07月30日

 

 

―――五月蝿い。それは、夢現の湖に浮ぶ、唯一の音。

「………おーい、和の字ぃ?」

―――五月蝿い。正直、先ほどから、五月蝿い。俺の耳の上、何故かなり続ける声。

「…ったくぅ…寝てんじゃねーかよ…」

―――ああ、寝ている。今日ばっかりは寝させてもらう。断固として、絶対的な俺の意思として。

毎日毎日、散々な目に遭ってるんだ。キャンプぐらいゆっくり出来るかと思いきや、それも儚き夢となったしか。

こうなったら、必死の抵抗で朝の睡眠時間くらい取ってやる。それが、俺の出したささやかな抵抗だった。

「おーい、薫ぅ〜和の字、死んでんだけど〜?」

―――失礼な。人を簡単に死に体にするとは。不肖この久良木和人、寝起きの悪さには自信があるのだ。

というより、人間と言うのは結構丈夫に出来ていて、そんな簡単には死なないのだ。実際問題、首を切られても生きているって話だ。

それくらい、一人の人間が生きるというエネルギーは凄まじい。それゆえ、人は魂を考え出したわけだが。

「ぁ〜えっと、そうですね〜…あのぅ、和人? そろそろ、起きませんか?」

そもそも魂という概念が最初に登場するのは遥か昔になるので、誰が言い出したのかは定かではないが、その発祥は謎である。というより、どの地域でも発祥しているといっていい。

つまり宗教なんぞは、そう云うものに違いない。どこにでもある”秘密”を、自らの地域の共通認識として定めたもの、それが宗教なのではないのか?

「っっったく! このバカは…早くおきろやぁぁぁぁ〜〜〜〜!」

思考断念。無理矢理中断。

世界逆転。視界反転。

「ぐはぁっ!!?」

まるで格闘ゲームのキャラクターよろしく、一気に寝袋ごと吹っ飛ぶ俺。つか、客観的に言いはしてみるが、実際かなりびっくりする。

イキナリ暗闇の世界でフリーホールに落とされたような感覚。起きたらソコは地獄だった、見たいな感じだ。というより、頭の打ち所が悪かったのか、じんじんする。

―――これじゃあ、家と変わらん…

そう、内心毒突く。そう言ってから、家に残した美咲のことが少しだけ頭を過ぎる。

飯はちゃんと食べているのだろうか。健康管理は出来ているのだろうか。部活で無理をしていないだろうか。そもそも、ちゃんと俺の人権…というか、一応プライバシーという誰にでもある権利を守られているのか、など。主に、部屋の掃除だが。

そこまで思考して、現実に戻る。頭が痛い、かなり、ズキズキしている…あー、これは何気にやばいかも…。

「う、うわ…そ、その…梓…やりすぎでは…」

「ボ、ボクもちょっとびっくりした…和の字って、あんなに軽かったっけ…」

―――五月蝿い。

「……………………………テ・メ・エ・ラァァァァぁーーーーー!!!!! つか、朝くらい気持ちよく起こせやぁぁーーー!!」

寝たいのか起きたいのか自分でも不明な台詞。しかし、二人をビビらせるには十分だった用だ。

テントの前で、二人は固まっている。目が点というのをリアルに実現してくれている二人。。

爆発。もう、我慢できない。というより、何故俺ばかりこう云う目に遭うのだろうか。確かにキャンプに来ている男は俺と翼(どっちもどっち)だからという理由もあるのかもしれないし、俺が料理を作れるからと言うこともあるかもしれないし、何よりもいぢり安いからかもしれない。

しかし。それでも、そうだとしても、だとしても、だ!

親しき仲にも礼儀あり。礼節あり。そして、決して踏み込んではいけない領域と言うのがあるのでは無いだろうか。

人はそれをプライバシーと呼び、個人の人権として日本国憲法で定めているのではなったか?? 絶対不可侵領域が俺にだってあるはずだ。

睡眠時間を妨害する事は、それではないのか? 人の幸せを侵害するものは、天罰があたって然りである。

ということで、そろそろ爆発限界だった俺の理性が、ついに絶頂を…

「む………ぅん…」

………………?

寝惚けた声。それにより迎える前に沈下。

頭が急激にクールダウンてゆく。ちなみに、本当の英語でいうとカームダウンだが。

嗚呼、何か思考が不解しい。よし、よし、今一度考えてみよう。今の状況を。

まず、ここはテントの中だ。6人用の標準的名テントで、その中には男である俺と翼が寝泊りしている。

外のテントは二張り。一つは荷物を置くスペースがある大きいタイプで、そうしてもう一つは女の子3人が寝泊りしているこれまた6人用のテントだ。

男のテントにしては珍しく中は綺麗に片付いており(というより、俺ら二人があまり汚くするほうではないからであるが)綺麗なものだ。

翼の寝袋は無論まだ詰っている、というかまだコイツは寝足りないのだ。それを考えると、この点との中には今2人の人間がいなくてはならないのだが…。

「はぅ…んぁっっっ!!! ふぁ〜……〜……〜…ほぇ?」

あくびをひとつ。そして付近を見渡す一人―――名前を、今泉 千佳。

長天然少女にして、その純粋さははっきり言って天然記念物。未だに赤ちゃんはコウノトリが運んでくると頑に信じているこの純粋無垢な女の子は、俺を見るなり。

「ぁ〜和くん、おはよ☆」

そう、満面の笑みで言ったのだった。今度は、俺が目が点になる番だった。

 

 

「な・ん・で・ちぃが和の字のテントにいるんだぁ!?」

それから直に。本当にそれこそ、すぐさま。

俺は弁明する暇も無く召集され、薫からの同情の眼差し…というより悲哀と嫉妬が入り混じったの酔うな眼差しをされ、梓からはさんざん罵られ、そして叩かれるかと覚悟した。

しかし、実際はそうではなく、

「だ、だってぇ〜〜」

「何で怒られてるんだ、千佳ちゃん…」

そう、千佳ちゃんが怒られていた。まあ、俺には見に覚えが無いのだから当然だが…。

「さあ…」

ふあぁっとあくびをしながらテントから出てくる翼。寝惚け眼で服が少し乱れていたりすると、本当に病的なまでに弟キャラに嵌っている。

いや、この“弟キャラ”というのは、ここのキャンプ場の前に来る前に千佳ちゃんが車の中で命名した、曰く『千佳千佳の、キャラはどっ千佳?』という、とある朝の番組のお天気キャスターの真似をしながら命名した“キャラ”だ。

ちなみに梓は『とてつもなく御節介で焼餅焼きで食べることが大好きな暴走姉御』で、薫は『いつもおしとやかに優雅に楽しそうに過ごしてるほのぼの貴族』、そして何故か翼が『弟』という明らかに変な名前だったのだが。

…ちなみに、俺は『らしくてカッコいいクール・ビューティー』だ。日本語訳『格好いい美人』。

その訳に気付くまでに少し時間がかかったのだが、知った瞬間は項垂れたものだ。

ともあれ。今、目の前では千佳ちゃんが泣きながら梓に縋りついていた。

うむ、千佳ちゃんのキャラを銘銘するとしたら『天然で暴走気味の能天気な末っ子』ってところだろうか。

「ううう…アズっちぃ…間違えたんだよぅ〜」

「間違えたぁ!? 寝袋もってか? ぇえ、どこの世界に自分のテントから這い出て隣のテントに入る馬鹿がいるんだ、あぁー〜ん?! アンタ、あの夜こっそりと向こうのテントに行っただろうが!?」

「怖い夢だったんだよ〜だから一緒に誰かと寝たかったんだよぉ〜〜」

「怖い夢? 誰かと寝たかった?? アンタのテントには私達二人がいただろうに!」

「アズっち、怖い〜〜」

いや、マジで怖いぞ梓、と心で訴える、梓は読めるから伝わるだろう。というか、千佳ちゃん、いつもこんな感じなんだな…。

…最も、精神が落ち着いていないときはどうなのかは分からないが。

しかし。

「…? 和人、何、笑ってるんですか?」

どうやら俺は笑っていたらしい。

嗚呼、そうだな。今は笑うところだろう。多分、ここで笑わないと何処で笑っていいのかわからないから。

―――今、ここに、昨日まで感じていた“崩壊への足跡”は、まったく感じられない。

そう、それは間違えなく『変わらない日常』であることの証明なのだから。

同時に。俺が、まだ、ココに居てもいい証明なのだから。

「…なんでもない、薫、それより朝飯、作るか?」

最高に気分がいい。

今なら、俺も、分かりそうな気がした。

 

 

―――どくん

 

 

「あ、あれ…」

…ぐらりと、世界が回る。

 

 

―――どくん

 

 

「ちょ、ちょっと、和の字!!?」

梓が、見える。世界は以前傾いたまま。

 

 

―――どくん

 

 

「どうし…の…」

言の葉すら、もう、届かない。

ヒカリのソコに没んで行く感覚。

 

 

―――どくん…

 

―――意識が途切れる。

 

 

………………………

 

………………

 

………

 

 

 

………………。 

懐かしい光景だった。

<<死んだら、ダメぇぇぇ!!>>

知らない光景だった。

……?

<<ダメだよぅ……ダメだよ…ダメだよぉぉ…>>

……これは、声か?

知らない光景だった。

遠くから、聞こえてくる。でも、身近な声。あの頃は当然に聞いていた声。そしていつの間にか忘れてしまった声。

懐かしい光景だった。

声、声、声。

言葉、言葉、言葉。

泣き顔、泣き顔、泣き顔。

血、血、血。

叫び声、叫び声、叫び声。

俺、俺、俺。

死ぬ、死ぬ、死ぬ…。

 

 

 

――――――死ぬ?

 

 

 

……………………どうやって?

 

 

 

 

…。

 

……。

 

………。

 

……………。

 

…………………。

「………」

「和人っ!!」

「…………ん…」

意識が、戻る。正確には意識はあったのだが、“覚醒の仕方”を学んだような、そんな感覚。

夢の世界から帰ってくる道がやっと見つかった、そんな雰囲気。どこかで道を間違えて、そしてやっとおまわりさんに連れられて戻って来れた、そんな感覚。

「……すまん…」

とりあえず、心配かけたみんなにそう、言う。それを聞いた梓らは、ふっと一瞬場の空気を和ませる。

「…ったく、イキナリ意識を失いやがるからな…」

「労れてるんじゃないですか? 和人、貧血とか持ってましたっけ?」

薫が心配そうに俺の手を握る。それを見た梓は少しバツの悪そうな顔をするが、それも一瞬だ。

梓は、薫の心も知っている。それは多分辛いこと。

「…かも、しれん…貧血は、今までの人生で経験したこと無かったからな…わからん」

さっきまでとは打って変っての悲痛な表情。

―――これなら、“読”めなくたって、いいくらい、分かりやすい。

「心配すんな、梓。別に睡眠不足って訳じゃないさ」

「でもさ…ボク…」

俺の言葉に嘘が無いことがわかったらしく、梓も一瞬頷いて元の顔に戻った。

「あ、あのぅ、頭痛薬とかなら薬ありますけどぅ…」

「いや、いい、ありがと、千佳ちゃん…」

俺は先ほどの泣きそうな表情に、さらに拍車がかかった千佳ちゃんを見る。相変わらず、純粋に人を見ている。

まったく、俺が参りそうなくらい。

「…和人?」

背後から、声。振り向くまでも無い、翼だろう。

「ああ、大丈夫だ…ちょっと、休ませてくれればいい…すまないが、そうしてくれるか?」

俺は薫を見る。薫も一瞬は悲痛そうな顔を浮かべるが、『わかりました』とだけ言うと、俺の元を去る。

「……」

沈黙。その間、誰も言葉を発さない。

「…とりあえず、朝飯、頼む…腹が減って、もう一度倒れそうだ…」

その言葉に、少しだけ場が和んだのか、各自が各々の仕事を始める。

もう火を扱うのが定着した千佳ちゃん。料理は薫と梓だろう。

「…和人、何があったの?」

キャンプ用の椅子に座り、ツバサが今度は真正面から話しかけてくる。

「……どうしてだ? 普通に、立ちくらみだ…まあ、ちょっと心配かけたみたいだな…悪い」

誤魔化す。仮に今のを伝えるとしても、何と伝えるべきだろうか。

知らない筈の、消えた記憶の断片かもしれない映像が見えた、と?

「……なら、いいんだけどね…」

翼は俺のことを一瞥すると、すっと立ち上がって薫の方へと走って行った。

「………ふぅ………っはぁ…はぁはぁ…っ」

一人、呼吸を吐く。正直、今にも倒れそうなほど、体調は最悪。

未だに世界は回っており、まるで病魔が体の中を荒らしまわっているようだ。

感覚としては乗り物酔いに近いが、それよりも強く頭に響く。

―――昨日前の出来事が、俺には重すぎた…のか。

分からない。

極度の不安に駆られていた状態からの反動なのか、それとも正直単なる体調不良なのかは分からない。

「まあ、とりあえず…」

今は、体を朝食が食べれる程度に改善するしかない。

俺はもう一度、目を閉じた。

 

 

 

 

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