09月16日
時間帯は已に夕刻へと変化しようとしている時間帯。
教室の中を見渡してみても、ちらほらとしか生徒が見えないような時間帯。
窓からは太陽が傾きかけて、赤々と光り輝いているのが見えた。
そんな教室の中、俺は帰り支度をしていた。一人きりの教室はいつもよりやたらと狭く、同時に広かった。
慣れ親しんだカバンの中に、とくに必要とは思えないような品を入れて行く。それはある意味毎日の惰性で行っているような感じで、そこに確固たる意思は無い。
今日は学校に登校している生徒こそ多いが、世間体的には学校は休日と言う形をとっている。
昨日の体育祭、一昨日の文化祭と、続いて祭りが行われたので、今日は学校を挙げてその後始末と言うわけだ。
俺の教室も、例のゴスロリ喫茶に使用された様々な机や、テーブルなどが着実に片付けられていっている。
文化祭が終わって直にも一応軽く片付けはしたものの、今日はその本格的な後始末、というわけだ。
しかし、その片付けも最早終盤だろう。人数がいても邪魔なだけだからと、クラスの中の数人だけが残っていて、あとは皆個々で帰宅をし始めていた。
まあ、俺もその中の一人にもれないんだけれども。
一瞬、頭の中を巴のことがよぎるぎが―
「…関係ない」
すぐに切り捨てる。どうせ、あいつのことだから、今頃体育祭の実行委員会の方で忙しいだろう。
俺には、もう関係ない。自分に言い聞かせるように呟く。
「……ねえ、和人」
ふと、声が聞こえた。聞こえたというより、こちらに対して明らかな意識を持って語りかけてくる風。
俺は反応するのも億劫だったので、目線だけをそちらに向ける。手は、作業を続けたままで、だが。
「…どうかしたの?」
歯に衣着せぬ物言い。自らが感じている感情を、隠すことなく見せ付ける。
目の前の少年は、黒い大きな相貌で俺のことをじっと見ている。少年は何も言わなかった。
その様子はまるで威圧的で、いつもの翼っぽくなかったが。
「…何もない。特に問題も無い」
俺はそうぶっきらぼうに反応し、席を立つ。
翼の横を何も言わずに通り過ぎようとすると、
「…異議、あり」
静かに、翼がそう言った。静かな教室に、強烈な一言だけが残る。
俺はその言葉に、体が止まる。一瞬、心の奥底でマグマにも似た憤怒が、爆発するように湧き上がる。
―――お前に、何がわかるっっっ!!!???
「…和人が何を隠しているのか、森崎さんと何があったのかは知らないけど、おかしいよ、和人」
…流石は、翼というところだろうか。それは、おそらくずっと一緒にいたという理由だけではない。
俺と巴は違うクラス。それに、今日は忙しいから、お互いが一言も何も話していなくても不思議では無いと思っていたのだが。
それえでも、やはり翼には日常の不整合性は隠せなかったらしい。
まったく、大した奴だ。同時に、そんなのすら、今は億劫に感じた。
―――そっと、しておいてくれないのか?
「翼、その問題については話したくない、すまんがな」
遠ざける。拒絶する。それが、一番お互いが楽な道だと知っているから。
相手から嫌いになって欲しくなければ、近づかなければいい。君子、危うきに近寄らず。
しかし、それでも尚翼は引こうとはしない。虎穴にはいらずんば虎児を得ず、か?
「嘘だ。…どうしちゃったの? 和人…おかしいよ…なんか、昔に戻ったみたいだ」
昔………か。ふと、溜息。同時に、諦観。そして、冷淡な感情のまま、目の前の少年を眺める。
一体、コイツが俺のどれだけを知っているのだろうか? 一体、コイツが俺のどれだけを理解できるだろう?
所詮は中学校から一緒になって、只単に付き合いやすいから一緒にいただけの奴に、何が分かるというのだろう。
俺の昔の、何を知っているのだろうか。今の俺の、何を知っている気になっているのだろうか?
「関係ない、お前が俺のことをどう思うと勝手だがな、それを人に押し付けるのは良くないぞ…正直、面倒くさい」
俺はそう言って会話を終わらせようとする。まだ、俺の心の奥底では、翼と友達でいたいらしい。
女々しい、そう苦笑する。その気持ちは心の中で粉々になるまで破り捨てる。
しかし、
の瞬間、
俺は久し振りに、”佐藤 翼”を見た。
すうっと、目が細められ、俺の事を見る。いや、何か他のものを見られているような、そんな”視る”
顔には微かに微笑のようなものを浮かべながら、俺はその笑顔に戦慄した。
教室の中の、雰囲気が明らかに変わる。俺が、圧されていた。
俺にとって、ひさしぶりとしか言いようが無い雰囲気。同時に、今は最も恐れていた雰囲気。
最近忘れていたが、これが翼の起源であり、原点なのだ。そう、少なくとも俺が知っている翼の、原型。
「……何を怖がってるか知らないけどね、和人がやりたいことっていうのは、違うと思うけどな? ……だよね?」
ゆっくりと、だが急速に、俺の胸が冷めてゆくのが分かる。翼の目は何も移しては居ない。ただ、虚無を見つめるように。
焦点が合ってない、そんな目。碧眼の一言では片付かないような、一言では恐怖すら感じれないほど、闇。
そう、それはもやは闇と呼称した方がいいのかもしれない。そんな目。吸い込まれそうになる、魅入られる。
”人を傷つけるだけの言葉”。それが、翼の本性。 そして、俺と翼を”同類”たらしめている条件。
同時に、俺の全てを見透かしたような眼は、俺の内心をズタズタに切り裂く。
「………関係、ないだろ」
「関係ないね、確かに」
言い切る。いつもなら、この言葉はムネの奥底にしまってしまうだろう。しかし、”今は違う”。
「だけどさ、薫を傷つけて得た幸せを、そう簡単に手放されるとさ、ボクも怒るの、分かるでしょう?」
「―――…っ」
「最後まで足掻いてよ、何があったのかは知らないし、ボクは君のなのも分かってないのかもしれない。もしかしたらキミはまだ全然ボクに自分を見せてくれてないかもしれないでもさ、そんなの関係ないよね?」
ふふと、微笑みすら浮かべて俺を諭すように話しかけてくる翼。
人格が、違うような認識。でも、翼はこっちが本物なのだ。普段が、ウソ。
「―――”トモダチ”ヲナカセルヤツハ、ユルサナイ―――……よ?」
「―――っっ?!」
「ふふ、クク、ふふふふ……」
ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ………。堰を切ったように笑い出す翼。その様子に、恐怖さ感じる。
俺はその言葉に何も言えずに、そうまさに、逃げるようにして教室を出る。冷や汗が止まらなかった。
後に残された誰もが、何も言わずに俺が教室から出て行くのを見ているだけだった。誰もが、翼の変異に唖然としている。
俺は、この瞬間、世界を拒絶していた。
『ワカッテルヨネ、カズト?』
ソンナ言葉が、最後に聞こえた気がした。
そのまま、ゆっくりと夕凪に染まってゆく廊下を歩く。先ほどの事件は、未だに俺の胸に残っている。
窓の外からは運動場が見え、テントをたたんでいる数人の男女が見えた。世界の裏と、表。それを、強く意識する。
そこに、アイツも居るんだろうか―――。俺の、昔の―――。
そう、一瞬だけ、本の一瞬間だけ、そんな考えに更けるが、すぐにその思考を打ち消す。
俺には、もう関係ない。そう、言い聞かせる。俺は、もう、関係、ないんだ。
「あれ、和人…?」
と、廊下で窓を見て、何気なしに佇んでいた俺を、一つの声が呼んだ。体が、多分無意識に震えた。
その声の主は、ゆっくりと俺の方へと近づいてくるのが分かる。気配で分かる、感覚で分かって、経験で確信した。
俺はゆっくりと、緩慢な動きで、そちらの方へと振り返る。あくまで冷静に、あくまで慎重に。
―――何も悟られない、ように。そこには、完全無欠なお嬢様がいた。
「どうしたんですか、もう帰ってたんじゃなかったんですか?」
微笑む薫。何も知らない顔で。
まだ、幸せの中に居るといった顔で。
俺はその笑顔を、いつものように直視出来なかった。
視線をそらし、ぶっきらぼうに言い放つ。
「いや、何も無い。特に、何もな…」
溜息。嘆息があたりに響き渡る。
薫は何も知らなくていい。いや、それは多分偽善。いつかは、薫も知る。
ただ、それはこのときでないことを、切に祈った。俺はその場を足早に立ち去ろうとする。
これ以上、人と関わっていたくなかった。拒絶を望んでいた。関わりを、拒否していた。
「ん? 薫…誰か来ているのか?」
「―――っ?!」
と、教室の中から、凛とした声が響く。どくんっと、心臓が一回、跳ねた。
その声は、とても大きな威圧感を含み、俺の体を硬直させた。体中から、汗が噴出す。
気分は最悪。視界が回る。顔に血が上り、耳がやけに五月蝿い。
「あ、巴。和人が来てますよ?」
ゆっくりと、巴が教室の中から現れる。微笑んで言うお嬢様。それは何も知らないが故の、無知というなの罪。
制服の腕は今は腕章はしていなかったが、ところどころの服が汚れている。
きっと、今まで片付けに追われていたのだろう。 それが、見てとれた。
「和人……?」
怪訝そうな顔で、『和人』という人間が誰かと言う疑問を含み、巴は教室から出てくる。
次の瞬間、俺を見て、
「ああ、薫の幼馴染の久良木 和人のことか」
「……?」
薫が何やら分からないといった表情を浮かべるだろう。
それはそうだろう。それは、そうに違いない。
心音が、五月蝿い。ええい、黙れ、黙れ、黙れ―――っ!
俺はその表情に苦笑いで返すことしか出来無かった。
ココロが、悲鳴を上げる。俺は泣きそうになるのを、何とか自制した。
「私は最近転入してきた森崎と言う。薫と共々、ヨロシク頼む」
その雰囲気をまったく気にせず、俺に挨拶を、いや自己紹介をしてくる巴。
俺はその表情をみつめながら、「ああ、こちらこそ…」と、力なく頷いた。
「あの…和人……巴?」
その様子を端で見ている薫は、何やら意味が分からないといった様子だ。
その薫を廊下に置き去りにして、俺はきびすを返す。
背後で「和人!」という声がしたが、俺は無視した。
俺には、関係ない。俺には、関係ないはずなんだ―――。
夕刻、俺は気づいたときには已に外は真っ暗とは言わないまでも、結構な暗闇に包まれている特に気づいた。
そのまま、家の階下へと緩慢な動作で降りて行く。
今では、何やらご立腹の両親と、美咲が俺を見ていた。
ああ、そうか。今日は俺が当番だったんだ…。
他人事のようにそれを感じるものの、いつものとおりにはいかない。
調子が悪いというコトにして、俺は再び自分の家へと上がって行くことにした。
これ以上、両親に心配はかけられない。
両親は今月の終わりから、再び仕事に戻るらしい。俺の病状が一時的に安定してきたので、仕事を再開するらしい。
美咲もいつものとおり、ちゃんと学校へといくようになっていた。
前までは俺の病院に入浸っていたこともあり、最近は随分と友達との関係も険悪らしい。
俺は、それが少し気がかりだった。
でも、俺はやっと少しずつ戻りつつある家族の関係を、これ以上俺が原因で壊したくなかった。
俺は部屋に戻ると、すぐさま布団にもぐりこんだ。
知らないうちに、眠りに落ちる。
長い一日が、終わった。