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昔から、愛情と言うものを貰った覚えが無かった。あったのかもしれないが、それを愛情と感じた事は、少なくとも無かった。

『あなたが居るから、私は不幸なのよ?』

母は、コレが口癖だった。それは今になって気づくと大変な間違いなのだが、子どもだった私はそれを認めていた。

即ち『嗚呼、私はいちゃいけない人間なんだ』と。

私は、お父さんを企業の社長、母さんを社長夫人兼秘書としている二人の間に生まれた。お互い、愛し合って生まれた子どもらしい。勿論伝聞系だ。

生まれたばっかりの頃は、幸せだった。いや、実際生まれたばっかりの記憶は流石の私も無いけど、幸せと感じた時間は確かにあった。

だけど、段々と、周りが壊れていった。私たちが壊れて行ったのではない、あくまで、周りが壊れていった。

お母さんは毎日私をぶつようになって、お父さんは私に見向きもしなかった。理由は分からない、『私のせいだ』と思っていた。

お父さんから貰った愛情は、無情。お母さんから教えてもらった感情は、憎しみだった。

そのせいあって、私は順調に壊れていった。それこそ、自由落下している物体が、何にも遮られないときのように、順調に落ちていった。

そして4歳の頃、私は、発狂する。それは、世間から言ったら当然だった。

毎日誰にも構ってもらえず、そして相手にされることも無い。ついでに言えば、毎日私は自らの自責の念でいっぱいだった。

一人で過ごす毎日。閉鎖されれている空間。

誰とも、話せない孤独。その環境を考えれば、逆に良く4歳まで持ったというべきだろう。

 

 

―――気づけば、何かを傷つけていた。

 

 

最初は、飼っていた金魚だった。そう、あくまでも私が記憶している中では、最初。

金魚を水槽からだして、まな板の上に乗せ、力いっぱい叩き潰す。耳障りな音が、一瞬だけ。

金魚は勿論■んで、その肉片が私の手にこびりついた。べとり、と…何かが垂れた。

この上ない、快感だった。何かを毀すことで、自分の存在を確立できた。

そのまま、小動物にその対象が変わった。近所から迷い込んできた猫が、最初だった。

それはそのときの私にとっては、ある意味”生贄”に近い感情。自らの憎しみを収めるための、尊い儀式だったのだ。

猫は私の元によってきて、人懐っこそうに鳴いた。首には、鈴がついていた。名前もあった。

確か名前は―――。

思い出せない。どうでもよかった。勿論、殺した。

猫はバットで叩くと、直に動かなくなった。体がぴくぴく痙攣して、口から何か汚いものを吐いた。

気持ち悪い、そう感じた。だから、それがさらに私を苛たせて、私は更にそれをバットで叩いた。

猫は、死んだ。その瞬間が、最高に気持ちよかった。自分が、生きていると実感できた。

自分が、ここにいるんだと、何かの生命を奪って、初めて実感できた。

それでも、私は誰にも対手にされなかったし、偶に来るのは家庭教師の女の先生だった。

だから、私は、その先生も、殺そうとしただけだ。ナイフを取り出して、先生の元に走って行って刺した。

先生は私がナイフを持っていたのを知っていたし、走ってきたのもわかったけど、刺すことまでは想像できなかったらしい。

そんな事は、関係ないのだが。先生は苦しく喘いでいた。

手が血でベトベトになった。だけど、今までの動物とは違って、もっと生きてると実感できた。

私がもう一回刺そうとした時、屋敷の使用人が来て、私の邪魔をした。

使用人も、刺した。目の前に居る人、全員を刺した。刺して、刺して、刺して、刺した。

でも、それより早く私は抑えられてしまって、そのまま病院へと運ばれた。

病院で、私は禁められる。そう、それは入院という名の、監禁だった。

 

 

ある日、私は、一週間のうちに3回だけ許される、それも一時間だけの休み時間に、外でぶらぶらしていた。

私が閉所恐怖症の気があると判断されたかららしい。それに、お付の人が居なかったのは、もしかしたら両親の配慮だったのかもしれない。

どうでもいい。関係ない。

暇だった。あれ以来、何も殺していないし、何も刺していない。

私の周りにはありとあらゆるものが無く、病室にあるのは本当にベッドだけだ。

窓も固定されているし、何も出来そうに無い。その窓に向かって何かを投げたこともあるが、妙に硬くて、割れなかった。

そのときも直ぐ、周りの人から取り押さえられた。何でかは、分からない。

だから、つまらなかった。周りの景色になんて興味はなかったし、自分の手の中にはナイフがなかった。

いつものように、時間が過ぎてもまだ帰らず、庭のベンチに座っていたときだった。

ある、春の日だったと思う。ソレも今ではよく、思い出せないけど。

「ねえ…」

男の子、だった。

「あのさ…僕、最近ここに入院してきたんだけど…」

何が言いたいのか分からなかった。だから私は黙っていた。

そしたら男の子は『ええっと…』と言って、黙り込んでしまった。

私は、その不思議な男の子を少しだけ見つめていた。

それをずっとみていると、何だか男の子が必死で、可笑しくなってきた。

「あ…えっと、僕の名前は厳木 和人っていうんだ、き、キミは?」

私の頭の中で、自動的に『きゅうらぎ』は『厳木』に変換された。

私は、少し悲しくなる。私の頭の中に、この男の子が何をしたいのか、理解できるような予備知識がなかったからだ。

「わたしは……」

この男の子は、一体何のために私に話しかけてくるのかが分からなかった。

そもそも、私にとってこの男の子は何なのかすら、わからなかった。

今思えば単なる暇つぶしとか、たまたまとかいう、そういう曖昧な理由だったんだろうけど、それがあのときの私には分からなかった。

男の子、厳木 和人は、ちょっとバツの悪そうな表情を浮かべた。

とても困っている。そんな感じだった。

「い、言いたくないなら、いいんだ…けど……」

語尾がだんだんと弱くなってくる。態度も、どことなくそわそわしてきた。

男の子はさっきよりも更にバツの悪い表情を浮かべて、本当に困ったような顔をししていた。

何故か私は、哀しくなった。何故かは、本当に分からない。まさか私は同情したわけではないと思う。

そうだとしても、おそらく人間が小動物に対して感じる感情と、そう大差ないと思う。そんな感情。

言い換えるなら、気まぐれ。

「巴」

そう、言った。

「…え?」

男の子はキツネにつままれたような表情をして、私を見返してきた。

聞こえなかったのだろうか。男の子は、相変わらず困った表情のまま。

そういえば、こういうお喋りは久し振りだから、言葉の大きさが足りなかったのかもしれない。

「私の名前…巴っていうの」

何故か私の語尾も、弱まってしまった。

でも、それを聞いた男の子は、本当に嬉しそうな顔をして、

「うん、よろしくね、巴…ちゃん」

そう、言った。

何故か『ちゃん』と呼ばれるのが物凄く恥ずかしくて、私は下を向きながら答えた。

「よろしく…和人…君」

退屈、そして気まぐれ。ただ、それが、始まりだった。

 

 

………

 

 

 

私達は、毎日外に出て遊んだ。勿論、私が外に出れる日は毎日、だ。

と言っても、私は毎日見てるだけで、何もしていなかったんだけど。

和人は一杯、一杯楽しい話をしてくれた。

家の事、お父さんとお母さんが仕事で忙しいというコト。

妹の事、妹さんは病気がちでとっても可愛そうだというコト。

夢の事、将来は絶対にサッカー選手と野球選手のどっちかになるというコト。

外の事、皆もうすぐ学校っていうのに入らなくちゃいけなくて、すごくつまらないというコト。

一杯、一杯楽しい話をしてくれた。少なくとも、私のとっては楽しかった。

私が一回、大好きなローマの時代の事を話したときは、和人君はつまらなそうだったけど。

でも、それでもとても楽しかった。今まで、こうやって”会話”することに楽しさを感じた事は、皆無だったからだ。

私が和人君と話しているところを先生達に見つかると、私はすぐに連れ出されてしまった。

一回なんか、和人君は木の棒を持って先生に殴りかかっていってしまった。

それからも、私達はずっと遊んでいた。それはもう、習慣とか、そういうもの。

無くなったらなんとも思わないけど、でもあれば嬉しいもの。

病院じゃあ見つかるからと、病院のすぐ隣にある丘の上で、毎日遊んでいた。

病院から抜け出すのも、慣れたものだった。

私達は毎日そこにきて、そして遊んだ。

話した、笑った。私は、本当に楽しかった。

 

 

………

 

「か、和人くんっ!!」

私は、泣いていた。目の前は真っ暗。そして、同時に真っ赤。

目の前には、血まみれで倒れている男の子。

今までずっと一緒に遊んでいた、和人君が、倒れていた。

私の手は、血まみれだった。

あたりは雨だった。体が冷えて、私の両手は血で濡れて温かかった。

私は、泣いていた。

「し、死んじゃやだよ〜〜!!」

その声は、丘の上で、どこまでも響いた。

私はその日、再び人を傷つけたい衝動に駆られてしまった。

だから私は、いつもとは違う時間に病院を抜け出したのだ。

ナイフを、持って。いつもどおりの、あの感情を抱いたまま。

ナイフはずっと持っていた。あの、先生を刺したナイフと同じものだった。

お守り、みたいなものだった。私にとっては、唯一私を理解してくれるモノ。

そして、私はそのナイフを持って、雨の日、病院を抜け出した。

私は、何故か不安だった。それは言い表せないような不安。

まるで自分が今すぐ死んでしまうのではないかと言う、不安。

まるで自分以外の人が全員居なくなってしまうのではないかと言う、不安。

今すぐ、和人君がお別れを言いに来てしまうのではないかと言う不安。

このまま病院でずっと生活さなくてはいけないのではないかと言う、不安。

様々な不安が、私を一気に襲った。タイミングが悪かったのだろう、そのときはソウ思った。

言い知れない恐怖を感じた。だから、自分の病気のために、自分以外の誰かを傷つけようとした。

そうすれば、自分がここにいるのだと、安心できるから。

そうすれば、自分がここにいていいのだと、安心できるから。

でも、出来無かった。私は出来なかった。出来るわけが無かった。

また誰かを傷つければ、また私は病院にずっといなくちゃいけなくなる。

多分、和人君とも会えなくなる。いや、絶対そうだ。

それが、一番怖かった。何よりも、一番、怖かった。

でも、衝動はどうしようもなかった。今まで私はそうだったから、今までがそうだったから。簡単には変わらない。

だから、だから、だから、私は、こっそり、雨の日に、和人君が来ないはずの雨の日に、病院を抜け出して、来たのだ。

そして、ナイフを持って、仕方無いから、自分を手首を―――

「和人君っっっ!!!!!」

呼びかけても和人君は何も言わなかった。

雨の中、倒れたままで、私は何も出来なかった。

泣いていった。

ただ、泣いていた。

自分が和人君を殺してしまったのが怖かった。

自分が一番恐ろしかった。

ここにきてやっと、私は他人を傷つけるということを知った。

痛かった、痛かった、痛かった。

心が痛かった。

今までの自分を思い出してみて、自分自身を羞じた。

でも、時間は戻らなかった。

私は怖くなって、丘を駆け下りた。

途中、何回も頭から転んだ。気にしなかった。

服はびしょびしょドロドロで、格好も最悪だった。

こんな姿和人君には見られたくないなと思い、和人君はもう居ないのだと思って、さらに泣いた。

病院に帰って、驚く看護婦さんに抱きついて泣きじゃくった。

ただ、泣いた。

ただ、哀しかった。

ただ、悲しかった。

だた、何もなかった。

私は、あの時、本気で、何もかもに、泣いた。

 

 

 

…………

 

 

「ねえ、巴さん?」

それから少しして、私は病院を退院した。

あの出来事以来、衝動は抑えられるようになった。

というより、逆に今までの反動なのか、他人を傷つけることがとても怖くなったのだ。

「なに?」

私は問いかけた相手を見る。

同じ小学校の、子だ。

お父さまは確か政府のどこかのお役所の官僚様で、お父さまからはきつく無礼の無いように言われていた。

その子はとても傲慢で、正直あまり好きではなかったのだけど、付き合っていた。

「ほら、あの子、こっちに向かってくるよ?」

「?」

誰かが向かってくることなんてしょっちゅうだったから私は慣れていたが、その子はとても怖がりだった。

弱かったのだ。

私は一歩前に足を踏み出して、その子を守るような形で立った。

目の前の子は、私たちに一回ぺこりとお辞儀をすると、

「えっと…御門 神楽さんですよね?」

それは私のもう一人の子の名前だった。

「わ、私が神楽だけど…な、何か用か?」

精一杯の虚勢。明らかな空回り。

でも、女の子はにこっと微笑んで、

「私、いつは 薫と申します」

言った。極めて自然に、微笑みすら浮かべて。

“いつは”という苗字がどういう漢字を書くのか分からなかったので、とりあえず頭の中で平仮名にしておいた。

「詩聖小学校のものです。次の対戦相手ですので、ご挨拶を、と」

私は内心『ほう?』と思った。同時に、目の前の少女を珍しいものを見るように眺める。

これからの相手に、わざわざ挨拶に来るとは、まったく暇な人間もいたものだという関心と、そういうことを出来る子がこんなところに居るとは思わなかったからだ。

礼儀正しく、そしてちゃんと相手を立てれる、大人の女が。私は少しだけ、嬉しくなる。

「…はっ!? ま、まったく暇な子ね…馬鹿みたい」

馬鹿はまさにコチラだったが、私は何も言わなかった。そして私は同時に、少し恥じた。

その言葉に薫は何も言わずににこっと微笑んで、

「ごめんなさい、お邪魔でしたか…それでは、次の試合はどうぞよろしくおねがいします」

去って行った。

 

 

案の定、神楽は薫に一瞬で負けた。

 

 

小学生にしては、素早い切り替し。びりびりと空気すら振動しているのではないかと思われるような雰囲気。

剣先は整っており、姿勢もいい。いや、逆に言えば、”駄目なところがない”とでも言うのだろうか?

我が学校の部活でも、そうそうに勝てる相手ではない。少なくとも、私以外のダレもが。

勿論、名前だけでレギュラーになった神楽が負けて当然だった。

その後、私は同じく詩聖小学校の事、対戦した。

「きゅうらぎ……美咲」

その名前を聞いたとき、懐かしい名前が思い出された。でも、感じが頭の中のと違ったので、その考えを打ち消す。

そんなはず無い、私は、もう関係ない。

でも、それでも―――。

そう思うと、私は動けなくなったが、神楽に馬鹿にされるのだけは勘弁ならなかったので、試合には出た。

そして、対戦。見事、私の勝利。

 

 

試合後。

 

 

 

私は神楽の目をすり抜けて詩聖小学校のところへ行った。

薫と、丁度美咲が話しているところだった。美咲は私を見ると一瞬で怨むような目つきになった。

薫は、そのままだったが。敵の私に、何故か微笑みすら浮かべている。

ちなみに、薫と私は個人戦の準決勝で当って、私が勝っていた。

そして優勝は、花を持たせる意味合いで、同じ私華小学校の子に、あげた。

「…何しに来たんですか〜」

不満そうな美咲の声。

「どうも、森崎さん、でしたか?」

薫は微笑んでいた。

「…君は、きゅうらぎ和人の妹か?」

そう、単刀直入に聞く。前フリはいらなかった。

次の瞬間、美咲は『へ?』という呆気に取られた顔になって、

「な、なんでお兄ちゃんの事知ってるんですか!?」

―――――――――。

動揺、もしかしたら顔に出たかもしれない。慌てて、無表情に戻す。

心臓が、どくんどくんと、脈打っている。頭に血が上り、今にも卒倒しそうだった。

「いや…昔に、君の話をしてもらったことがあって」

正直に話す。今やるべきは謝罪であって、話ではない。

あの時、何故か私は和人を殺した責任は問われなかった。

恐らく、お父さまが握りつぶしたのだろう。

だけど、私にはずっと、ずっと何か悲しいものが残っていたのだ。

「あはは、和クン、すごいですねー華の子に好かれるなんて」

アハハと笑う。それは気持ちのよくなるくらいの笑い方。

「笑い事じゃないって薫先輩!! お兄ちゃん取られちゃうよ!?」

―――取られちゃう?

私は一瞬訳が分からなくなった。

だって、あの時和人は死んだはずなのだ。

なのに、何故こういうことを―――

「まあまあ、和君は昔から、って今でもですけど、プレイボーイさんですから」

微笑む薫。

怒る美咲。

そのとき私は、理解した。

同時に、人生の目標が、出来た。

 

「…和人と、同じ学校か?」

 

今までとは違う意味合いで鳴り響く心臓。

 

「う…お、お兄ちゃんとは、違う学校ですけど…な、何か?」

 

さっきから、風の音が五月蝿く感じる。ええい、黙れ、黙れ、黙れ―――っ!

 

「いや、なんでもない…和人によろしく言っておいてくれ…」

 

動揺。極めて無表情にそう返答する。

 

「はい、では」

 

体の中では、私は喚起に満ち溢れて、いた。

 

 

―――人生に目的が出来た。

 

―――まだ、和人は生きていた。

 

―――だったら、私はまず一度だけ、彼に会って、そして、謝ろうと。

 

―――それは私がやりのこした、罪のつぐない。

 

―――そして、私が生きる意味。

 

―――私は今まで人を数多く傷つけてきて、そして生きている。

 

―――だからこそ、和人には、他人よりももっと、幸せになって欲しいから。

 

 

 

 それが、私が、和人のことを愛する、理由だ。 

 

 

 

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