08月15日
「…………珍しい、わね」
室内に二人の女子がいた。逆に言えば、勿論だが、部屋には二人しか居なかった。
「…そうでもないでしょう、巴。だって、ちょっと前までは私この家の常連客だったんですもの」
名を、森崎 巴と、そして乙葉 薫。お互いがお互いを知っており、同時にお互いがお互いを知りすぎている。
二人の女子は、とある屋敷の中の、とある一室の中で、向き合う形で座っていた。
二人がいるのは屋敷。それも、とてつもなく強大な屋敷だ。
おそらく、日本全国探しても有数の規模を誇るこの屋敷こそ、森崎巴の…いや、FFが所有する物件のうちのひとつである。
つまりは、巴の家なのだ。家…というより住い、だが。
親は居ない。親はまた日本の別の地域に住んでおり、彼女は単身この家に住んでいる。他は、数人の泊まり込みのお手伝いがいるだけ。
それこそ、マンション一つを一人の人間で所有するくらい贅沢ができるのも、やはりFFのお陰なのだ。
しかし、それを彼女は特別と考えたことは無い。
生れてからこの方、自分の生活に不満を言った事も、思ったことも無いのだ。
「…で、薫。何か、用?」
そう、単刀直入に少女は切り出す。彼女は今、誰とも会いたくなかった。
しかし、この目の前の少女である薫は、屋敷を知った顔で歩き、そしてココまで来たのだ。
だから、誰も止める者も、いなかった。いや、とめれるものが居なかった。
居たのかもしれないが、その都度上手く説き伏せたのだろう。
目の前の少女は、そういう女だ。そう、巴は知っていた。
幼少の頃から知略に関しては右に出る者は折らず、マナーも完璧。
まさに、完璧な人間。非の打ち所の無い人間という文章を、現代に具現化したような存在。
頭も切れ、そこそこにルックスも良く、そして人当たりもいい。
これ以上の人間がいるだろうか。薫は、未だかつて薫以上のペテン師を見たことは無かった。
それくらい、巴は薫を買っている。それくらい逆に言えば、薫も巴を買っている。
薫は巴の才能と、そしてずば抜けた知力などを知っている。
だから、付き合えている。薫は、内心そう思う。
「用…というものでもないけれど、まあ、あえて言うなら一つだけ…」
おそらくこの世で、巴の視線の直視を受けてまともに返せる人間は少ない。それほど、巴のオーラは濃い。
しかし、目の前の少女、薫はまったくそれに動じた様子すら見せない。
まさに、ペテン師だと、巴は思う。薫も同様に、それを自覚している。
「……久良木、和人…」
巴の顔が、一瞬引きつるように固まる。無論、それお覚らせないために一瞬後には戻っていたが、薫は残念ながらそういう隙を見逃す女ではなかった。
「…やっぱり、まだ気にしてる」
ふふっと、妖艶に薫が笑う。巴はこの表情を見るたび、この女は計り知れないと、心底思う。
そんな、小悪魔的な笑み。でも、それは気持ちが悪くなる類のものじゃない。
「…どうだって、いい…」
「その割には、久良木和人の病院の検査報告、未だに受けているんですって?」
どこで知ったのかは聞かない。というより、その事実を知っていたことすら、知らなかった。
目の前の少女が一瞬にして計り知れない存在となる。
「……もう直、止める、こんなストーカー紛いの事は」
巴は、感情を覚られないためにも、ぶっきらぼうに言い放った。
しかし、薫は全てを見透かしたように再び妖艶に、ふふっと、笑うと、
「…昔、貴方は和人を殺したわ」
「………」
巴に、食って掛かる。巴も、それを自覚する。
巴は何も言えない。それは真実で、事実で、それが巴の認識だからだ。
「そのせいで起きた数々の異変…能力者…多分、それは和人が、彼が願ったから」
独白の様に小さなゆっくりと、演説のように大らかに、説得のように力強く、そして演技のように感情を籠めて、薫は喋る。
まさに舞台は彼女の独壇場。外の役者は蚊帳の外。
そして再び、演劇は開始される。いや、それはあらすじだけだったのかもしれないが。
「知らないうちに人生を狂わされた人々、知らないうちに人生を狂わせた人、そして」
すうっと、今度は目を細めながら、巴を見据える。
「知っていて、何もしなかった人」
「―――!!?」
「やっぱり、気にしてた」
アハハと、今度はまさに悪魔的な表情で笑う目の前の少女を、巴は見ていた。
「……私に、どうしろと言う。何が言いたい?」
「何も?」
ふふっと、三度あの表情を浮かべる薫。
「……」
「………」
予想外、だった。こちらの思い切った反撃が、思いっきり中をきる。
巴は次の瞬間、何かが崩れて行くのを、覚た。
すうっと。すっと一筋の涙が、溢れた。
「あ…か…おる?」
惘然と、広い一人部屋の向かい側に座っている女の子を見る。
彼女は完璧で、巴ですら恐れる対象で。巴すら、適うと思ったことは無い。
何もかもを持っていて、完璧だった。日の打ち所の無い人間で。
偽りを覚え、そして欺瞞を知り、偽証を学んで、嘲りを糧とした少女だった。
その少女が、目の前で、泣いていた。理由は分からない。それでも、薫は、女の子だったのだ。
「………」
声も無く、薫は、ただ泣いていた。涙をぬぐう風も無く、相変わらずな無表情のままで。
涙すらなかったら、未だに巴は薫を恐れていただろう。でも、今は違った。
「……」
その様子を、呆然と何をするも無く、巴は見ていた。いや、何を出来るわけもなかった。
沈黙、沈黙、沈黙。
口を開いたのは、薫だった。声は、凛としていて綺麗な声のままで、だ。
「…私はね、全てを持ってたの」
誰にも無く、語り始める。その瞳は私を写しては居無い。
誰にも無く、呟き始める。その声は誰に拾われるも無い。
巴は、その瞬間に分かった、彼女の気持ちが。
「だから、だから…」
今度は大粒の涙が、薫の瞳から零れ落ちる。顔には精一杯の無表情。
その姿は弱弱しくて。それは、まるで女の子みたいで。
ひどく、可哀相で。酷く、自分に似ていて。
巴は、静かに、続きを待っていた。
「………だから、私は何も貰えな、かっ、た…」
後半は嗚咽で聞こえにくかった。でも、巴は思う、聞く必要など無かったかもしれない、と。
だが、巴には確実に、彼女が何を言いたかったのかが、分かった。
親友だからこそ、分かった。今までの仲だからこそ、分かった。
「……薫、アンタ、凄いよ」
心の底から、薫を尊敬する。巴は、そう心に思った。
素直に、そう思った。女の子と、して。同じ、女として言った。
「……和人の事、好きだったんだね」
しばしの、沈黙。
そして。
コクンと頷く、薫。肯定。
「そっか…」
始めての、会話。アタリマエの、会話。
ここにきて始めての、友達としての会話。
今から始まる、友情。多分、最高の友人になるあろうという、確信と予感。」
これで、イーブン。これで、振り出し。どっちにしろ、新しいスターと地点。
「わかった…私は、まだ、もう少しだけ、もがいて見るよ…」
薫は、嗚咽を出しながら泣いていた。
始めてみる親友の姿は、とても綺麗で、本当に可憐で。
そして、弱かった。
「……ありがとう」
最後の台詞は、どちらがいったのか、その台詞は誰に聞かれるも無く、響いた。
―――和人に、謝りにいこう…それが、私の生きる道―――
外はアメフリ。
あの時と同じような、暗い雲が、空の上に乗っかっている。
しかしそれは夏の雲で。
雨が降ったらすぐに止むだろう。
直に、またあの青空を、のぞかせるだろう。
きっと、きっと、きっと。
そう、願っている限り。
……………………………………
……………………………
……………………
……………
……
雨音だけが、響いていた。無音の室内、雨音だけが飛び回る。
「………」
病室のベッドの上、俺は眠っていた。正確には目を覚まし、また寝て、また覚めるの繰り返しのような感じ。
それはまるで夢のようで。昔のことを思い出しては、また夢に入る。その、繰り返し。
そして、目が、覚めた。最初に見えたのは、いつもと違う、顔だった。
「お、お兄ちゃんっ!!」
跳ねるように飛び上がる美咲。その周りには、親父、お袋、そしてあの老人の医者。
世話をしてくれた看護婦さんもいた。全員、複雑な顔をしていた。
「………和人君、ワシらが、わかるかね?」
医者が―――あのときの先生が―――俺に聞いてくる。
俺は頷き、
「…上月、先生」
そう、答えた。少し喋りなれていなくて、いつもよりさらに低音になった。
医者は少しだけびっくりしたように俺の事を見た。そして穏やかに笑い、
「それは、久しい名前だ…結婚してからね、私は春日という名前になったんだよ」
顔のしわを寄せて笑う老人の先生。その顔が、妙に懐かしかった。
「こう、づき先生…あんた、何歳だよ」
辛うじて言葉が出た。それほど、自分は弱っていた。
ベッドから起き上がれない。体に力を入れようとしても、すぐに脱けてしまう。
もう、限界に近かった。俺はもう、完全に思い出していた。
だからこそ、夢が終わろうとしていた。現実が、始まろうとしていた。
当然のことだ。
元々、俺がここにいるのが間違いで、俺が生きていることが奇妙なのだ。
俺はあの時、死んだはずだったのだから。そのくせ、俺は願い続けてる。
また、あの幸せの頃に戻れますように、と。
「ワシはまだ50だよ、あの時は、そう、40代ちょっとじゃったかな?」
そのくらいだったのかもしれない。
嗚呼、懐かしい。
「あ、兄ぃ! き、記憶…」
美咲が俺のことをまじまじと見つめる。
「……」
言葉で発するのが億劫だったため、頷く。
「おい、馬鹿息子、お前、何日寝てたと思う?」
そのとき、美咲の丁度背後に居たお袋と、目が合う。
「さあ…長い間、寝てたのか?」
「いや、まる一日だ」
「……なんだ、じゃあ心配する必要ないじゃないか」
今度は反対側から声。その声は親父だった。
「ああ、次もこういうことになって、一生覚醒る保障はない」
きっぱりと、言った。
美咲は正直複雑な気持ちなのだろう。下を向いたまま、俯いている。
看護師さんらも、同じらしい。
ただ、先生とお袋、親父は俺の事をまっすぐ見ていた。
「…そうか、また迷惑をかけた」
俺は無理やり体を動かし、ベッドから出る。体が軋みをあげるが無視する。
病室を出る前に、三回、転びそうになってかろうじてこらえる。
その動作を、誰もが見つめていた。誰も、止め様とはしない。
床に、足がつく。長いこと、ベッドの上から降りていないような錯覚。親父の言ったことが確かなら、俺は昨日も歩いたはずだ。
だが、今は歩ける気がしない。足が、床につく。ひんやりとした感触が、ぼんやり伝わってくる。
「…君の症例は、過去のどの病気とも一致せん、治療法が無い…我々には、何も出来無い」
いや、十分貴方はやってくれましたよ、上月先生。いや、今は春日先生とお呼びすべきでしょうか。
歩く。そのまま、後ろも見向きもせずに。
「…兄ぃ…」
大丈夫だ、すぐ戻る。安心しろ、お前のお兄ちゃんだぞ?
歩く、歩く。前しか、向いてはいけない。
「………」
…止めないんだな、サンキュ、親父、お袋。
歩く、歩く、歩く。
そして、扉に辿り付く。
皆を背にして、俺は扉を開ける。
再び、歩く。後ろで聞こえた嗚咽は、聞かなかったことにしといてやる。
いい加減、労れてきた。
と言っても、病室からまだ100メートルも離れていないのだが、もうすでに体力は無かった。
だが、気力だけで歩き続ける。足はすでに引きずるように。
全体重を壁にかけるようにして、無様に、ずりずりと、歩く。
エレベーターは不安だったので、階段で下まで降りる。
階段では手すりに持たれかかるようにして降りる。
ふと、笑えてきた。何故、こんな姿になってまで、あそこに行きたいのだろうと。
俺はもう昔には戻れないし、夢はもうすぐ終わりを迎える。
俺の全ては崩壊して、何もかもが無に戻る。
俺は、誰にも覚えられることは無いだろう。
だけどそれでも。
何故俺は、こんなにも必死なのだろうかと。何に対して、俺は今頑張っているのだろう、と。
苦笑する。
歩く、歩く、歩く。
ゆっくりと、ゆっくりと、歩く。
入り口に辿り付く。巡りの看護婦さん、先生、患者さんが俺の事を見ているが、何も言わない。
止める人は居ない。皆、俺を凝視るだけ。
俺は、それでもゆっくりと、病院の外に出た。
冷たい空気が頬に当る。
雨の匂いが、した。傘なんか持ってない。そもそも、今の状態で傘なんか持ったら、絶対に倒れる。
俺は、歩き出した。全身は直に濡れた。
最近生えてきた髭に水滴がついて、ちょっとかゆかった。
足にあたる草の感触が、あのときを思い出させた。
―――誰にも聞かずに飛び出した、あのアメフリの日。
―――彼女と、分かれてしまったあの日。
記憶を失った後、俺は病院を退院した。ソレまでのことが、ウソだったように。
巴の姿すら、覚えてなかった。それは忘れ去ったというより、代償として持ってかれたといった感じ。
だから、俺は夢の中にいられた。自らが夢を望み、それを他人に投影することにより、自らの世界を作った。
だが、巴は俺に会いに来て、俺はあいつを探してしまった。それ故、歯車が、狂った。
少しずつ世界は壊れてゆき、俺の中心にして腐っていった。元々あった世界というベールを脱ぎ捨てざるを得なくなった。
俺が望んだ世界は、ゆっくりと着実に誰にも気づかれることも無く、腐って行っていた。誰も気づかなかった。俺さえも。
俺は、それを後悔するだろうか。いや、きっと―――
「…愚問」
…だった。
まさか、俺は後悔するはずも無い。それが、俺の結論。
あの時、俺はあのこのことが好きで、そして俺はあの子を助けたかった。
そして今も、俺は巴に結局惹かれていて、こんなに運命を狂わせられても未だに想っていて。
ある意味それは狂信ですらある。そしてそれは、多分現実には恋なのかもしれない。
もう、後悔する暇すら、無いのだから。
到、着。
あの丘の上、アメフリの日、俺は、この丘で、一回、死んだのだ。
ゆっくりと、濡れた体を木の幹に預ける。
木はとても温かくて、俺はまるで天国に居るかのような心地になった。
世界は順調に壊れてゆく。もうすぐ、俺は予定通りいなくなるだろう。
だから俺は、最後に一言、
「巴……お前の事が、好きだわ」
言いたい………
伝えたい―――
「和人、私はお前に謝りたい」
―――声が、繋がった。
俺は驚かない。
今日はこんなにも快晴。
空は張れ、青空の間からは太陽が覗く。
風が優しく吹いて、俺の頬を撫でていて。
とても幸せに慣れるような、そんな日。
そんな日には、奇跡が起こる。
きっと、起こる。
「……和人……」
途切れたコレは不安そうだった。
「……ありがとう」
繋がった会話は、俺にとって最高のプレゼントだった。
「……私こそ、すまなかった…」
目の前の全ての幸せを、俺は手に入れた気がした。
巴は、相変わらずの毅然とした態度で、俺のことを見ていた。
あの日の面影は残っていないけど、それでも俺は理解できた。
―――嗚呼、あのときの、続きなのだ、と。
「ん………」
温かい、感触。
唇が、触れ合う感触が、俺に伝わってきた。
初めてのキスは、とても温かくて。とても、優しくて。とても、気持ちよかった。
俺はとても、幸せになった。本当に、嬉しくなった。
「……ぁ……ふ…ぅっ」
唇を、離す。少しの間、二人とも唇を話して、放心していた。
「……いきなりは、びっくり、したか?」
巴は顔を赤らめながら、いまさら訊く。
俺はその顔を見て、嬉しくなった。
木に体を預けたまま、俺は手を伸ばして巴を抱き寄せる。
巴の服が、濡れてしまう。だが、巴は素直に俺の胸の中に入って来てくれた。
「いや、最高によかった」
体全体が、温かくなる。幸せになる。
もう少しだけ、生きてみたいとすら、想う。
愛し、愛される。それが、これほど嬉しいことだとは思わなかった。
呪われた運命でも、それでも俺らはやっぱり愛し合っていて。
「よ、よかったって…か、和人…そ、その、言葉にはき、気をつけろ」
何を想像しているのか、巴は馬鹿みたいに赤くなる。
それすら可愛くて。俺は、抱きしめた腕に、一層力を籠めた。
「あ…」
俺の心臓の音が、うるさいくらいに高鳴る。
そして、今度は俺からの、口付け。
「ん………ぁ…」
すぐに、離す。
「……いきなりは、びっくりする」
巴の、拗ねたような弁解。
それすら、愛らしかった。
「…俺、お前の事、好きだ」
正直に、だから言った。
もう、色々なことを言おうと思ったけど、言葉にはならなかった。
「……私のしたことを、知っているのか」
しばしの、沈黙。
「ど、どうなんだ!?」
巴は声を荒げる。不安になったらしい。
ああ、やっぱりあの時から何も変わっていない。
絶えず不安そうだった面影も。
ずっと一人で居るような孤独も。
自分の心を表せない不器用な性格も。
何もかもが、全てが変わっていなかった。
俺は、また、あの日の少女に出合った。それは二度目にして、初めての出会い。
「…ああ…それでも、俺は、お前が…好きになっちまった…んだよ」
体は、これ以上動かなかった。もう正直目も霞んできた。
声も、細々と喋ってるだけ。
ただ、今だけ。
今だけは、今だけは。
今だけは、話をしていたかった。
「…あ……」
巴の頬を、一筋の涙が流れ落ちる。
その姿が、最後になる。
意識が段々と落ちてゆく。
―――よかった。俺は、ともえちゃんに笑顔をあげれたんだ
俺は、
そのまま、
意識を、
暗闇に、
預けて、
今は、
眠る、
ことに、
し、
た
――――――
………。
―――ごめん、巴ちゃん。
[ BAD END ]