09月15日
「ふあぁぁ〜〜」
朝。覚醒た。
時間は、7:30。時間、丁度だ。
最近俺は、なにやら段々と体の調子がよくなり続けていた。
理由は分からないが、夏休みを境に、体が妙に軽くなったような、そんな感じすらしていた。
夏休みに何があったのかは、もうあまり覚えていない。
まあ、もう半月も前だし、あまり鮮明には覚えていないのだが。
何か、大切なことがあった気がするのだが―――。残念ながら、あまり記憶にすら残っていない。
「和人?」
控えめなノック。ドア越しに、巴の声が聞こえる。
「巴か、もう起きた。下にいって待っててくれ」
「……わかった」
しばしして、ぱたぱたと階下へと降りて行く巴。
ふむ、もう、この環境も慣れたものだ。こういう環境も、悪くない。そう、一人後散る。
「体育祭…かぁ〜かったり〜なぁ〜」
朝。空は高く晴れ渡り、見渡す限りの快晴。
毎年何故か学校の体育祭の日は雨が降るというジンクスがあったのだが、今回ばっかりは神様が妥協したらしい。
…まあ、クソ寒い中で競技やるよりは幾分かマシだろうか、それだってあまり気持ちのいいものではないだろう、一部の人間を除いて。
俺と翼と巴、そして今日は薫の4人で、朝の通学路を歩いていた。
「そうですね、ちょっと昨日の疲れが残っているかも、ですよね」
「うん、薫の言う通り。正直、ちょっとだけ身体がだるい」
「……なら、無理して朝起こしに来なくとも良いんだぞ…?」
「あれは朝の私に日課だ」
あっそ。きっぱりと言い放つ巴。
その巴を見て微笑む薫。それに対して翼は”もう慣れたよ…”とも言わんばかりの無反応だった。
「でも、日曜日も学校ってのが、ちょっときついよね、正直」
珍しく眠たそうな翼。目を擦りながら、あくびをする。
「だな。と言うよりは、学校の片付けとか何とかまで考えると、今日は欝だよな…」
はぁ〜と溜息をつく俺。何で朝から、こんなにも気分が沈んでいるのだろう。そしてそれは、いつもよりも酷いときている。
と、その前で、一台のバスが、止まった。音を立てて止まるバス。扉が開く…。
その様子を何となく眺めていた。そして、ソコから出てきたのは、
「おはよーーー諸君っ!!!」
はちゃめちゃにハイテンションな、梓だった。
「今日は体育祭だぞ皆、楽しくないのかい? おやおやどうしたことか、君らからはまったく覇気と言うものを感じられないね〜んん? 和の字、君は昨日夜遅くまで起きてたんじゃないのかい? ダメだね〜体育祭と言う名の戦争を君はまったく理解していないとしか居ない行為だ、愚行だよ。体育祭、それは年に一度の大イベント。豪華商品と、表彰状が送られるのだぞ? これに勝たずして何がクラスだろうか、何が団結だろうか。今こそ、クラスの団結力とそして友情の強さを試す時ではないのだろうか。しかし、しういう一大イベントにも関わらず君らと着たら朝から怠惰オーラを撒き散らし、そして周囲に気分を暗鬱とさせる二酸化炭素を吐き出しているだけかい? 頭が動かないと身体は動かないのだぞ。それをもう少し考えた上で日々過ごすべきだね君たちは。そうそう、今回の優勝は無論ボクたちが貰うから、そういう意味では君達の体調が不良の方がいいといえばいいのだが、やはりライバルにはそれ相応の努力とそして実力を出して欲しいと願うのも、一つの純粋かつ心の底から湧き出てくる自然かつナチュラルな感情だと思うのだがどうだろう?」
………ハイテンションの、梓だった(再)。
「五月蝿い、梓。こちとら昨日の文化祭で精魂尽き果ててんだよ、てめーみたいな脳みそきんにくんと違ってな…」
最早反論するのも欝になってきて、俺は適当に返す。コイツの相手をするほど、体力が残っていなかった。精神力も。
「ダメだね和の字。勝負と言うのは始まる前から始まっているのさ。そう、それはある意味で一番勝利に大切なものであって、そして猶且つ直接勝利に関係してくる、その名も気合だ」
「気合かよっ」
「あ、おはよー皆♪」
背後から千佳ちゃん。ふわふわと、相変わらずの幸せそうな表情を浮かべて、梓以上にニコニコして立っていた。
「ああ、おはよ、千佳ちゃん。つか梓、優勝はくれてやるから少し黙れ」
「つれないなーつれないよ、和の字。まさしく今の君は頭の濡れたアンパンマン、ベルトを取られた仮面ライダー、セイバーを取られた士郎! そう言うときだからこそ、今なにができるのかを思考するのだ。考え、思考し、考慮し、推敲し、そして実行する。そして願いゆく勝利への階段を、一歩でも多く登って行こうと言う努力と言うものをすべきだぞ」
付近構わず喋り捲るミス・マシンガンこと、バイオ・ショットガンの梓。その調子は今や絶好調だ。
むー、まさに水を得た魚。いつも以上に生き生きしている…。湿度でパワーアップしたケロロン星人みたいなヤツだ。
「…木尾さん、テンション高いね…」
「体育祭だからでしょうね…」
アハハと笑う二人。しかも、二人とも何処と無く乾笑だったし。
「……」
何故か考え込んでいる巴。
そして、
「餡麺包・男(アンパン・マン)とは、どんな男なのだ? 頭が濡れたら、欝になるのか?」
そんなことを言っていた。どうでもいいが…どんな男だ、それは。
いつもどおり、そしていつもの体育祭が始まった。天気の違いこそあれ、中身はそんなにいつもと大差ない。
「はぁ〜〜労れたぁぁ〜〜」
二百メートル走を走り終え、俺は体育館倉庫の前で死んでいた。たかが二百というなかれ…辺りの観客の前で疾るのがどれだけ辛いことか。
ビリになればさらし者、勝利しようものなら引っ張りだこ。とにかく、立っても転んでも最悪なのが、体育祭なのだ。
それだけではない。俺のような人間が前に立つと、黄色い歓声に男の応援など、本当に五月蝿い…。
………巴のことで、かなり目立ってしまっているから、仕方の無いとは言え、あれは本当に恥ずかしかった。
だから休み時間くらい、人目の無いところへ行きたいと思うのは、ごく自然の感情なのだ。
ひんやりとした空気が、俺の頬を撫でる。上気した肌には、とても気持が良かった。
体育倉庫がまた冷たくて、さらに気持ちよかったのだが。
「ったく、後何種目の競技に出場すればいいんだよ…」
そんなことを一人ごちながら、俺はパンフレットに目を通す。
後は、二つか。さらに欝。まさか、神様の俺にハジを掻かせるために天気を快晴にしたんじゃないよな?
なぜなら、その競技が騎馬戦と、綱引きだったからだ。どちらも、それこそ体育会系の人間のポイント稼ぎのようは競技。
…非力な俺にどうしろと? こればっかりは単純に筋力の問題だから、どうしようもない気がするのだが…。
自問する。答えは無い。というより、何故こんなのが競技に入っているのかを考える。
とことん欝だった。溜息をひとつ。
「…? そこに誰か居るのか?」
と、声が聞こえた。慣れ親しんだ声。
でも、何かが違う声。しかし、具体的に何処が違うのかは分からない。
どこかが、何かが、俺の知っている声とは、違っている声。
それでも、そんな微妙な差異を含んでいることなど、頭の片隅から直ぐに消えた。
「……ああ、巴、か?」
その姿はまさしく巴だった。腕には『実行委員会の腕章』。
そういえば巴も、エリさんとサオリさんに連れられて体育の実行委員に成っているのだった。
エリさんは思いっきりの文系。しかし、逆にサオリさんは理数系。そんな正反対のベクトルの二人が絶えず一緒に居るのは笑えた。
そして、そこにオールラウンダーの巴が入り、まさに四凶爆闘なら三凶爆闘なのだ。
「―――?」
雰囲気が、違った。さらに、疑問の色が濃くなる。原因は、説明できない。
巴のいつもの仏頂面(本人に言うと怒る)だし、いつもの口調。
こちらを見据える視線も、いつもどおり。なのに、俺は一体何を感じているのだろう?
理由は、わからない。ただ、感じる。
「こら、貴様。体育の行事をサボってこんなところで暇を決め込むとは、随分と図図しい輩だな」
―――何かが、違う。それは、段々と確信になる。何故、何故なんだろう?
「巴、勘弁してくれ。ちょっと、休んでただけだ…」
何かが、異なる。理由は不明。何が異なるのかも分からない。
「弁明は聞かん。早く自分の席に戻れ」
何かが、違う。巴なのかどうかすら疑えて繰るほどの異変。しかし、その異変は観測できない。
「ったく、巴、つれないな…少しくらい休ませてくれてもいいだろうに…」
「警告はしたぞ?」
ぞくっとするような、雰囲気。そこで、確信する。
「…と、も…え?」
―――どくん。心音が、やけに五月蝿く一回大きく、鳴った。
訳が、分からない。何が、どうなっているのか。
体育倉庫の前、昼休み前の最後の競技のスタートが遠くの運動場でアナウンスされていた。
現実から、切り取られた空間。そんな、感じがした。
「何組の誰かは分からんが、来い。ルールを破る者には、それ相応の覚悟があるだろうからな」
強い力で、引っ張られる。それも、今までに感じたことの無い、有無を言わさない力だ。
―――そんな、
「さあ、言え。何組だ?」
―――まさか、
「? どうした、貴様に黙秘権は無いぞ、サボっているほうが悪いのだ。まったく、この学校には隠れてサボる連中が多すぎる」
溜息をつく、巴。
―――忘れて、いるのだろうか。
『消して、一緒にはなれません。一人になるだけけです』
声が、蘇ってきた。
「……久良木、和人だ」
試して見る。俺の、全存在をかけて。
「ふむ……貴様があの文化祭の時に問題を起こしたという生徒か。道理で」
―――涙が、出そうになったが、怺えていた。
「……はは…」
変わりに出たのは、燥いた笑い。それは、諦観か…それとも、嘆きか。
何故、俺は忘れていたのだろう。あの、夏を。そして、あの丘を。
何故か、今では新鮮に思い出せる。むしろ、今まで自分が忘れていたのが信じられないほど、鮮明に。
あの、夏の日を。あの丘の上、あの二人に会ったことを。
アイツは言った。『夢は終わる』と。少女は行った、一人になると。
何故忘れていたのだろうか、あの丘の上のことを。そして俺はどうして今まで夢を見ていたのだろう。
一回は覚めた夢、諦めた夢。でも、もう一度与えられたから、必死に掴んだ夢…現実を、忘れていた。
―――夢は、やはり終わるのだ。そう自分で思った途端、何故か体が電撃が走った様に震えた。
そう思うと、全身に脱力感。忘れていた自分に対する憤怒と、運命の皮肉さを呪う。
―――夢は、終わったのだ。今、この瞬間に。夢は、唐突に終わる。そう、いつも、予兆なんて無い。
一回諦めた夢、一回覚めた夢。もう一回だけと願ったあの日、空は快晴へと変わり、奇跡は起きた。
そう、この夢は奇跡だったんだ。そんなことも、忘れていた。
「………すみませんでした、自分の席に、戻ります…」
俺はそう云うと、きびすを返してその場を去った。
「あ、こら、まだ終わってないぞ…」
もう、何も聞きたくなかった。もう、何も言いたくなかった。
俺はその場を、その場から逃げるようにして立ち去った。
不思議と、涙は出なかった。
出会いは、いつも突然で。夢の崩壊は、いつも突然で。
人を好きになるのはいつも唐突で。夢から醒めるのは、いつも唐突で。
幸せな日々は、いつも大事なところで欠けていて。
夢の世界が終わった後には、あとはぼやけて薄れて行くだけで。
現実が剥れかけたことすら、上書きで消してくれる優しい夢で。
夢が終われば、いきなり厳しい現実をつきつけられるもので。
―――涙は、なかった。
同時に、再認識する。俺は、人を、幸せにすることなど、できないのだ、と。
「はは……は…」
燥いた笑いが、三度空に空しく吸い込まれていった。
『太陽に近づけば近づくほど、ロウの翼は溶けてしまうからね』
どこかでアイツが、笑っているような気が、した。
体育祭は、それ以降の競技を欠席した。
「あはははははははははははははははっ!!!!!」
その男は、大口を空けて笑っていた。まさに、哄笑という文字がぴったしのイメージ。
時間帯は、夜。夕暮れ時は既に過ぎ去り、あとは刻々と黒く染まってゆく闇のみが支配する世界。
すでに暗くなり、町の明かりが灯される。しかし、丘の上には、何も光は無い。
丘から見える町は、とても幻想的で、そして同時に寒々しいものだった。
「…やっぱり、結果は変わらないのかな…」
丘の上には二人の男女。一人は悲痛に没み、一人は喜劇に酔いしれている。
「ほぉら、やっぱり結果はいつも一緒だ。ふふ、賭けにすらならなかったね…人間」
侮蔑の態度。人を見下し、差別し、そして同時に何かを諦めきった表情。
それは裏を返せば、人間に最も情を寄せているというコトでもある。
空気が、下がる。気温が、冷える。
「これでわかっただろう? 所詮、あいつらは人間で、分かりあうことは無い。下らない幻想に身を滅ぼして行くだけの、か弱い蛆虫さ」
男―日和が暗黒の服に身を包み、にやけた表情で町を見下ろしていた。
「……」
少女は、何も答えない。少女は、まだ負けを認めていないから。
「まだ、賭けを続けるかい? こう連続で勝ち続けてしまうと、賭けも面白味が無くなるよ」
『あーあ』とぼやく日和。その瞳は、町も、少女も、空も、丘も、何も移しては居ない。
すっと、空中、虚無を見つめながら、嘆くように呟く。
「…悲劇にもなりきれないでき損ないの劇…そろそろ、終幕だろう…さ、あとは、フィナーレ…だけだね」
ふと。二人の姿は、もう、なかった。
丘の上にはた、二本の桜が、葉を落としき、立っているだけの寒空が広がっていた。
季節は、秋。