08月14日

 

 

ただ、毎日を過ごしていた。闇雲に、何もするわけでもなく、経過する日々。

目的も無く、やることも無い。ひたすら、過ぎて行くだけの毎日。

病院のベッドの中、俺の体調は、それこそ変な話で、順調に悪化して行った。

『原因は…わかりません』

あの老人の医者は、そう言って俺に頭を下げた。誰も、何もいえなかった。

でも俺は、誰を責めるも無かった。責めれるはずなど、なかった。

こんなに幸せで、幸せだった人生の中で、誰一人として責めれるはずは無かった。

美咲は泣いた。医者に殴りかかったらしい。俺は止めれなかった。

薫は顔を背けた。彼女は、もう病院には来ていない。それも、仕方の無いことだ。

梓と千佳ちゃんは、相も変わらず俺の友達を続けてくれている。本当に、ありがたい。

巴は………勿論、アレから一目すら会っていない。

時間だけが、過ぎていった。それは、世界から俺だけが取り残されたような感覚。

俺が入院してから、もうすぐ二週間が経とうとしている。

親父らは、流石に仕事を諦め、家に留まった。それでも、病院には余り来ない。

どうも、幼少の頃の俺のせいか、病院と言う空間にあの人達は会わないのだろう。

それでも、心強かった。でも、申し訳なかった。

俺のために、俺のために残るなんて、俺にもしちゃんとした体力があれば、殴りに行っていたところだろう。

しかし、それももう、難しくなった。残念ながら、そんなことすら、出来なくなった。

体力はすでに無く、もともと細かった俺の手足は更に繊くなった。

二週間も体を動かしていないと、色々なところに障害が出てくるらしく、俺はすでに歩行も困難なほど、衰弱していた。

医者がお手上げになるのも、分かる。原因不明の、衰弱の進行。

俺でも原因は分からない。毎日病院の天井を見上げながら覚醒め、そして寝入る。

看護婦さんとは随分と仲がよくなった。それだけが、この病院で得たもの。

俺は、確実に死に向かっていた。それは、誰も口には出さなかったが、明らかだった。

これが、夢の終焉なのだろう。きっと、ここで閉幕。

これが、俺の末路なのだろう。きっと、ここが終点。

未だにあの言葉が脳裏に蘇る。世界に絶望した、あの日和の声が。

俺は苦笑する、まさにその通りだと。このまま俺は死ぬだろう。

それでも、いい気がする。元々、俺は不安定な存在だ。

それに、このまま康らかに逝けるなら、何の文句も無い。

幸福は、沢山貰った。今まで、生きてきた中で、沢山沢山、仮初の幸せであったとしても。

だから、俺はその流れにあがらおうとはしなかった。

「…あ…おっす!兄♪」

病院の前の扉の前に、見知った顔が立っていた。

随分と変わってしまったが、美咲だった。

あの時は輝かしいほどの覇気と、そして豪傑な体力などあったのだが、今の美咲は最早普通の女の子だった。

いや、普通以下、だろう。運動部は全部退部して、今は帰宅部。

回りの友達からは引っ張りだこだったらしいが、それでも美咲の本当の衰退っぷりを見て愕然としたと言う。

夢は、終わった。現実に、戻ったというべきか。

「…美咲……か…」

「おう♪ 入っていいかい?」

入り口の前、不自然な会話がなされる。俺は『勿論』と言って招きいれた。

美咲はいつもの定位置に腰掛け、俺を見た。

俺といえば。

ベッドの背後に寄っかかる様にして、座っていた。残念ながら、ベッドからたって迎える事は、随分と難しい。

髪はあれから結構伸び、俺は急激に成長していた。それはもう、毎日来ている美咲が驚くほどに。

最近は少しずつではあるが、髭すら伸び始めている喉にある違和感は、おそらく喉仏だろう。

まさに、医学を無視した衰退っぷりと、成長ぶりだ。

「……ねぇ、兄ぃ…」

美咲が少しして、俺に話しかけてきた。

「…何だ?」

また、学校の愚痴だろうか。このごろ美咲は、他人の愚痴を言うのが癖になっているらしい。

普通の、女の子のように。女の子なら、誰でもするように。

いや、違う。

友達だった人とも離れ、そして今まで知らなかった現状を突きつけられ、何をする間もなく世界は進行しているのだ。

そう、美咲は、時代に取り残されている。時間が流れていく中、変化を受諾できない日々。

それがまた俺のせいだと思うと、腹立たしくなる。俺はどこまで人に迷惑をかければ済むのだ?

「あの日さ、覚えてる?」

「……あの、日?」

「そ。ほら、兄が居なくなった日…えっと、私が病院から帰ってきたら、家の中誰も居なくってさ〜マジ怖かったんだから」

アハハと笑う美咲。勿論、空笑い。

…そう言えば、そういうこともあった。

今や、懐かしい思い出。思えば、梓に殴られたのって、実は初めてだったんだな…と、思い出しながら何となく思う。

「…あの日、さ…私本当に不安でね…」

イキナリ何を話し出すかと思えば、思い出話だった。

何か、あったのだろう。しかし、絶対に聞きはしないが。

仮に聞いたとしても、おそらく答えないだろうし。

俺は、取り合えず聞くことにした。最初から聞かないという選択肢はないのだけれども。

暇つぶしには、いいだろう。それは、俺が逝くまでの時間つぶし。

それに、美咲の相手を出来るのも、もう少しなんだから。

「薫に電話したのか?」

ばっと顔を挙げて、『え?』という顔をする。

「な、何で知ってるの?」

「さあな、企業秘密だ」

久し振りに美咲の『ぶー』っとした顔を見て、少しだけ微笑む。

昔はこんなことに幸せを感じることも無かったのだが。

これも、夢が終わってみてみると、新鮮でいい物だ。

そう、純粋に思えた。そう、それくらい、変わったのだ。

「……ま、さ…あの時…」

じーっと、どこか空中を見ながら固まる美咲。

何か、いつもとは違う雰囲気がした。

「…………」

沈黙、沈黙、そして言葉。

「……巴が、いたの」

―――は?

「何で、巴の名前が出てくるんだ…?」

あの件に、巴は一切関係ないはず。

だったら、何故。

「……馬鹿兄…忘れたの、巴のお父さんって、ここの系列の会社の会長さんだよ?」

…………なる、ほど。理解できなかったつながりが、微かに俺の中で象を持つ。

つまり。俺が入院したことを知って、そして俺の事を探してたわけか。

知ったのは美咲が入院したときなのかもしれない。手段は沢山ある。

―――でも、何故…。そう、何故、”俺を見つけたことと関係ある”のだろう?

 

 

 

『昔のコト、思い出したの?』

 

 

 

「…………あ」

不意に、繋がった。というより、何故今まで繋がらなかったのか、分からないほど明確に、俺の前には既にヒントはあった。

“なるほど……そういうことか”。その言葉を、ココロのそこから理解する。

巴は、俺の過去を知っていた。勿論、俺もいまや知っていることだが。

そして、俺の巡りの人間の異変にも、気づいた。というより、もしかしたら俺より明確に”終わり”を意識していたのかもしれない。

“夢が終わって行くのを、知った”。ソウ考えると、全部分かる気がする―――。

思い出せ、思い出せ、思い出せ。

昔、俺は女の子とであった。名前は、ともえ。そう、感じに変換すれば、”巴”じゃないか。

苗字が森崎だったかどうかは定かじゃないが、名前が一緒なのだ。

ここであの巴と結びつけるのは簡単だ。だとするなら、巴は俺の過去を知っていて。

 

“もしかしたら、夢の始まりを知っている”のではないか?

 

 

俺は記憶を失ってて、病院の時代の記憶は数えるほどだ。何かが俺に語りかける。

だが、巴がもしあの病院に居て、夢の始まりを知ったら。というより、もしかして俺の夢の始まりは、巴のせいだったとしたら?

どうだろう。どうなんだろう? どういうことなのだろう??

“死ぬはずだった男の子”が俺だとするなら、“泣いていた女の子”は巴だとするなら。

何で、俺は今まで気づかなかったのか。これだけの可能性と、ヒントと、そして巴の感情を受け取りながら。

 

どうして、俺は気づかなかったのだろう?

 

 

 

―――つまり、夢が始まったのは、あの時なのだ。

 

 

 

―――どくん

「!?……っっっつ…」

脳が、痛い。キリキリキリと、頭のおくが痛み出す。。

頭が締め付けられる。偏頭痛とは違う、そう、コレは”危険信号”であると自覚する。

記憶が戻るのを、拒んでいる。これ以上俺の”夢”が終わらないことを、世界は望んでいる。

扉…まさに、鍵のかかった扉。南京錠なんかじゃない、そこにあるのは、絶対な”意思”という守り神。

近づくことすら出来ない、領域。それでも、触ってしまったが故に、崩れ始めている夢の現実。

「お、お兄ちゃん!?」

「はぁぁっっ!!!? …ぐぁ…」

「ちょ、ちょっとお医者さん呼………」

 

 

―――記憶の扉が、開く。

 

それは、ゆっくりゆっくりと。

 

―――どくん…

 

心音がやけに五月蝿い。ええい、黙れ、黙れ、黙れ―――っ!!

 

―――意識が途切れる。

 

そしてソレは夢の始まりだと自覚する。

 

………………………

 

………………

 

………

 

 

懐かしい光景だった。どこかで見たことがある、とても懐かしい、忘れた光景。

季節は分からない、ただ、あの日はとても寒かったと覚えている。だから多分冬だとうと思う。

そう、あの日は…多分、雨だった。あの、丘の日のように。

寒かった。とても、その日は寒かった。

俺はそんな中、病院内を徘徊っていた。

理由は、単純。子どもが持つ理由など、そんなにフクザツなものではない。

『ともえちゃん…これ…』

僕が手に持っていたのは、一つの紙袋。

昨日、僕がともえちゃんと遊んでいたときに、ともえちゃんが持って来た、何かの道具。

中身は、わからないけど、色々何かが入っていた。確認すらしなかったけど。

そしてともえちゃんは、それを忘れて言ってしまったのだった。

だから、僕は届けてあげようと思って、探していたのだけど。

『うう…』

迷った。完全に、迷っていた。病院は、少年の想像以上に大きかった。

自分が知らない病棟には着たことはなかったし、ましてや今は子ども一人。

付近の大人に聞くことすら出来ないで、僕は徘徊っていた。

病院の中の空気は暖められており、窓のそとはどんよりとした雲が見えた。

いつもなら、もう遊んでいる時間だけど、今日は生憎雨だった。

こんなに雨が難い事はなかった。本当に、生まれて初めて雨を憎んだ。

と、今はそんなことより、大切なことがあったのだった。

重い袋をずるずると引きずりながら、僕は歩いていった。

病院の廊下、はだしのぺたぺたという音が、ひどく大きく響いた。

やがて、看護婦さんたちが一杯居る場所が見えた。

ちょっと、嬉しくなって、元気になった。そこに行けば、ともえちゃんと会える、そんな感情が芽生えた。

僕は、少し小走りに、走って言った。徐々に、ソコが近づいてくる。

その時だった。

僕の背後から数人の先生が走って言って、看護婦さん達の一杯いる場所に入って言った。

僕は、やっと辿りついた。先生はすでに部屋の中。

『おい、君、034号室の、ともえちゃんを知らないか?』

――え? ともえちゃん?

心臓が、一回大きく鳴った。

僕は、その前で、立ったまま、止まっていた。

『どうかなさったんですか、先生?』

『いや、私が回診にさっき行ったんだが、いないんだよ』

『いない?』

―――いない?

同じ質問を、頭の中で繰り返す少年。

どうしたんだろう。一気に心配になる。何故か、先生たちの話していることが、少年の中で段々と大きい不安を呼ぶ。

看護婦さんたちも口々に『え…?』と言って困惑している。

『さ、さあ…私たちも探してみます…』

『ああ、それと、これ』

男の人が、ポケットから何かを取り出した。あんまり見えなかったけど、先生が、机の上においたとき一瞬だけ見えた。

それは―――。

『これ。ナイフの…カバー』

―――ともえちゃんのお守り。

いつか、ともえちゃんが見せてくれた、お守りのふただった。中身は、どこだろう?

『ちょ、ちょっと先生! もしかして、これ…』

『わからない、けど、もしあの子がこれを持って病院内をうろついているとしたら、危ない』

―――ともえちゃんが、消えてしまった。いなくなった。

―――お守りのナイフを持って。

そう思うと僕は、すぐに走り出していた。荷物は、そこにおいてきた。

ともえちゃんはきっと多分…もしかしたら、あそこにいるかもしれない。

僕ははだしであることも忘れて、病院内を走った。

 

 

途中、何度も人にぶつかった。そのたびに、謝りはしなかった。

―――ともえちゃんが、危ない。

直感で、そう感じた。いつもと先生達の雰囲気も違った。

理由はわからない、ともえちゃんが危ない。

わからない、でもわかる。想像でしかないけど、確信があった。

ぶつかる、無視。ぶつかる、無視。ぶつかりそうになって、すり抜ける。

院内を駆ける。跣のまま、看護婦さんが止めるのも聞かず、外へ。

何やら背後で看護婦さんの号ぶ声。自動ドアで聞こえなくなる。

無視、走る。ただ、走る。

一気に外へ。庭を抜ける。足を沢山の草で切る。残念、外で遊んでいる僕としては、慣れっこだ。

雨で目が霞む。残念、僕は雨の中だって、目をつむってたってあの丘までなら行ける。

走る、走る、走る。転ぶ、起きる。走り出す。

どろどろになりながら、必死に走る。

病院の庭を抜ける。柵がある。

いっきに駆け上がる。いつもは入り口から回って出て行くけど、本当はこっちが近いんだ。

今度、ともえちゃんにも教えて上げよう。

走る、走る。

いた。みつけた。

雨の中、確かに見えた。

―――さぁ、ラストスパートだ…!

 

 

 

―――!!

 

 

 

何かが、僕に刺さった。何かは分からないけど、それはひやりとした。

必死に、走って、ともえちゃんのしそうになっていることを知って、さらに走った。

記憶が乱れる。何故か、ソコから先が不鮮明。

『ダメだァっ!』

声は雨にかき消されて、聞こえなくなっていた。

僕は、とびついた。

その咄嗟、ボクの胸に、柔らかいものが、刺さった。

『え…?』

ともえちゃんの声。

よかった、間に合った。

安心した。ともえちゃんは無事だった。

 

 

―――どくん。

 

 

『う、うそ…』

ともえちゃんの顔。

 

 

―――ごめんね、時間にちょっとだけ遅刻しちゃった…

 

『な、何で…』

 

 

―――だって、今日も遊ぶ約束してたから

 

 

『か、和人くん…』

 

 

―――ごめんね、待たせて。寒かったよね。

 

 

―――!!

 

 

『は…ぁ…』

呼吸が、苦しい。

 

 

―――どくん。

 

 

 体が灼ける様に熱い。

 

 

―――どくん。

 

 

目が、霞む。

 

 

―――どくん。

 

 

体が暖かいのに、体が寒い。

 

 

―――どくん。

 

 

痛い、痛い、イタイ。

 

 

―――どくん。

 

 

世界が傾く、拗れる、歪む、曲がる、傾く。

 

 

―――どくん。

 

 

倒れる。

 

 

―――どくん。

 

 

『……っ』

 

 

―――どくん。

 

 

『か、ずと…くん…』

もう、何も見えていない。見えるのはともえちゃんの泣き顔だけ。

 

 

―――ど…くん。

 

 

『だ、ダメぇ…』

もう、何も聞こえない。聞こえるのは、ともえちゃんの叫び声だけ。

 

 

―――ど…く…ん。

 

 

『死んじゃだめっぇぇぇぇぇ!!!!』

もう、何も感じない。感じるのは、冷たい雨と、温かい雨だけ。

 

 

――――――。

 

 

『―――!―――!――――――!!』

僕は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ボクハ、シンダ。

 

 

 

…………………………………

 

……………………

 

…………

 

 

 

 

―――声が、聞こえたんだ。ほんのり温かい、風に乗って。

<<この子、もうすぐ死ぬわ>>

<<ああ…そうだろうね>>

―――声が、聞こえる。声が、聞こえた。

<<……ねえ、何を考えてるの?>>

<<さあ?>>

―――風に乗って、ほんとうに囁くような声が、聞こえた。それは本当に小さくて、気がつかないと聞き逃してしまいそうなくらい。

<<…止めなさい。一時的な感情だけで―――>>

<<僕は行くよ>>

<<……>>

―――その声は本当に温かくて、その声は本当に優しくて、その声はまるで太陽みたいで、

<<人間よ、この子>>

<<そうだね、そうだ>>

―――僕は何でか、安心できたんだ。不安が消えたんだ。ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。

<<人間は醜い、汚い、汚らわしいわ>>

<<ああ、確かにそうだ>>

<<多くの生物の命を奪ったわ>>

<<ああ、確かにそうだ>>

<<自分達のために、自分達以外の命を犠牲にしているわ>>

<<ああ、確かにそうだ>>

<<だから、だから>>

<<だから、賭けを、しようか…>>

 

 

―――!

 

 

―――体が、温かくなってきた。僕は、不意に、嬉しくなった。

 

 

 

 

気がつくと、僕は寝ていた。

ちょっとだけ雨に濡れていた草木と、そして気持ちのいい風。

木の幹によっかかって見た町の光景が、さらに気持ちがいい。

それは青空。真っ白な雲。

拭きぬける風、木漏れ日の下ゆったりとした日々。

僕はゆっくりと立ち上がって、大きく背伸びをした――――――。

 

 

 

<もどる> <いんでっくす> <つぎへ>