07月31日

 

 

覚醒たのは、病院のベッドだった。目覚めた瞬間、そこが病院だとは気づけなかった。

最初のイメージは白、そして自分の巡りに居る数人の人間。囲むようにではない、目の前にたって背中を向けている。

天井をぼんやりと見ている。思考がまとまらず、言葉が宙を浮かぶ。イメージがまとまらず、頭が働かない。

目に写るものが情報としての意味を失くし、単なる事象に成り下がる。付近の景色と一体化した人間たちは、どうも俺が覚醒たことに気付いたらしい。

もう一度、ここは病院。唐突に、理解した。

「!? 美咲は!?」

跳ね起きる。

「ん? おお、起きたか…」

目の前には一人の白衣。年齢はとうに60を超えているだろうその老人の医者は、俺見ると酷く懐かしいといった感じの言葉を言った。

それが、何を意味するのかわからなかったが。

「……大人になったものだな…和人君も」

「あ・・・」

気が付くと、周りには数人の看護師らしき人が沢山居て、俺は丁度その中心に居る形になっているらしい。

「……その、先生、美咲は?」

さっきまでのトーンを下げ、極力控えめに訊く。

「ふむ…まあ、詳しい話は後だよ、和人君。今は、ご両親にご連絡を。私達では、連絡しようにも出来無くてね」

困っているのだよ…という表情。俺はそれより、話の内容が気にかかった。

「…親を呼ばなきゃいけないような状況、なんですか?」

正直、訊くのが怖い。というより、聞きたくない。三日も人間が飲まず喰わずであった場合、生きている確立は正直微妙だろう。

そう分かっていながら、聞かずには居られなかった。

「…む? いやいや、栄養失調だよ、単なるね。妹さんの場合、それに過労も重なっておる。まあ、しばらく家で安静にしておくことじゃな」

にっこりと、笑う先生。

「……は…」

どっと、労れた。なんだ…単なる栄養失調か…。

…。

だったら、何なんだあの留守電は。紛らわしい。ワザと、美咲は行かなかったのだろうか?

しかし、行かないなら行かないなりに連絡くらいすると思うのだが。よく、分からない。考えがまとまらない。

ただ、美咲が助かった。それだけが、今実感としてあった。

「だが、子ども二人が栄養失調と言うのは危ないぞい、和人君。特に妹さんは、気をつかってやらんと…

 

…<<ただでさえ、体が弱いのだから>>」

 

 

ずきん。

先生の言葉が、頭の中の何かを響かせる。

―――そうだ、美咲は、昔、体が弱かった…。

当然のことを認識するように、受け入れる。

「…どうした?」

心配そうに俺の顔を見て言う先生。

「……いえ…何も…」

しばらく俺の顔をずっと見ていた先生だったが、看護師の人となにやら話すと、

「…今日は、病院に泊まって行きなさい。それと、妹さんが覚醒たときにいてやれるように、部屋は相部屋にしておくからの」

そう言って、老人の先生は部屋を出て行った。その後には漠然とした不安を抱えたままの、俺だけが残される。

と、突然、

「妹さんの様子、見る?」

隣の看護師さんが話しかけてくれる。

眼鏡をかけた、落ち着いた感じの女性だ。

「…ええ、正直、心配ですから…」

とりあえず、俺は考えるのは保留にして、美咲のところに一刻も早く行くことにした。

本人に会ってから、聞けばいいじゃないか。そうすれば、おそらく笑い事が帰ってくるに違いない。

………違いない、のだ。

 

 

 

気付かなかったが、時間帯は昼頃だった。

あの後、看護師さんから聞いた話によると、俺らは直様かけつけた救急車に乗せられ、病院まで直通したらしい。

どちらも意識不明。妹の方はそれに過労。正直、異状だったらしい。少しだけ警察の人と話、恩赦と謝罪を述べた後、俺は美咲の部屋に来た。

美咲は、中央のベッドの上で、寝ていた。いつもは凶悪に見える顔も、寝ているときは無邪気なものだ。

昔を、回想する。気付いたときには、美咲は何でも出来ていた。

思い出した記憶では俺が美咲を守っていたらしいが、正直俺はそんな実感は無い。

昔からやはり子どものような背、顔、そして声などのチャームポイントはクラスの注目の的だった。

女の子のような顔は昔から変わっておらず、そして相変わらずの身長だったためっだ。

一時期は本気に病気だと思っていた時期もあったが、それも薫のお陰で救われたりもした。

そんな確かな思い出は、確実に思い出した記憶と少しながら食い違う。そして、例の少女。泣いていた、少女は一体誰なのか。

分からない。考えても、分かるものではない。もう一度、美咲を見る。

美咲は規則正しい呼吸のまま、目を瞑っている。西の窓からは、斜めに入り込むように夏の高い太陽が入り込む。

少し、布団が寝苦しいかもしれない。そう思い、ブラインドを下げる。室内が、少しだけ暗くなった。

そのまま、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。そして、美咲を見ながら、回想する。

やがて。

数時間後、俺は眠りに落ちる。まだ、キャンプの疲れが残っていたのかもしれない。

 

 

 

 

<<……ねえ、あのさぁ…>>

退屈だった、理由なんてそんなものだ。

<<……>>

少女は怯えたような表情をした。そんな表情をされると、こまる。

<<え、えっとさぁ…僕、最近着たばっかりなんだけど…>>

相変わらずの沈黙オーラ。何をしていいのかさっぱりだ。

<<あ、そうそう。僕の名前は、きゅうらぎ かずとって言うんだ。君は?>>

多分、本の冗談。単なる退屈しのぎ。狭いこんなに退屈な場所に入れられて、誰でも良かったから話したかっただけ。

<<わたしは……  >>

少女が自分の名前を口にする。僕はそれが上手く聞こえなかった。

<<えっと…うん、よろしく、  >>

僕も、確認するように名前を口にする。

<<かず…と、も、よろしく>>

少女は、とても可愛げに、頬を赤らめながらそう言った。

 

 

 

 

「………」

目が、醒める。また、“過去”の夢。

最近、昔はまったく見なかったのに、少しずつ見えてくる夢。

何故なのか、そして何なのか。まったく分からないが、亡くなった記憶が戻るのは、嬉しくもあり、同時に怖くもあった。

だから、俺は何も考えない。夢について考えれば、もしかしたら夢が現れるかもしれないのだ。

今のままで、いい。記憶など無くても、いいのだ。そう、思えるようになってきたのだ。だから、いい。

しかし、夢とはいぢわるで、知りたい時には無関係なことを、そして知りたくない時にはちゃんとした記憶を、見せる。

逆に記憶を見たくないから、知りたくなくなるのかもしれない。

それは、まるでアダムとイヴ。ヘビにそそのかされ叡智の実をかじり、疑うことを覚えたが故に地上に落とされた二人の人間。

その後、知らなければよかったと後悔しても、もう遅い。歯車はとめられないのだから。

「……ね、お兄ちゃん…」

優しい、声。俺は、ベッドに突っ伏したまま、何も答えない。

優しい手が、まるでお母さんのような手が、俺の髪を撫でる。

ある意味シスコンのようで嫌な感じもしたが誰も居ないので大丈夫だろう。

声は、続く。

「…そろそろ、労れたよね…お兄ちゃん…私も、昔みたいに走れないもん」

悲しみ…は、ない。あえて言うなら、それは優しさ。本当の部分での、美咲。

「…終わりなのかなぁ…終わっちゃうのかなぁ…」

ただ、淡々と績がれてゆく物語。淡々と語られてゆく言の葉。俺はそれを、静かに聴く傍観者。

「昔に、戻っちゃうのかなぁ……」

 

 

 

<<………好き、なのですか?>>

 

 

今度は、声がかすれていた。所々に、嗚咽に似た声が混じる。

「…昔みたいに…昔に……折角の、夢だったのに…」

美咲は、それでも語るのを止めようとしない。

 

 

 

<<一緒に居たいと、想うのですか?>>

 

 

「……お兄ちゃん……好きだよぉ…お兄ちゃん…」

抱きしめる事は……できなかった。

俺は、その声を静かに聴く。何もいうコトは無く、何もする事は失く。

 

 

 

 

<<人を、愛したいと思うのですか?>>

 

 

 

「……好き、なんだよぉ…だって…私…お兄ちゃんが居ないと…一人…になっちゃうもん」

最早、聞き取れる単語は数個だ。それでも、俺は聞き耳を立てるだけだ。同時に、自分の馬鹿さか現に腹が立つ。

 

 

 

<<貴方は、決し一緒にはなれません>>

 

 

今まで、何故気付かなかったのか。

弱い、本当に弱い守るべき存在に。俺の存在意義の全てを課けて守るべき存在に。

何故、見えていなかったのだろうか。

 

 

 

<<一人に、なるだけです>>

 

 

「ぅぅ……ごめんね…お兄ちゃん…ごめんね…ごめん…」

美咲の声をバックグラウンドに、俺は再び眠りに落ちようとする。

剥げてきた夢という塗装。能力という、不安定な現実。

そして、俺の夢の終わりと、そして崩壊。

 

 

―――なんだ、気付けば、もう、終わりが始まっている。

 

 

 

<<一人は、辛いです>>

 

 

―――そんな事は、もう重々承知だよ

 

 

 

<<一緒を経験しなければ、一人になることも無いです>>

 

 

―――それは、ある意味幸せだろうね

 

 

 

<<それでも、貴方は―――>>

 

 

 

光が、満ちた。

あの日、聞いた声は、どこか遠くから風に乗ってやってくるように、俺の中で強く響いた。

 

 

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

何となく、来て見ただけ。意味は無い、そこに意思も無い。自然に来た、そういう表現がぴったりあう。

それこそ、本当に何となく。ぶらりと、自由気侭な気持ちのまま、来てみただけだ。

理由なんて無く、何となく来てみただけ。そう、何となく。理由など無い、ただ、風の吹くままに。

ちょっとした町にある丘の上。頭の上には夏の太陽。辺りは草木の薫り。

今は已に花はないものの、影を作るには十分すぎるほど大きい桜の木の下で、俺は寝転んでいた。

丘と同じ高さに何も遮蔽物が無いため、直接風が吹き抜けけてゆく。風が、気持ちよかった。

どこかで覚えたメロディーを、口笛で吹く。一番高いところを吹き終ると、少し休憩する。

木の下の木陰は、本当に極楽のようだ。少し地面が湿っているが、それくらいがひんやりしてて気持ちがいい。

町を、ぼうっと見つめる。眺める。見渡す。そこからは、何もかもが見える。大好きな、町。

変わらない、町並み。少なくとも俺が記憶している限りでは、ここから見える町並みは、見る高さこそ高くなって言ったかもしれないが、変わっていないように感じる。

時間が、ゆっくり流れる。そんな、不思議な場所。そんな場所では、奇跡が、起きるものだ。

 

 

 

「辛気臭い顔、してるねー」

 

 

 

極めて自然に、しかも大胆に、目の前の人物は俺の前に立った。

セミ・ロングの髪の毛。そして、吸い込まれるような濃い緑色の瞳。

顔はニヤニヤと笑っていて、結構いやらしいが、姿自体は前に見たことがあった。

「……キミは…」

必死に名前を探すが、出てこない。

「なはは、よっす♪」

彼女は極めて気楽に、俺の隣に腰掛ける。

二人で、景色を眺める。

「何で、俺がここにいると分かったの?」

沈黙が耐えられず、俺は口を開く。しかし、少女は体育座りで前を向いたまま、緑の瞳をコチラに向(む)けようともしない。

「ねえ…?」

綺麗だよね…」

唐突に、遠くを見ながら少女が言う。俺は隙を突かれて『え?』と間抜な回答をしてしまう。

「街が?」

少女がそれっきり黙ったので、再度聞き返す。

 

 

「確かに、生死の輪廻は、綺麗とも言えるかもしれんな」

 

 

声が、第三者の声が混ざる。俺はそっちの方を、男の声のほうを見る。

ソコには、これまた中世的な顔立ちをした人間が立っていた。格好から判断するに、大体俺らより一つ上か、二つくらいか、そのぐらい。

夏だというのに、長袖と長ズボンを履いているにも関わらず、顔には汗一つ浮かんでいなかった。

「……何をしにきたの?」

珍しく、女の子が不機嫌を現にして、言う。

「何も。強いて言えば、この人間に逢いに来ただけだ」

目の前の男は威圧的な雰囲気で喋る。今気付いたのだが、この男、容姿は結構女の子に似ているのだが、瞳の色が澄んだ青色だった。

それで髪の毛はグレーなのだから、違和感を感じてしまうが。

「…そう…」

女の子は興味なさそうに答える。そして、その答えを聞いた男が少し笑う。

「お前は…」

「穢らわしい」

即答。男は極めて自然に、そしてかつ威圧的に、俺にそう言った。

「触るな人の子。人の子が…何を偉そうに」

憎しみすら感じてしまうような威圧感。男は極めて冷静そのものだ。だが、俺は圧されていた。

「…………まあ、いい…所詮は、夢の継ぎ接ぎ…どうせ夢は剥げて、いつもの結末になるだけだ」

男はまだ苛立ち気味で俺を見た後、目を閉じ、俺を通り越して女のこの方に歩いてゆく。

「夢を見る事は大切だが、夢を夢と認識出来なくなってしまったが最後」

そこで男は俺を見て、

「永遠に終わらない、夢の落とし穴にはまるだけだ」

そう言い、ニヤリと笑った。

「お前は…」

「日和」

またもや唐突に、今度は日和が口に出す。

「どうだい、良い名前じゃないかい?」

最高の傑作を前にしたときのように笑うひよりと名乗った男。しかし、その行動すら、分からない。

「…ひより…」

と、背後から女の子が、静かに立ち上がる。

「私は、信じる。私が、信じれなかったから」

静かに、しかしはっきりと、そう言う。それを聞いた日和は更に『最高だ』と呟く。

「………いいさ。適わぬ願いなら持たぬが吉。所詮ロウで作った翼は、太陽に近づくほど溶けてしまうものだからね」

そう男が言った次の瞬間、空から大量の雨が降ってきた。

『さあ、とびっきりのトラジディの始まる。それはきっと、どんなパロディーよりも、面白いだろうさ』

 

 

 

声は霧散して消えた。

唐突の雨に体を起こす。そして付近を見渡す。二人の姿を探すもいない。

木の下に寝転がっていた態勢から覚醒し、木の下に張り付くように移動する。

体はすで濡れていた。家には、帰れない。

 

 

「………」

 

 

ただ、何をするもなく、雨の中、桜のした、俺は立っていた。

 

 

 

 

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