07月28日

 

 

熱い太陽が、家の廷に照りつける。窓から見上げた空は、勿論快晴。

最近は梅雨も過ぎ、対外の日が快晴で続いている。

つまりそれは、気温が限りなく上昇しているということを示しているのだ。

しかも、日本は島国だった。湿度は高く、そして気温も高い。

さらには都会に住んでいる俺にとって、これ以上の地獄は無いのだ。

「ったく………何故日本の夏はこんなにも熱いんだ……」

呟く。しかし、その言葉は部屋の中で霧散して消える。

クーラーの温度を無理やり下げてみたところ、どうやら下げすぎて故障した今、気温とは俺にとって死活問題だった。

ちなみに、部活の合宿で家に居ない妹からは、

『部屋入ったら、殺す』

という書き置き(何故か、書置きだ)があったので、妹の部屋で寛ぐわけにも行かない。

両親は子どもを残して溜まっていた有給でどこかへと行っている。

……まあ、正直に言うと、俺から遠慮したわけなのだが。

それにしても…。

「あちぃ〜〜〜」

前ほどから何度目か分からない台詞を呟き、フローリングの家を転がる俺。

今、俺が居るのは居間だ。家の中で、私室以外で唯一クーラーがある部屋。

しかし、そこは台所とも繋がっている、俗に居るダイニングとリビングが合体している部屋なので、正直熱い。

そんな中で一日中クーラーですごしているのだ。ちなみに。

俺はギリギリでテストを回避し、何とか夏休みを手に入れたのだった。

その間、様々の人間に助けられたのは言うまでも無いが。

そう言うわけで、これからたっぷり1ヶ月間、主人公には休みがあるわけなのだが。

「……暇だ…」

そう、予定が無いのであった。

俺は基本的に引きこもっている性格なためか、誰も遊びに誘おうとしない。

いや、正確に言えば、誘ってきたがどれも俺が断ったのだが。微妙に強がりな、寂しがり屋だった。

「…ちくせう…」

ちょっと涙してみたり。……………。

「あああーーー何か悲しくなってきたぞ! この三日間、俺は何をしているんだ? こんな調子で、俺の高校最初の夏休みは経過して行くのか……ありえない、ありえないぞぉっ!」

一人で叫ぶ。いや、叫んだおかげでさらに体温が上がった。

と、俺が再びフローリングの床にカムダウン(?)したとき、玄関のベルがなる。

「……どなたですかぁ?」

聞こえるはずも無い。というか、出ようとする意気が感じられない一言。

出ないと出ないで、玄関の人間もしつこい。絶えず、ベルを鳴らし続ける。

「ぐぐぐ……こうなったら我慢勝負だ…どちらが折れるか、勝負…」

変な意地を張る俺。だが…、

「コラァァッ! 和の字ぃっ! さっさと出ないかぁぁっ!!」

思いっきり、背中からドロップキックを、しかも重力加速度マックスの状態で喰らわされる俺。

しかも、丁度肺の裏。結果、

「っっっ〜〜〜〜〜〜!!!!」

呼吸が止まった。

「……………―――っっぷはぁっ!」

復活。がばっと音を立てて飛び起きる。

「て、てめーは、梓ぁっ! こら、お前は勝手に人の家に上がりこんで、さらに中で寛いでいる住人を蹴り飛ばしていい権利があるってのかっ!?」

そう、背後にいてハイ・ドロップキックを喰らわしたのは、何を隠そうにも隠せない、木尾 梓その人だった。

手には何故かコンビニの袋。ノースリーブの服。短い髪の毛に、そして超がつくほどのミニスカ。

実際、素がいいために、結構可愛く見えるが、主人公からみればそれは恐怖の大王以外の何者でもない。

「あ、あの〜お邪魔しますぅ〜」

背後から申し訳なさそうに入ってくる(当たり前)のは、その友人で、超天然系の今泉 千佳ちゃん。

今は可愛い白のワンピースに、髪の毛を頭の後ろで括っているポニーテールだった。

白いワンピースのスカートから見える足が白く光っていた。うむ、間違えなく美人だ。

「和の字が居留守使うからだろうが! まったく、人が熱い中来てやったってのに、お礼がそれか? 堅気の日本人とは思えない応答だな、コラ」

そして、何故かかなり怒りモードの梓さん。その背後で已に椅子に座り氷菓子を食べている千佳ちゃん。うむ、流石に天然だ。

俺は目の前に立ちはだかっている人間を見上げながら言う。

「ふ、巫山戯んな? 俺は堅気の人間でも、義理人情を売りにしてる訳でもないだろうが。それに、背後からドロップキックを行き成り挨拶も無しにするのは、マナー違反だろうが!」

その前に不法侵入であるが、面倒くさかったので略く。千佳ちゃんと言えば、梓が以ってきた袋の中のアイスを物欲しげに見つめている。

あれ? もう食べてしまったのだろうか。早いなぁ。

「悪人に人権は無いっ! ボクが崇拝している人間の言葉だ」

「無茶苦茶言うな…どこぞの胸無しみたいなことを…それに、俺は悪人じゃねーっ!」

「ふふ、あのお方を胸無しと言った人間は生きてはいないぞ。ほーら、どこぞからドラグ・スレイブが……」

と、そんなたわいも無い会話(?)を繰り広げていると、

「あら? 梓さん、来てらっしゃったんですね?」

背後から表れる不法侵入の人間ザ・サード。その名も乙葉 薫。

今日は前のロングヘアーを、やはり熱かったのか、ツインテールに縛っている。

全体的には黒のイメージで統一されているが、どうにも胸のふくらみが目立つ。

胸元は少し開いており、下品ではなく、むしろ上品な感じだ。薫の事だ。どうせ、ここまで日傘でも差してきたのだろう。

一瞬でここら一体が貴族街みたいに変化しただろう。その光景をまざまざと思い浮かべる。

純白と言っていいほどの白い肌。今日の薫は何故か、いつもと違って見えた。

あ、そうか。こいつらと学校以外で会うのは、薫を含めて、初めてのことだったのだ。

「和人、こんにちわ」

お嬢様はそういうと、ふわりと微笑んで軽く頭を振った。

 

 

 

「…さてと。何で梓が俺の家の鍵の場所を知ってたかとか、千佳ちゃんが俺の分のアイスを食べたのかとかは不問にしてだ」

その数分後、そこに集まった4人は、テーブルに腰掛けていた。

俺は仕方無く、家主として3人に麦茶を出し、そして一息ついてところだった。

「ご、ごめんなさーい…あんまり熱くて…」

千佳ちゃんの弁解。本当に申し訳なさそうな顔。

「何でって、植木鉢の裏とポストの中は、鍵隠しの典型場所だろうに…あんな場所に置いといて、よく泥棒に入られなかったな…」

梓からの指摘。

「て、てめーらは人の話を……」

「えっと、和人。話と言うのはですね…」

と、横に座っている薫が俺をみながら離し始める。

「この4人で、どこか行きませんか? って事なんですけど」

「この、4人?」

「ええ、ここにいる4人です」

と、俺は辺りを見渡す…までもなく、視線に入ってくる3人を見る。

「……この、4人?」

俺と、薫、それに梓と千佳ちゃんだろうが。それは、正気だろうか?

仮にも俺は男。そして、残りは女。まあ、信用しているといわれればそれまでなのだろうが、それは余にも無防備と言うものではなかろうか。

いや、それはまあ良いとしても。俺一人では、ちょっと不安な面もあった。

……女子3人に囲まれた状況で、孤立するというのも、どうかと思う。

事実、俺は女子に囲まれるのが好きでは無い節がある。いつもは翼と言う逃げ道があるのだが…。

「……流石に、それは…」

「ん? なら、ツバッちも一緒は?」

と、俺の言葉が発されるか発されないかの瞬間、目の前の向かい側に座っている梓が言う。

「? なら良いが………翼が了承したのか?」

「応よ。というか、ツバっちが元を言えば、発案者に近いものだからな」

「………意外、だな…」

正直、かなり駭く。そもそも、翼の私生活を識っているものなら、翼がどれだけ変な生活スタイルを持っているのか知っている。

まずは、睡眠時間がやたらと長い。普通に10時間無いと翼は一日体調が悪い。

あと、極度の潔癖症。実際は潔癖症と言うものでもないのだが、汚いものというより”分からないもの”がダメ。

言うならば、逆潔癖症みたいなものだ。そして、それは同時に、”新鮮なもの”というのも、アウトだ。

それは翼の超人的な記憶力に由来する。写真記憶を日常的に行える超人的な脳は、みたものを全て記録してしまう。

大体の人間は一日の普通の情景などは無意識に記憶しないように出来ているのだが、翼はそれが悪い意味で顕著だ。

つまり、新しいものを見てしまうと、脳が自動的にそれを記録してしまうのだ。

それゆえ、新しい感覚や新しいものには敏感だ。だから翼はほとんど家から出ないし、俺と薫、そして最近では少しずつではあるが巴と以外、ほとんど話さない。

コミュニケーションを放棄しているわけではない。コミュニケーションをとるという事イコール、脳のオーバーワークであるのだ。

それはつまり、本人に言わせると極度の精神的疲労を引き起こすらしい。

まあ、それ以外にも、個人的に翼が対人恐怖症に近いものがあるということも手伝って入るのだが。

その翼が、合意したというのは、むしろ発案者的なものであるというのは、正直駭く。

「まあ、そう言いたいのも分かるがね。最近は少し、調子良いみたいだしな、ツバっち」

と、梓。

「……梓、お前、翼の事知ってるのか?」

ちょっと口ぶりが気になって、問う。しかし、その質問に麦茶を口に含みながら、首を横に振る梓。

「…いや、知らない。まあ、身体が弱いだろうな、くらいは想像できたてけど。当り?」

…まあ、それくらいだろうか。

「ま、当らずと遠からず。でも、それを本当に翼が了承したというのなら、行っても良いかもな…」

俺にも、そして翼にも、それはいいことなのだろう、きっと。何故かそんな気が、した。

「よっしゃあっ! んじゃ、行くとこきめよーぜぃっ」

と、行き成りハイテンションでまくし立てる梓。

「いいねー、やっぱり私、ヤマが良いよ〜」

それに便乗するかのような千佳ちゃん。

「私も、キャンプって、行った事無いんですよね」

と、薫。

「お、いいね〜キャンプっ! んなら、キャンプって事で…」

開始三秒。すでに目的地が決定されかける。

「お、おいっ! ちょっと待て!! 夏、空、そして果てし無い夏休み(?)と言ったらやっぱり海だろう!?」

「うみ〜?? おいおい和の字。いつの時代の人間だ? 今時の人間は山でキャンプってのが相場だろうが?」

「いつの時代って、今を生きている高校生だよ、俺は。それに山に行った所で虫はいるし、それにキャンプってことはフロにも入れないんだろう?」

そんなの、正直翼は絶対無理だ。

「ふふふ、今時のキャンプ場を甘くみてはいけない。今時はフロが近場にあるというのが、キャンプ場の条件なのだよ」

※嘘です。でも、結構多くのキャンプ場の近くにあります(本当)

「…それに、食事とかは誰が作るんだ? あと、食器具は? 俺も言わせてもらえるなら、キャンプなんか行った事無いぞ?」

「あ、私ありますよ〜。食器とか、炭とかもありますよ!」

と、千佳ちゃん。いや、何であるの?

「それに、ボクだって行ったこと無いけどさ、料理はボクだってオトハだって居るんだし。問題ないじゃん?」

強気な発想だった。というか、この場に居る人間でキャンプに行ったことがある人間が千佳ちゃんだけというのが、さらに不安を呼ぶ。

不安…いや、それは寧ろ恐怖に近い感情だ。

「……いや、コワいだろう。それに、初心者ばかりのキャンプってのは…」

そう、俺が言おうとすると、横で、

「………和人、どうしてそんなに海に行きたがるんですか?」

と、薫が言う。一瞬、時が止まる。

「ど、どうしてって…やっぱ、お手軽だし、日帰りできるし…」

「はん、どーせ、和の字は、オトハとかボクとかちぃの水着姿想像してるんだよね? あーあ、男ってコワいよね〜」

ニヤニヤ笑いながら言う。な、何だその笑みは!? というか、千佳ちゃんも横で『えっ…?』みたいな顔をしないでくれ。

「ち、違う、だ、断じて違うぞ? 薫は、分かってくれるだろう?」

「………今年は、まだ新しい水着買ってないです……体重も…その……ですから…見られるのは、ちょっと…」

聞いちゃ居なかった。というか、何故か顔を染める薫。

「う、うーん、でもさぁ…海は泊まれないしねー」

泊まるつもりらしい。というか、決定らしい。話題がおかしい……。

しかし、そんな俺の意見もお構いなしに、

「……ま、そゆことだから、ツバっちにはボクから連絡しておくからね。もしよければ、美咲も誘いなよ?」

どうやら、俺の意見はいつもの間にか棄却されたらしい。

こうして、俺達は2泊3日(当初の予定では5泊6日と言う無謀さだったのを俺が涙の矯正して)のキャンプに行くことになったのだった。

 

 

 

「きゃっか」

その夜。俺は今日昼間嵐のように去って行った人間らの事を美咲に話したのだった。

その結果、これ。今日は美咲が部活で遅いということだったので俺が夕飯を作って、それを今食べている。

美咲が腹が減っているだろうということで冷しゃぶだった。適度に腹に溜まり、しかもそんなにこってりしていない。

我ながらナイスなチョイスだと思う。まあ、勿論美咲からは何の感想も無いのだが。

しかし。前の千佳ちゃんのこと以来、少しではあるが俺と岬の間の溝が変化していた。

少しは美咲も言葉を選ぶようになって来たし、そして『裏』美咲の度合いが変わってきていた。

どことなく、柔らかくなった感じ。それでも、相当にキツイのだが。

「……部活か?」

目の前で冷しゃぶにがっつく我が妹を見ながら、疑問を口にする。ちなみに、美咲は已に一人だけで100グラムの肉は軽く平らげている。

それでも尚、停まるところを知らない速度で食べ続ける。流石はスポーツマンだなぁと感心してみていると、美咲は箸を止めて、

「………そうだけどさ…何さ、さっきからじっと見て」

口に大量の肉をかき込んだ状態で言う。……飲み込んでから話せば良いのだが。

「いや、良い食べっぷりだなってな、感心してたところだ」

「……ふん、いいけどね。どうせ、”女っぽくない”って思ってるんでしょうし?」

「そんなことは無い。何も、女だからとか男だからっていうのは前の考え方だよ。それこそ、今現在のジェンダーを引き起こしている根幹部分にある、人間の中に無意識的にある”性差”の大元だ。本来、女性と男性は対当のはずでだな…」

「あ〜〜わかったって。うん、そう、部活の合宿。その日、2日被ってる。最後の日だけってのも何だし、さらにバスケの中体連と重なってるからさ、行けそうに無いの」

俺のジェンダーの話は難なく、というか即座に回避され、そう云う妹。

むう、自分が女性であるのなら、ジェンダー問題には敏感にならなくてはいけないというのに。と、ちょっと残念に思う。

「おう、わかった。ってことで、その3日、俺いないから、いいな?」

「ん、薫さんによろしゅー」

口に相変らず肉を突っ込んだまま、妹は頷いた。

 

 

 

それから、大体4日後。

俺らは千佳ちゃんのお兄さん(千佳ちゃんからは想像できないほど頼もしい、がっしりとした肉体系のお兄さんで、車の中では色々キャンプの事を教えてもらえた。それと、千佳ちゃんを宜しくと言うことも、何回と無く言われた。どうやら、相当のシスコンらしい。名を、今泉 源氏というらしい)から車を出してもらい、キャンプ場へと到着する。

流石はフォレスタ。こんな山道さえ、難なく5人を載せて登ってきた脅威の馬力だ。閑話休題。

「わー、緑が一杯ですね〜」

と感動気味の千佳ちゃん。何故か一番の熟練者(お兄さんを見ている限り、どうやらオプションと考えたほうがいいのだろうが)であるはずの千佳ちゃんが感動した声を上げる。

「ま、何て言ったってボクが調べたんだから、当然じゃない?」

と、胸を張る梓。

「ええ、すごい感動しました。都会からすぐの場所にこんな場所があったんですねー」

ツバの大きい真っ白の帽子を被っている薫。その姿は明らかに周りの自然の中で浮いている。

「……」

かと言う俺も、目の前の情景に圧倒されていた。緑の木々は、本当に見渡す限り続いている感じ。

頭の上には緑の屋根が広がり、木々の間を夏だというのに涼しい、いやむしろ少し肌寒い風が駆け抜ける。

これは、クーラーなんか不要と言うわけが分かる。付近には絶えず小鳥やらの声が聞こえており、まさに大自然の真ん中に居るといった感じだった。

「…ここ付近は、基本的に無人だから、フロまでも結構歩いていかないといけないね」

横で翼が言う。

「ん? あー、ツバっち、それは勘弁してくれ。なんせ、風呂とかコンビニがすぐ近くにあるような場所には行きたくなかったんでな」

「ううん、いい。それに、結構、こう云うの好きだから」

あ、翼が笑った。それをみた梓も一瞬駭いたような表情をして、その直後に

「応っ」

と言ったのだった。かくして。俺らのキャンプは始まったのだった。

 

 

 

「………何故だ…」

「…」

「……何故なんだ…」

と、呟いているのは勿論俺。山道をひたすら、上に伸びている階段を登っている最中だった。

その横には翼。

「何故、俺らがこんなことを…?」

一段一段、確実に登ってゆく。もうすでに10メートルくら登っているような気がする。

しかも山道にそって階段があるため、すごく傾斜が辛い。

「…仕方無いよ、和人。ボクら、一応男だし」

翼が諦めたように言う。いや、正直諦めているのだろうが。

「それにしても、女子どもだけ俺らにテントを建てさせたかと思うと、次は場所借りだもんな…コキ使いやがる」

はぁと、ため息を吐きながら階段を一段一段登る。…どこまで行っても階段しかないんですけど?

このまま天国へ行けたら面白いだろうな〜と、危険思想に浸っていると。

「…和人、正直、和人がこれに来るとは思わなかった」

と、背後から行き成り言う。

「……それは、こっちの台詞だ、翼。お前みたいな偏屈者が、こんなキャンプに来れるのかよ?」

「まあ、ボク自体は、睡眠さえ取れば何とか大丈夫だけどね。和人こそ、大丈夫なの?」

「あ、何がだ?」

そこで翼は一息置いて、

「長時間一緒に居ることが、できるかなって」

ひぐらしが、あたり一面を満たしていた。しばらく、二人とも無言で階段を上る。

俺はその言葉に足を止めかかるが、何とかもう一歩を踏み出した。

人の、闇。俺が無条件で惧れているモノ。”翼との交換条件”で差し出した、俺だけの秘密。

記憶喪失、そして自分の不完全さ。それは言うならば、”人へ対しての恐怖心”だ。

絶えず他人を考える際、相手の裏を読んでしまう。汚い部分を想像してしまう。

ソレ故の、人間不信。それ故の、言葉による牽制であり防御。

自分が弱く、他人は強いという、深層心理から銘まれている絶対的基準から来る、下級人間の恐怖。

言い換えるならば、”人間失格”たるものが抱く、不安感とでも形容するのだろうか。

言い方は分からないが、俺は”そういうもの”を恐怖している。

裏切り、欺瞞。嘲り、操り。空言に戯言。人間を嫌悪する、理由。人の、闇。

「……まあ、簡単には、克服できないだろうよ」

俺は芸と言葉を濁して、復した。それからは、翼は何も言って来なくなった。

言うべきではないのだと、思ったのだろう。まったく、翼は”これだから付き合いやすい”。

”これだから、真正面に付き合える”。と、小屋が見えてきた。俺はあと少しとばかりに足に力をこめ、階段を登る。

背後で翼が『変わったね』と口にしたが、何も言い返さなかった。

 

 

 

キャンプ場の夜は、寒かった。というか、最早”冷たい”に近い。

元々、俺らが夏を舐めていた所為か、ほとんどの人間が薄着しか持って被ておらず、誰もキャンプ場の夜の涼しさ、いや寧ろ寒さに堪えられるものは居なかった。

夜は、本気で寒い。下界に居た頃は想像すら出来なかった温度の下がり方である。また、一つ良い経験をした。だが、寒い。

そして、ほとんどの人間は日の傍で暖まっているのだが、

「……不公平だろう?」

俺と、そして料理当番である薫の2人は炊事場に居た。炊事場で慣れた手つきで米を研ぎ、包丁を使い材料を刻んでゆく。

やはりいつもとは違った感じだったが、それでも料理は難なく出来そうだった。

…火の調整が、ちょっと恐い点だが。そもそも、火を起こせる人間が誰も居なかったのが激しく問題だった。

頼みの綱の千佳ちゃんもできずに、俺らは悪戦苦闘しながら何とか火を起こした。

いや、まあ、新聞紙を大量に入れて、マッチを擦ると言う、単純明快かつ灰が最も多く出る方法だったのだが。

教訓、火を起こす際は新聞紙は最低限に。隣のキャンパーの人、本当にありがとうございました。

いや、隣人愛を本気で信じてしまった今日この頃だった。

「まあまあ。その分、明日は遅くまで寝てられますから、頑張りましょう?」

と、横に居る薫。少しではあるが、シャンプーの匂いが鼻につく。先ほど、全員で下界まで降りて風呂に入ってきた帰りだった。

ゆっくりとした時間が、過ぎて行く。寒いけど。

「むぅ…それにしても、やはり不公平だ。いや、そもそも何故俺と薫なのだ? 明日の朝が千佳ちゃんと翼というのが激しく不安なのだが…」

ちなみに、2日目の夜はなんと梓オンリーだったりする。まあ、これは梓たっての希望なのだが。

「それは、私も少し思いましたけど、まあ、千佳ちゃんだってまったくできないわけではないですし、翼君だって料理は出来るでしょう」

残念ながら翼は日本食は作れないという変な舌の持ち主だし、千佳ちゃんは言わずもがなである。

うう、明日も朝は早いみたいだ…。はぁ、結局俺って働くのな…。

……………………。

少しの間、付近にはまな板で野菜を切る音だけが韻く。静かな、夜だった。

「…和人は、どうしてこのキャンプに?」

と、行き成り横の薫が、昼間聞かれたようなことを聞いてくる。

「……翼といい、薫といい、俺がそんなにキャンプに参加するのがおかしいか? ただ暇をしていたというだけでは、理由にならんか?」

薫は少し考えて、

「……ええ、少なくとも、昔から比べれば。最初は和人、人間誰も信じていないみたいな感じで。どんな人間も拒絶していましたから」

歯に衣を着せない率直な感想。でも、それが真実なので何も言えない。

「……ここまで慣れたのは、薫のおかげだけどな」

米の研ぎ汁を捨てながら、言う。正直言っていて、かなり照れた。

「…じゃあ、後は、私から離れるんですか?」

どことなく、誰と無く、何となく、発せられた言葉。

それは明らかに俺に向けて発せられたのだろうが、はっきりとした意図が見得なかった。

「どういう、意味だ?」

分からず、聞き返す。

「巴……和人は、巴…森崎さんに惹かれてます」

「………」

「……………」

「…………………かも、しれない」

俺はソコの言葉に、正直答える。何故か、隠しても無駄と言う気がした。と言うか、薫には、本当の事を言わなければいけない気がした。

今までの恩義とでも言うのだろうか。恋人というより母親に近い薫にだけは。だから、俺は正直に答えた。

「………和人、和人、一つだけ、聞いて良いですか? 一人の人間として、乙葉 薫として、です」

すうっと、自然に、薫と俺は淡い蛍光灯の下、向き合う。付近から雑音が全部消えた。

目の前の薫しか見えない、そんな状況。

「貴方の理想は、私じゃないんですか?」

そういうと、薫は俺に徐々に顔を近づけてくる。段々と、薫の呼吸使いが聞こえてくる。薫の匂いが近くなる。

薫の目が瞑られ、世界の中から雑音が、余分な背景が全部消える。でも、俺は。

「…すまない、薫」

薫を、引き離した。ちょっとがっかりしたような感じで、薫は肩を落とす。だが、ソコには少しだけ、嬉しさのようなものも見えた。

俺は初めて、飾られていない”乙葉 薫”を見たのだと、そう直感した。

薫は、俺の理想だった。俺の、”思ったとおり”の女性だった。

完璧だった。全てを上品に熟したし、いつでも人を優しく包み込んでくれた。

俺みたいな、人間失格でも。俺みたいな、不完全者でも。

俺はいつのまにか、いや、ずっと前から薫に依存していたのだろう。薫に頼っていたのだろう。

それを、今、理解した。同時に、それがもう無くなったのだと、気づいた。

もう、俺の目の前には、”薫”は居ない。いるのは、只、俺の事を好いていてくれた乙葉 薫という少女だけだ。

俺は目の前の泣いている少女に、心から感謝のお礼を述べた。

「薫、今まで、ありがとう」

そういって俺は、少しの間、給水場を自主的に離れた。

涙の後って、どれくらいで見えなくなるものなんだろうな。そんなことを考えながら。

 

 

 

<もどる> <いんでっくす> <つぎへ>