はその会社の会長のポストに納まるだろう」

………初めて、聞いた。つか、誰もそんなこと、微塵も話していない。

俺たちの学校ではそういうことは全く話されていない。噂すら、ない。

まあそれは、巴自体が他人との間に壁を作っているからだろうし、話そうとしないからだろうし、そもそも巴という少女について誰もしらないからだろうが。

しかし、そんな大きな話なら、話題になっても良さそうだが…。

ただ、そう言われると彼女の動作も肯ける。他人と少し違う気色に、あの孤高とも言えるオーラ、それに完全無欠の知識。

そう云う意味では、薫にも優らず劣らずの優等生なのだ。だが、それだけだろうか?

オレが初めてに巴に感じた違和感は、それだろうか。違和感の正体は、住む世界が違うから、だけだろうか?

それだったら確かに彼女の特異性の証明にはなるけど、でも”邂ったことがある錯覚”の説明にはならない。

「それに、それを彼女事態が直向に蔽している。そしてついで言わせてもらうと、企業自体、巴との関係性を蔽したがっている節がある。俺もこの事実を知ったのが、つい最近だ」

…その話、昨日聞いたって言ってなかったか? まあ、いいが。

「関係性ね……だが、それはつまり、彼女事態が無関係って結論にはならないのか?」

「残念ながら。確かめた。どうやら戸籍上はまだ繋がりがある。だから、”何かある”のだ。何も無いのなら、普通に『大企業の御曹司』という肩書き堂々、転入して来ればいい。

そう言う人物なら、ああいう孤高のイメージも合うだろうし、少なくとも辺りは”これでいいのかも”と納得すだろう。

ああいうタイプである以上、”御曹司”という免罪符が無くて困ることはあっても、あって困ることはないだろう?」

確かに。しかし、さらっと、法外措置だ。てか、ハッキングするな。政府の人達が可哀想だろうが。

「…ま、気には止めて置くよ。態々感謝する。だが、俺は今まで通り、やっていくつもりだ」

「何、気にするな。俺も多少興味があったのでな。では、これで失礼する。外で、光が待っている」

「ああ……って、おいっ!! 朝からずっと待たせていたのか!!? 光ちゃん」

「莫迦なこというなよ、久良木君。妹が人の家の前でずっと待つ性格だと思うか? ふむ、本気でそう思っているのなら、その認識は今すぐ改めたほうがいい」

…確かに。光ちゃんの場合だったら、いきなり家に入ってくるなりハイテンションでまくし立てて行くだろう。それは、保障してもいい。

「…相変らずだな、お前らは」

「人間はそう簡単には変らんよ、久良木くん?」

と、悠がそういった次の瞬間、玄関のベルがなる。おそらく、光ちゃんだろうが。

「はーい??」

それに美咲が答える。

『この声はミサリンかな? あーーーおはよーーー!!』

…玄関で会話しているはずだよな? と疑ってしまう声の大きさだ。

『おはよー! 光、元気??』

『元気だよっ! もーばっちりって感じで! もーあんまり元気すぎてさぁ、最近ちょっと暴れたり無いっていうか!? 不満なんだよね〜。部活じゃ、誰も相手に成らないしさー。』

『あ、相変らず続けてるんスか? テニス。』

『当然必然無論勿論当たり前! 私からテニス奪ったら何のこるのさー? って感じ? もーラケットは親友? ボールは愛人? って感じだよ!』

『アハハ、相変らずッスね〜〜』

…まったく、オレの回りはこー、どうしてこういうキャラがおおいんだろうか。ちょっとその玄関での会話を聞きながら思う。

平穏が欲しいな〜…と。あ〜、薫が唯一の平穏なのかも…。

「ふむ、光も来た様だしな。私はそろそろ退散させてもらおう」

「ああ、そうしろ。ウチの妹はそろそろ台所に戻ってきてもらわないと、味噌汁が大変なことに成る」

「ふむ、心得た。では、アドバイスはしたぞ? では、これにて」

その言葉に、オレは片手を挙げて答える。しかし、実際それは出迎える意思の無い証明だったし、そもそもそう云う必要は無かった。

考えることは、勿論巴のことだ。FF会社の御曹司。それを隠蔽する企業と本人。無いと見せかけられた関係性。

そして、何よりも日増しに強固に成りつつある”巴に対する異質な違和感”のことだ。

始めは『どこかで邂ったことがある錯覚』だったのだが、最近になってくると懐かしい感覚まで感じるようになった。

…しかし、その気持ちが明確に何を表出すのか。オレは分からずにいた。心の奥底で何かがひっかかっている感覚。

答えが分かっているのに、その解き方を忘れたような。心の中が、すこしだけぽっかりと空いている様な。

喪失感。忘却感。欠落感。なんとも形容しがたい感覚。

オレは、それを日増しに感じているのだ。巴と言う少女は、いったい…誰だ………?

 

 

「…和人?」

と、オレはその言葉ではっとなる。急いで辺りを見渡す。そこは教室だった。

そう、自分の教室自分の机。今はどうやら昼休み。

毎度も通り、薫がオレの机に寄ってきて弁当を広げようとしているところだった。

「あぁ…ごめん、薫。何の話だったっけ?」

「いえ、私も今きたところなんですけど…?」

会話が、成立していなかった。その様子に、少し薫も心配そうな表情をする。

「…すまん、薫。ちょっと、考え事してた…」

「和人、朝からそればっかりです。…森崎さんの、ことですか?」

最近、薫は巴のことを”森崎さん”と呼ぶ事に成っていた。真意はわからない。

だが、薫が何かしらの感情を巴に対して感じているのは、どうやら本当のようだ。

「ん〜ま、そんなとこ。当らずと遠からずって感じ?」

芸とおどけて見せるが、薫が逆に悲しそうな表情をする。

「…和人。ちょっと、最近おかしい」

そう言ったのは翼。翼もいつものとおり、どこからか買ってきたパンを齧ろうとしているところだった。

「ああ、自覚はしてるよ。流石に、ちょっとな…」

そう言ったのは半分冗談で、半分本気だった。その様子に薫が何やら話したそうにするが、それを背後の少女が遮った。

その少女はオレとのころに来るなり、小さな声でオレに耳打ちする。

『ねー、久良木、外、廊下、彼女、いるよ?』

オレはその言葉に従って、廊下を見る。それにつられ、薫も。

翼は、もう知っていたといわんばかりな態度だった。

「ああ、だな…呼んでた?」

「ううん。でも、ずっとあそこで立たれてると、その、ちょっと…さ」

彼女の言いたいことも分かる。巴は、この学園ではどうやらもう嫌われ者…というか、避けたい人間に成っているらしい。

まあ、仕方の無いことだけれども。だから回りの人間が、巴の処理をオレに任せる必然性は、分からなくも無い。

御曹司という免罪符が無くて困ることはあっても、あって困ることは無い、か。ただ、本人がそれを”問題”と捉えない場合どうだろう?

もしくは、本人自身がそれでいいと思っている場合は? 答えは出ない。

「わかったよ。今、行く」

オレはそのまま席を立った。途中、翼が『…次、移動教室だから』とボソっと言った。

要は、早く戻って来い、という事だろう。それとも、待たないという意思表示だろうか。

表情からは何も伺えなかった。

 

 

「…何か、用?」

オレはそのまま廊下に出て、ただ何をするとも就しに突っ立っている巴に話しかける。

辺りの雰囲気が、また変る。だが、オレはもうその雰囲気に慣れつつあった。

オレの言葉に反応したのかどうかは分からないが、巴が一瞬目を瞑る。

何かを考えているようにも見えるが、その表情が『私に構わないで』と言っているのは明白だった。

「…あのさ、何か、用があったんじゃないのか? 何も無いのに、来たのか?」

すうっと、巴の深い碧色の瞳が開く。まるで、吸い込まれそうな、神秘的な感じだ。

オレは少し彼女を見上げる相のまま、その完成された態に魅入っていた。

完璧な態に感想は無い。あるのは、ただ圧倒されるばかりの、ソレそのものだ。

それに魅入っていると、彼女は首を振った。

「用は、あった。でも、それは、もういい」

意味不明なことを言う巴。

「和人に会うことが、私の目的だったから」

…相変らず、人の正面で、そう言うことを言ってくれる。

というか、最近段々に分かってきたのだが、コイツには常識が無い。

世の中を知らない。強いては、人の気持ちを知らない。

「……そう、かよ…なら、もう…」

「ええ、目的は果した。私は、消える」

そう勝手に会話を終えると、彼女はオレに背を向けて歩いていく。その姿が、何か言いようの無い、寂しさを醸し出していた。

「…………巴。一緒に、飯、食べないか? ほら、薫だっているし」

そう思うと、口が勝手に滑っていた。だが、薫はちょっと振り返ると、

「…ありがとう、和人。でも、私に資格がない」

そう、極上の笑みと供に、言い切った。………一体、何なんだ…。

さらに分からなくなった俺の情とは裏腹に、巴は優雅に去って言ったのだった。

オレは、彼女の微笑みに完全に骨抜きにされたまま、突っ立っていた。

 

 

 

そんなことがありながら、日常は経過して言った。そして、その後日。テスト前の最後の連休である今日。

日は快晴。最近は梅雨に入りつつあるということでじめじめした雰囲気が続いていたのだが、今日は今までが嘘のようにからっとしている。

時刻は、大体お昼時。町の商店街では沢山の人間が、今まで雨の中に禁められていた鬱憤を一気に爆発させるかのように、いる。

バカップルしかり。親子連れしかり。そして、何故かテスト前なはずなのに学生も見られる。

…休日まで制服で歩く神経が、オレには信じられないのだけれども…。内心、毒突く。しかし、それは実際に言葉には成らず、吐息と成って消えた。

――労れた…オレは、今商店街のど真ん中にいた。それも、洋服店。

いや、もっと正確に言うならランジェリーショップ。勿論、男のランジェリーショップなどあるはずも無く(あったところで、行くわけがない)、女の店だ。

当りはピンク、白、紫と、様々な下着。無論女物。そんな中、オレは何故か目の前の2人、薫と美咲だ、に付き合わされて店に入っていた。

手には大量の荷物。てか、重い。マジで重い。洋服だけなはずなのに、何故こんなに重い??

成分表示をすれば、ポリエチレンか綿のみだろうに、何故ココまで重くなることが出来るのだ!! と訴えたいほど重かった。

それに、あたりの光景も、オレの神経をすり減らせていた。…というか、男として正気を保ってられない場所だよな…。内心、思う。

「ねえねえ、兄〜。この下着どうかな?」

「…あー、いいんじゃねーか?」

「和人、ちょっと派手過ぎませんか?」

「…いや、お前にはそれくらいがいーんじゃねーか?」

「ねえねえ、兄〜見てみて、可愛くない!?」

「…ああ、そうだないいんじゃねーか?」

「和人、この下着なんですけど…」

 

 

オレは、店を出た。

 

 

「って、兄っ! 何勝手に荷物持ちが消えてるさ!!」

店から出てきた、我が愛するべき妹は、重たい袋をもう一つ追加(って、あそこ、下着だけじゃなかったのか…何故、こんなに重い…)しながら、文句を言う。

「ぶざけんな、マイ・シスターよ。あんな場所にいて正気でいられるわけがないだろうが!」

「まあ、発情しちゃったんですか、和人?」

「……薫、キャラ変ったよな…」

アハハと笑う、女の子2人組。その前に崩れ落ちるように項垂れる、外見女中身男。

てか、労れる…。肉体的に、精神的に。

そもそも、オレより確実に美咲の方が体力があるし、筋力があるのは明白だ。

…何故、俺?

「あーあ、お腹空きません? 薫さん」

「そうですねー、どこかでお昼にしましょうか…?」

そのまま歩き出す2人。…この薄情女どもめ。俺は紙袋を持って、背後を最低限の距離を保って歩き続ける。

てか、前があんまり見えない為に、距離が開いてないとぶつかるのだ。

と、

「ぐわっ! 兄!! ちゃんと前みろー!」

ぶつかった。

「こら、てめーら。お前らが少しずつ持てば良いだろうが! 何のために俺が付き合わされてんだよ!!」

「ん? 日頃の感謝の気持ちの表れとして手伝ってよ?」

「…『他人から言われる台詞にそぐわない台詞No.1』だな…そりゃ」

「まあまあ、和人。それに、店に入れば寛げますから、それまでの辛抱ですって」

薫がやんわりと俺を宥める。その言葉に何も言い返せないでいると、妹がまた歩き出した。

それにつられて俺も歩き出す。ったく、テスト前の学生なのに、何でこんなことを…。

内心、またまた毒突く俺だった。

 

 

「………いや、お前ら。荷物持ちくらいは、まー認めよう。うむ、流石に俺だって日ごろは美咲のお世話に、そして薫の世話になってるしな。ただ、たーだ、だ? 何故、俺がお前らの昼飯までおごってやらにゃならんのだ?」

「だから、日頃の感謝のお礼として…」

「黙れ、妹よ。俺にそんな金無いっての! てか、美咲が払うのが筋だろう? 一人で半分以上喰ってたぞ、全体の」

「まー、育ち盛りですから」

「こら、お嬢様。そんな簡単な言葉で俺を経済的な危機に陥れようとするな。この問題は俺にとって死活問題、死と生の問題だと言い換えても過言ではないほどの重要性をはらんでいる可能性があるのだ」

「むー、兄ぃ、少しくらい優しくしてくれても良いじゃん? だってさ、今日は私の誕生日なんだし?」

ん? そうなのか? ………あー、そう言えばそうだったような………………、

「……って、嘘付くな!! 当たり前のように嘘をつくな! てめーが生まれたのは冬だろうが!! 今は暑いっての!!」

「ナハハ、ばれたー」

クソ、駄目だ、こいつらといると、ペースが乱されっぱなしだ…。

「まぁまぁ、和人。何だかんだで払ってくれたじゃないですか。流石和人、ですね?」

『これ、貸しな?』

微笑むお嬢様。笑う妹。その2人相手に、そんな台詞を言えるほど、俺も甲斐なしではなかった。

それに、実際世話になっているのだし。くそぅ、俺の立場って一体…。

荷物もち、そして逆ひも。コレが俺の現状。…泣けてきた。

「さってとぉ! さらに、店、巡りますか、薫さん?」

「ええ、そういえば最近、ちょっと遠目のところに安い洋服屋ができたんですよ? 結構、有名ですし」

「よっしゃー。そーとわかれば、レッツゴーっすね!!」

「まだ行くのか……」

俺の地獄は、まだ続きそうだった。というか、現在進行形で増えて行く感じだった。

合掌。

 

 

始終、美咲は薫と話しっぱなしだった。いや、正確には、”俺の事を見ていなかった”とでも言うのだろうか。

まさに、ソレ。美咲の異常なまでの薫に対しての”固執”。

それは、おそらく憧れている薫が、俺と付き合っているという勘違いから来ているのだろうが。

それにしても、美咲の場合は病的だった。始終一人で笑い、一人で話す。

薫は基本的に人の会話を聞くに徹する方だったから、はっきりいって美咲しか喋っていない状態。

偶に薫が俺に話を振るも、美咲はそれを意にも介さず会話を展開していく。

俺のことなど、最初からいない人のように。俺のことなど、忘れたいかのように。

それでも、美咲の心のどこかには、俺を認める気持ちもあるのだろう。

”心が似ている”故に、相手の事が分かりすぎる。むしろ、相手とは違う風に成ろうとする。

……美咲と俺は、まさきそうだったと言える。美咲は本来、運動があまり得意ではない。

少なくとも、俺が経験ている限りでは、得意ではなかった。しかし、今はどうだ?

俺が病的で身体的に他人に比べて劣っていた。それを、美咲も見て育ってきているのだ。

だから、彼女は運動をするし、躯を鍛える。俺と、同じにならないように。朝だってそうだ。

美咲は、そこまで朝に強いという訳ではないのだ、本来。だが、俺より劣っていることは、美咲にとって恐怖なのだろう。

無理をしている。俺から見たら美咲は明らかに、ソレだった。だが、美咲は基本的に俺の言うことを聞かない。

実際、朝は薫がいるから話すようなもので、2人きりに成ると途端に会話が失くなる。

そう、美咲はそう云う人間なのだ。そして”そうしてしまった”のは、俺の責任だった。

だから、俺は美咲を拒絶してはいけない。そう、固く思ったこともある。

いくら、相手から拒絶されても…。

 

 

玄関口、あれから俺達は一旦自宅に帰ってきていた。そうして、もう随分と晩くなったころ、

「それでは、私はこれで」

そう云う薫が去る。その姿を見送り、俺たちが二人きりに成った。

その途端、空気が変る。明らかに拒絶のオーラ。

今までで”2人きりになった”瞬間が少なかったから、あまり意識はしていなかったのだが。

それでも、こうはっきりと意識してしまうと分かる。『美咲は俺を恐れている』ということが。

「………」

「………」

沈黙が、落ちる。俺らはそのまま立ったままだった。

動かない。動けない。今からは全ての事が、反転する。嘘に成る。

「…兄、言いたいことがある」

…先に口を開いたのは美咲だった。だが、会話に含まれる明らかな疎遠のニュアンス。

重い、雰囲気。閑かに刻が、静かに時が氷ってゆく。

裏の姿。決して見せることは無い。おそらく、親しい光・悠の兄妹すら知らない。

俺達兄妹の、溝。深い、穴。間に空いた、決定的な食い違い。

「…何?」

俺は、その言葉に抗おうとはしない。しても、無駄だ。美咲は、最初から俺を相手にはしていない。

俺は、いない。俺は、見えない。俺は、道具だ。それを、俺も認識している。

だから、俺もここでは素になる。蔽しているが、蔽しきれていない、本当の俺に。

相手にとっても、それは普通の事だ。俺ら兄妹に、悪い意味で演技はいらない。

「巴と、縁斬れ」

単刀直入。それに、まったく歯に衣を着せない、直接的な命令。

「……正直、お前も悠も、何故そんなに巴に執わるのか、理解に苦しむ。巴は確かに変ってはいるが…」

「悠さんが言ってたろ。アイツは、危ない」

二言目。そこで、背中を向けていた美咲がこちらをむく。

…もう、馴れたはずだったが、何時まで経っても慣れないものだ。

人の、闇を見る瞬間は。憎悪を、嫌悪を、ここまで露骨に表す表情をするのは、おそらくここまでの人生でも美咲だけだろう。

一見、無表情。はっきり言って、別人。だが、俺から言わせてもらえば、普段が別人なのだが。

こっちが、本物。こっちが、美咲。

今までのは殆どが外見だけ。朝だって、薫がいなかったらこうだろう。

「兄が危ないとか、そんな理由じゃない。そんなの、兄が勝手に蝕まれればいいそんなの知るか。ただね薫さんが苦しんでる。人一倍他人の闇に敏感な兄だ。気づいてんだろ?」

「……正直、ね。だが、」

「否定はいい御託はいい。縁斬れ。それだけ」

そういい放つと、美咲は俺の横を脱けて行く。美咲には、最初から俺が写っていないのではないかと思うほど、完全な無視。

「…嫌だね。残念ながら、それは美咲の命令でも聞くわけには行かない。巴は、知ってる。きっと、俺のことを知ってる」

「……知ってるさ。だろうね、私だって知ってるんだ」

背後で、ため息をつく気配。

「………何だと?」

俺は、その自然に言い放たれた言葉に言い返す。普通は、こんなことは無い。

だが、今の言葉は聞き捨てならなかった。美咲が、”俺も知らない俺の過去を知っている”と言ったのだ。

そんなはずはない。それは、あってはならないことだ。

「気づいてなかったの? ならご愁傷。ま、話す積もりもないし。ただ、巴は止めとけ」

「こら、俺の質問に答えろ。何を、お前は知っている? 俺の過去の、何を…」

俺は無意識に美咲につめよる。そして、妹の方を掴む。力任せに掴んだので、美咲がよろめく。

だが、次の瞬間、俺は力いっぱい蹴られた。

「っ! …ぐぁ…」

そのまま背後に倒れ込む。そして起き上がったとき見たのは、意外なものだった。

「煩いよ五月蝿いよ五月蠅いよ!! …なんで、何で、何で兄は邪魔するんだっ! 何で私から奪う? 前みたいに…私から全部奪うっ!! 巫山戯るな! 偽善者。兄に、そんな資格無い!!」

意味が分からないことを大声で喚きながら、涙する美咲。それは、いつもの美咲ではなかった。

「”資格”か……そーいえば、そんなこと、言われたな…やつから…」

そう云いながら、立ち上がる。腹にびりびりとまだ衝撃が遺っていたし、食べたものが逆流しそうだったが、何とか堪える。

「…美咲、お前から何を言われようと、俺は自分を取り戻すよ。この、違和感の正体を。俺の、昔を」

「―――っ!!! ……認めない。私はアンタみたいな人間、認めないっ!」

そう云うと美咲は、本当に階段を駆け上がって、階上に消えた。

沈黙が、降る。そんな中、俺は美咲の涙は何年ぶりだろうと、他人事のように思った。

そう、俺が引っかかってること。それは。

 

 

―――俺が、昔の記憶を一切持たない、記憶喪失だということだった。

 

 

 

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