07月29日
「……………」
ああ、朝だ…。そう、朝。蝉の大群は朝からクソやかましく鳴いてくれている。しかし、それすらも今は楽しめた。
昨日キャンプ場に到着し、やっとのコトで準備を終えたかと思ったら色々やらされて、その後少しはゆっくり出来るかと思いきや強制的に夕飯を作らされ、その後俺は疲れでぐだっているところを拉致られ、真夜中のトランプ大会を強制決行(翼はいち早く寝てしまった。何故か皆それについては何を言わないが…)され、そして朝起きてみる…否、起こされてみると何故かこうなっていた。
「……………」
「お? 和の字、どしたの?」
隣に並んでいるのは木尾 梓。俺のクラスメイトにして歩く言語型汚染兵器であり、その対象は俺に限られるという極めて異例で迷惑でその上面倒くさいにんげんが、立っていた。
時間はわからないが、今現在はまだ朝の8時ごろではなからろうか。
いつもは今でテレビを見ながら時間をなんとなく確認しているので、時間の感覚は皆無だが、何となくそういう気がする。
それにしても、キャンプ場と言うか、外の朝の空気、しかも山は本当に別格だった。
夜だっていつもの熱帯夜とはかけ離れて逆に寝やすい程度の気温だったし、朝だって澄んだ空気のために直に目が覚めた。
昔の人々はこう云う環境の中寝起きを共にしていたのかと考えると、すこし、いやかなり羨ましい。ひさしぶりの、心地よい覚醒………になるはずだったのだが。
「…………………」
何故、こうなっているんだか。俺の目の前には包丁。そして、まな板。
皿にはネギや豆腐、そして横にはステンレス製の鍋、さらにメザシの8匹入りのパックと、すこし目を遠くにやれば千佳ちゃんのお兄さんが持って被てくれたバーベキューセット(とでも言うのだろうか。正式名称はわからないが)がある。
そしてその前に呑気に火起こしを娯しんでいる千佳ちゃんと薫の姿が。二人ともキャーキャー言いながらはしゃいでいるが…うむ、前ほどから山のように灰が飛んでくるのは気のせいだろうか。てか、新聞紙をくべるな、オマイら。木を燃やせ、木を!!
「……おい、和の字、ちゃっちゃと飯作っちゃわないと、正直もうそろそろヤバイぞぃ?」
ちょっと起こり気味の梓。うーむ、少し思考してみよう…。
というか、もう答えが出ている以上思考するのは限りなく微妙と言うか荒唐無稽というか無意味極まりない行為だったりするのだが、まあ現実逃避くらいにはなる。
昨日、確か食事当番なるものが決定したはずだ。何故伝聞形式なのかはまさしき伝聞だからであって、そう言った内容を薫が言っていたと記憶している。
曰く『明日は遅くまで寝てられる』。うむ、そう思っていた、思っていたさっきまでは。
強制的なドロップキック(しかも、丁寧に靴下を脱いだ上で、男のテントに侵入してきて、だ)をかまし起こしてくれた梓は何故か俺をこの炊事場まで連れてきたのだが、その理由がイマイチわからない。
てか、俺は遅くまで寝てられるはずでは?この疑問を素直にぶつけるべきか…いや、辞めるべきか。
というか、どうせそんな些細(無論俺にとっては重大問題である事は依然として不変の真理だったりするのだが、視点を変えるとそれこそ天変地異が起こったかのごとく変動する)コトだといって一蹴されるのがオチだろう。
だから、ある意味で訊く意味は無い。だが、やはりここは敢えて聞いてみたほうがいいのかもしれない。そちらの方がもしかしたら、本当にもしかしたら、滅多に無いだろうがもしかしたらちゃんとした理由を伴って返って来るかも知れない。
無論、それに希望を馳せる馬鹿な真似はしない。希望は裏切られ、それが絶望になるくらいだったら最初から希望など持たないほうがいい。
そういう意味で俺は保守的な人間かも知れない。そう保守的といえば―――――――――
「コラァ! 和の字ぃっ! 手が完全に止まってるじゃんか! つか、朝から何だその非協力的な態度は!! 共同生活ってのを分かってるのかこのお嬢様は?」
思考停止。明らかな不機嫌な人間を冷めた態度で見つめる。
「………てかさ、聞いていいか?」
「口と手、同時に動かしながらならいいよ」
「いや、その件なんだが、食事当番制って話はどうなったんだ?」
「は? ん、あぁ、んなのもあったな。昨日話してて、やっぱ皆で作ったほうがいいんじゃないかって?」
「うむ、だが昨日は俺と薫で作ったぞ」
まあ、簡単なものだったけどそこまで手間ではなかったが。
「む、薫が少し可哀想だな……ま、時代は刻々と変化して行くものさ? この世では森羅万象、全てのものが流れる川のごとく変わっていくんだよ」
ハハハと笑う梓。
「……オマイには他人を労わる気持ちが欠けていると思う」
「そ? ま、大丈夫、ボクの場合キミ限定だから」
……何か、もう、嫌だ…。目の前の梓を思いっきり睨みつける。
「…梓…てめぇ…」
「ささ、早く手動かそ。てか、マジで腹減ってきたからさー」
ちゃっちゃっと慣れた手つきで米を研いでゆく梓。俺はその言葉に何も言わずにネギを刻み始めた。
―――コノウラミユルサデオクベキカ。
胸の中に、恨みをしっかりと刻んで。
「あの、和人、醤油取ってもらえますか?」
それから、朝食。何とか睡眠時間を取った翼が加わって、みんなで食事となる。いつもとは確実に違う感覚だったが、自然の中で食べる朝食も、また格別に美味しい。
というか、千佳ちゃんが明らかに灼き過ぎた魚も、何故か美味しく感じてしまう。今回分かったのだが、ご飯は結構コゲの部分もいけるのだ。
そんな、朝。
「あ……ああ……」
薫から掛けられた言葉に一瞬戸惑いながらも、何とか醤油を見つける俺。そして手渡しで渡そうして…溢してしまった。
「す、すまんっ」
「ごめんなさい…」
同時に謝りながら布巾を探そうとすると、隣から翼が「はい」と言ってティッシュをくれた。軽く礼を言って机の上を拭く俺。
「………」
そんな様子を見ている皆は何故か無言だ…てか、何か視線が痛い……。
「二人とも、どうかしたの?」
「!?」
そんな中、ずばりと聞いてくる翼。ああ、そいか、翼はそんな奴だった…。
「…うーむ、何かおかしーよねー特に和くん」
その空気に便乗して声をかけてくる千佳ちゃん、てか彼女は空気を読んでと言うか今まで魚の解剖(?)に夢中だったのでそれが終わったタイミングだったわけだが。
ちなみに、千佳ちゃんのところにある魚が一番コゲていて(ていうか、コガした張本人なので)殆ど食べれるような場所がないので、どうしても分けて食べないといけないような感じなのだ。
「……睡眠不足だ…気にするな」
俺はとりあえずそう言って場を治める。未だに疑惑の視線は消えては居なかったが、それで納得できないものもとりあえず詮索は諦めたらしい。
そんな中、こっそりと薫を見た。薫は、もう普通の薫だった。
―――やっぱ、俺が気にしすぎなのか…
そんな感じすら、する。一応、昨日の夜にされたのは告白………のようなものなのだろう。未だに、あのキスしそうになったときの二人の距離と言うか息遣いを思い出すとドキドキと胸の鼓動が早くなる。しかし、おそらく薫はそんなことないんだろうけど。
意外に自分はウブなんだなと、何となく自覚する。というか、今まで外見も手伝ってか(てか、明らかにそうだろうが)殆ど…いや、言ってしまえばまったくそういうコトというか、関係になったことも無い。今まではそういうコトすら感じなかったのだからしかたない。
昨日は、特別だったのだ……そう思うようにしているが、そう簡単にはいかないようだ。というか、未だに先ほどのシーンみたいな場合には、明らかな同様が表に出てしまう。
薫を、いつも通り見れないし、話しかけられない。皆は、平気なのだろうか? そう考えると、皆は強いんだなと、何となく思う。
「あ…薫…さん…」
一瞬、場が、固まる。
「……いや、薫……醤油、貸してくれ」
俺は何故か恥ずかしくなって、下を向いてしまった。誰もが、黙っていたが、俺に話しかけていた。
「……………和人、意外に純情?」
食事が終わり、片付けも終わった頃、そう翼が聞いてくる。
「…だったんだなーって自分でもびっくりだ」
ふーんと、煮えきれない返事を返す翼。てか、翼には全部ばれてるんだろうか…。
「…薫、言ったんだ…和人に」
「……? どういうことだ?」
と、翼の言った言葉がいまいち理解できず、繰り返す。
「うん、そういうこと」
「………知ってたのか?」
「というか、気づいてた…っていうのかな」
そう云うと翼は相変わらず何を考えているのか分からない様子でどこか空中を見ていた。
「……そうか…んなら、俺が鈍いのかもな。それにしても、お前、知ってたのなら、どうして―――」
わざっと、風が揺れた。
「好きなものは、好き。それは変わらないから、かな」
ゆーらりと、空を見上げながら刻をすごす。無言の空間が、今は至上に気持ちよかった。
「何か、俺、お前に悪いことしてたんだな」
「…………そうじゃないとは思うけど…」
翼はそこまで言うと少し困った表情を浮かべた。そして、空中から俺に視線を移動させると、何気なく、
「…和人は、無意識で自分なんか好かれるはず無いって思ってたからね」
………そう、言った。
「………」
そう言われ、俺は何も言い返すことができなかった。
「―――重い話はそこまでにしてさー」
と、行き成り背後に第三者が現れ、俺はびっくりしてひっくり返りそうになる。
「…木尾さん…?」
椅子に座っていた翼が、少しだけ驚いたように梓のほうを向いた。
「応。てか、和の字、ちょっと手伝って欲しいんだけど?」
ニコっと笑う梓。
………こういうときは、コイツは何か企んでいる時だと相場が決まっているのだが。
「却下だ、てか、俺をどこまで働かせるつもりだ貴様らは?」
俺は間髪入れずにそう答える。
「最後の骨が風化して無くなるまでだよ。ほら、行くよ、水汲み?」
そう言うと、ぐっと俺の手を握る梓。
「み、水汲み…? てか、この近くにんな清流あるのかよ?」
留まる俺。
「ん〜わかんないけどさ、何かありそうじゃない?」
………さいですか、つかここまで来るとある意味お目出度い。出来ればそれは俺が巻き込まれない場所で暴走してくれ、頼むから。
「ふ、巫山戯んな? てか、あるかも分からない河探して、あったらそこの水を飲むだと? お前、滅茶苦茶だろう?」
そこまで言うと流石に少し梓がムカっとした顔になる。
「滅茶苦茶だ〜言いたい放題言ってくれるじゃん? なら、水、どうすんのさ?」
「水? 来る前に10リットルくらい買ってきただろう?」
「千佳が溢した」
――――――――――――マジデスカ。
「って、なら下に行って買ってくるしかないだろうが…どこの野生児がそこらへんの水飲むんだよ…」
「温めれば飲める。んじゃツバっち、和の字借りてくよ〜?」
「うん、頑張って」
「つ、翼!?」
「さ、飼い主の了承もでたところで、いきますかー」
ずるずるずると引きずられるように…文字通り、ひきずられて俺は梓と一緒に強制的に清流探しをすることになったのだった。
「誰が飼い主じゃ―――ーーーーーー…!!!」
俺の悲痛な号びは意味も無く。
しかし。
「………探せばあるんだな…」
「…うん、自分で言っといてなんだけど、まさかあるとは思わなかった…」
それから、大体五分程度で、俺らはキャンプ場から少し離れた壇の上にあった、湧き水のところに居た。
そこは気持ちがとてもいい場所だった。勿論360度は森林で囲まれており、水のお陰なのかとても空気が冷たかった。その水も拯ってみると澄んでいて、とても美味しい。
しかもまた横井戸(縦に掘った井戸ではなく、横に掘った井戸。山などには結構多い)からすこしずつ流れてくる水が、まだ情緒溢れていた。
神社にあるような水置き場のようなもので、柄杓はなかったようだが、十分に水はあった。
これなら、結構ここで生活の水は大丈夫かもしれない。勿論、俺らで独占していいはずもないが、結構の量があるので少しくらいはいいだろう。
「…なら、キャンプからタンク取って来るか…皆を呼んでこよう、どーせ暇してるだろうし、な?」
と、俺はとりあえず一口水を飲んだ後で、梓にそう言った。
…しかし梓は、はぁーと大袈裟な溜息を付いて、ヤレヤレと言った感じでかぶりを振る。
「…? どうした? 水が見つかったんだから、可及的速やかに任務を果たして帰還するんじゃないのかよ、木尾梓一等兵?」
いつものジョークにたいして、いつもの返事が無い。俺はちょっと、怪訝に顔を顰めた。
「……いやさ、もう少し時間かかると思ったんだよな…だから、そのうちに考えようと思ったんだけどな…」
なにやら困った様子。俺はその様子が理解できずに顔を蹙める。
「ったく、日頃の行いのせいかねー」
と、梓は徐に俺に向き合うと、真剣な…そう、それこそ今までに見たことも無いような真剣さで、俺を見た。
そして、びしっと、名探偵が犯人につきつけるようなジェスチャーで俺に指をつきつけると、
「キミはカヲルを振った」
一言。
「……いいだろ、それは…」
ばれてたのか…と意外な気持ちにはならなかった、それどころか、”知ってて当たり前”という感覚が、俺の中にあった。妙なことだが。
「よくないのさ」
即答する梓。
「じゃあ、キミは誰が好きなのさ? まさか巴すか?」
そこで梓は巴の名前を出す。森崎、巴…。そう言えば、久しくあっていない…そう、懐かしいものを思い出すように、巴のコトをゆっくりと思い出した。
「……お前といい薫といい、何で俺と巴を特別視する? 正直、見当違いもいいところだぞ」
俺は内心とは裏腹に、そう言った。正直、良く分からなかったというのもあるし、肯定する事は何となく、俺の気持ち的に嘘をつくことでもあったためだ。
確かに、俺は巴に魅かれているのかもしれない。だが、それは単純に興味としての咄だ。
俺の記憶を知っている人物、俺のコトを知る人物といえば、何故興味を持たないことがあるだろうか。
「…これ以上ボクを悲しませないでくれよ…和の字………」
そう言った梓は、まるでいつもの梓とは違う表情を――言い換えるなら、それは“女”としての梓だったのだろう。俺の知らない梓…女としての、梓。関係性を取っ払った、素の梓。
「私に、嘘を付くのは辞めてくれ…頼むから…」
梓は、そういうと本当に泣きそうになる。悲痛な表情に、俺はどう返していいのかわからない。
「お、おい…一体…」
「一体どういうことなんだ、俺は何も分からないぞ、か? うん、ボクの事はキミにはわからないよ」
俺が言いたかったことを先読みするかのように言う梓。俺はその言葉に押黙らされられる。
正直、どうしていいのか分からない。
「どうしていいのか分からないのなら、聞けばいい。何? って…何故って…」
―――変、だ。そう、直感で感じた。逃げたい。
―――俺は、今、“梓の闇と対峙している”のだろうか。
分からないが、そこにはいつもの梓の裏の顔があった。いや、こちらが表で普段が裏なのかもしれないが、まあそういうものは相対的なものだし、わからない。
逃げたい、逃げたい、ニゲタイ。
「一体…」
恐い、怖い、コワイ。
一体、お前は“何”なんだ?
「……そう、怖がることも無い。君と同じ、人間だよ」
「…」
感情が見透かされてるようだった。
「その通り」
今回ばっかりは、血の気が引いた。
「…和の字、もう、分かるよな…ボクは、生まれつき…じゃないけど、“対手の心が読める”んだ…言葉とかじゃなくて、感情そのものがっていうのかな…感じるんだ…同調っているのかな…今! 今和の字は、私を“恐れた”。感覚で、わかる」
悲痛な、叫びだった。俺は正直、逃げ出したかった。自分を知るのが恐かった。自分を知られるのが恐かった、いや、それは全て弁明{いいわけなのだろう。
“自分が自分で知るのが、恐かった”。
「だから、キミが薫に対して感じている感情も、わかるんだ…だから、」
―――嘘をつくのは、やめてくれ、か。
「…それだけじゃない、千佳のこと、私のこと、翼のこと、そして………巴のこと、全部、分かるんだ…」
完全に、見透かされている…。俺と言う存在が、殻が、通用しない対手。翼とは同類で、対極に位置する存在。
そんな、不安定な存在。“意識から来る強い憶測”と、“憶測から来る強い意識”の間に、一体どれだけ違いがあるのだろう。
―――嗚呼、そうか。だから、俺らは“付き合えて”いたのかもしれない。
その、絶対的な安定している距離感の中に、保護の中にいたから、俺は安定できていたのか。
「…そして、キミがボクのことを恋愛対象としてみていないことも、分かるんだ…」
もう、何も言わなかった。
「………梓…」
「言うな、言わないで、『私の憶測』である状態のまま、にしておいて、よ…」
もう、梓は、崩れ落ちていた。というか、もう俺に話すのではなく、今は誰にもなく感情を惜しげもなく吐露していた。
―――関係が、くずれる…―――
漠然と、恐怖し、同時に馬鹿らしく思う。そう、俺はこれを恐れていて、そして同時に導いてしまったのか。
「分かってるんだ…君が感じる“安心感”と同じものをボクも感じてる…初めてだったから、始めてだったから、気がね無しに付き合える対手は、初めてで嬉しくてそしてそいつと一緒に居ると愉しくて娯しくて楽しくて快しくてしょうがなかっただから惹かれたんだ分かってるんだこんなの恋愛じゃない好きって感情じゃないって自分を抑えた、そして押さえた、自分を殺して埋めて抑えて瞞して瞞いて目を逸らして………でもさ、そうすればするほど、」
そこまで一気に、走り出すかのように語った梓は、沈黙した。
わかった、いや、今なら分かる。
―――絡繰りが、読めた。空回りが、始まった。
「……もし、もし、私がここで告白したらどうする?」
強い、女性の言葉だった。
「断わる。俺の本意ではないからね」
だから、俺も強く答えた。その言葉にはは…と力なく笑って、
「………ありがとう、和の字…嘘つかないでくれて…」
泣いた。俺は、側にいてやった。今くらいは、いい気がする。
関係は、終わっていた。でも、今から始まるんだ。そんな、漠然とした感覚が、あった。
ったく、このキャンプは何なんだよ…内心毒づく。しかし、梓はそれには何も言わなかった。