■ 肆 / 『異種接触』 ■
先ほどから、付けられているのは分かっていた。
何となく、車での登校を頑なに拒否し、電車登校をして学校へと赴いた帰り道。
いや、もうお嬢様とかそういう目で学校で見られるのは嫌だ。
お父さまが生きてらっしゃった時代には、そんな文句は言えなかったけど。
でも、私が学校でどのように言われているのかは知っている。
…ま、逸れのほとんどが私を過大解釈したような、荒唐無稽な話ではあるのだが。
…いや、流石に天皇家の血は流れていないのだが…。
噂はいつのまにか大きくなるから恐い。普通に女学院に通っている間は、周りもそうだったからよかったものの。
流石に大学ともなると、異なってくる。
…そんな学校からの、帰り道。
時間帯は夜。
夜の風がすうっと私の髪を靡かせる。
一瞬は冷たい感じがするが、その風もすぐに通り過ぎてしまう。
付近の季節は段々と心身凍えるような温度になりつつある。
いい加減に、寒い。
その中で、私を凝視して止まない視線を確かに感じていた。
私は人の居ない方向へと移動し、適当な距離をおいて振り返った。
そこは、川沿いの河原だった。
あたりには人工的に作り出された光が満ちてはいるが、人の気配は皆無だった。
皆、家という安全地帯に篭ってしまい、よほどの物好きでない限り夜を徘徊しなくなったためだ。
物好きというもには勿論、私も含まれているが。
ま、私は別に何かを探しているのでも、求めているのでもない。
只単純に、狩っている、だけ。
「……あの、何か、ご用でも?」
さらりと、しかし確実に相手に届くように、話しかける。
すると、闇の中クスっと、かすかに笑う声が聞こえてきた。
まるで、自分に気づいてくれたことがとても嬉しいような、妙な笑み。
気づくのを待っていたかのような、奇妙な感じ。
「何か、お話があるのですか?」
しっかりと、夜の闇の中に映し出された人影を、私は凝視した。
「…簡単だよ」
私の声にこたえる人影。
その声はひどく幼く、いまだに子どもの声であったが、中にある狂気はすでに尋常の人間ではないことを物語っていた。
声だけで判断するなら、まだ子ども。
変声期も迎えてないような、まだあどけない声。
その声だけだったら、男か女かが区別がつか無いくらい。
「この”ゲーム”に参加したんでしょ?」
あ、こいつ男だ。私は何となく、そう思った。
少年が笑う気配。まだ、気配しか感じることは出来ない。
しかけるには、早い。
とりあえず、慎重に成る。
「ゲーム?」
「そ。ゲームさ。チカラを持った、”選ばれし者”だけが参加できるゲーム♪」
少年は心底楽しそうに言う。
―――やはり、”種”によって目覚めた魔術師だろう。ブランクのことを知っているようだ。
「だからさ……そんな人間が、出逢っちゃったんだ…」
ふっと、一瞬少年の気配が消える。
途端。
「さあ、殺しあおう?」
どこかで利いた台詞。
そして、突如ソレは後ろに現れた。
「っっ!!」
咄嗟の判断で前に飛び出すように転げだす。
回転で勢いを殺しつつ、あたりの状況を分析する。
少年は確実に数十メートルの空間をまるで”瞬間移動”したかのように飛んできた。
だが、これは少年の能力と全くのイコールとは考えないほうがいい。
しかし……これは、相手が悪い。
”相手が見えない”のであれば、私の能力は使えない。
私の能力はいうならば一撃必殺。勿論多様もできるのだが、しすぎると私自身に反動が帰ってくる。
これも、私の能力の弱点。
『へぇ、いまの不意打ちを避けるんだね……流石はお仲間さん』
先ほど私が居た位置に少年は立っていた。正確には、同じ位置から声が聞こえる。
しかし、すぐに暗闇に解けるようにして消える。
気配は喋る。
先ほど見た顔は年齢は十三から四ほど。まあ、一瞬だが。
まだ顔にあどけなさを残しているところから、少なくとも私より下であることは間違いなかった。
…というか、これで私よりも年上だった、私は沙耶華を大人として見れるだろう。絶対。
「……お仲間? 貴方はさっきから何を言ってるの?」
体勢を立て直しつつ、私は言葉をかける。
『だって、そうでしょ? 僕らは選ばれたんだ!あの、夢の魔道師に、さ?』
まるで邪気の無い気配。
それが、私には帰って不気味に映った。
もし、不安定な子どもが、チカラを手にしてしまったのなら、そういう風に考えるのだろうか。
”選ばれし人間だ”、と。
しかしそれはウソだ。私たちは選ばれた訳でもない。”たまたま”チカラを手にしたにすぎない。
『だってさ、選ばれてないんだったら、チカラなんて持ってないでしょ?』
「……」
その問いに私は何も答えなかった。
そもそも、この少年は何故私が”魔術師”であることに気づいたのだろうか?
見られていた?
しかし見られていたとしても、この少年は一体何処で私の能力を見たのだろうか?
今までの戦闘で?
いや、この少年が行っていることはカマカケである可能性も捨てきれない。
だとすると、この少年は今までもこの様なことをしていたことになる。
”無差別”に、色んな人間を殺してきた可能性も捨てきれないのではないか?
そうだとすると、厄介だ。どうも理論的に話し合いが出来るとも思えない。
ここは、一芝居打つべきだろうか?
「……あの……何のこと?」
恰も分からないといった様子で彼に告げる。
『君は…そんなこと言うのかい?』
そこに待っていたのは、問答無用の一撃だった。
右肩と左足に凄まじい力で打撃が入る。
「…ぅっ」
流石の私も予想つかず、大きく後ろによろめいたとこに更に背中に一撃が入る。
その見えない衝撃を防ぐ手立ても無く、私は前のめりに倒れる。
同時に衝撃から元々弱い内臓から、血液が逆流してきて吐血する。
肺が軽い呼吸困難を起こしている。しばらく、立てそうに無い。
攻撃は、見えなかったのに…何故…。
「アハハハ!! 無様だねぇ!! チカラをさっさと出せばいいのにさっ!!」
と、その瞬間、また瞬間移動したかのように少年は、私が想像もしていなかった方向に現れる。
少年はそんな私の姿に心から面白いといった様子で笑い転げる。
声とは、真逆の方向。
「今までのやつもそうだったよ! 最初は絶対に知らないフリをするんだ! 」
どうやら、私の勘は当っていたらしい。無差別、か。
「…だから、一撃で決めてやったのさ。格闘ゲームの基本だよ、反撃させないってのは」
ニィっと、心のそこからむかつく表情で笑う少年――。
次の瞬間、私の足に凄まじい衝撃が加えられる。
「…っ!…」
少しだけ、呼吸が乱れる。感覚を残しておいたのが、仇に成ったらしい。
私の足は、何か”鋭いもの”で斬りつけられたようにぱっくり切れている。
そこから鮮血が溢れ出て、暗闇でも分かるくらいに道路を赤く染める。
「足を狙った。だから、もう君は動けない。ま、そうじゃなくても僕の衝撃からは逃げられるわけ無いけどね!」
「……」
呼吸も楽になってきた。問題は、足だろう。
別に空を飛んでもいいが、攻撃のほうにイメージを集中したいため駄目だ。
擬似的な目を作り出すにしても同様で、イメージが鈍る可能性がある。
流石に、3つのイメージを同時に作り出すのは無理に近い。
「僕のチカラは無敵さ! 誰にも見えないんだからね。空気をつかむ事が出来る人間が居たら、話は別だけどね」
やはり、子どもだったということか。勝負の鍵を握るのは、”情報”だ。
―――勝機が見えた。
私はあたりの空気を感じ取ろうとする。
あの時のような”涼しい風”は何処にも無く、あたりには普通の空気だけが充満している。風は、無い。
―――成る程。あの気配は、偽者だったというわけか。本体はすでに風に乗って後ろに移動しているというわけだ。
あとは、音だけを飛ばせばいい。空気を操るものにとって空気の振動を作り出すことくらい雑作もないだろう。
先ほどの斬撃は”罐鼬”だろう。
「さ、君もさっさと……!?」
少年はそこまで言って、息を呑んだ。
私が、立ち上がったからだろう。
「あら……どうしたの? まさか、こんなもんで終わり?」
私はまるでダーメジが無いかのように振る舞いニヤリと笑う。
「…生きてたんだね…流石は、お仲間さん。初めてだよ、”ボスキャラ”は」
「ええ、これくらいでは死なないわよ」
少年が一瞬だけ、身構える。
《改律、開始》《反発係数 1に収束》
途端、衝撃。
だが、その衝撃は私の身体に当たって砕けた。
風が、普通の風が、私の髪を微かに揺らした。私の能力とて完璧ではない、その証明だ。
だが、当の私はまったく動いていない。
まあ、それもそうだろう。衝撃は、すべて”跳ね返って”いったのだから。
私を相手にした段階で、物理攻撃はまったくきかない。
それも、1対1の戦闘に於いては、絶対無敵。
「?」
わけが分からないといった様子で、もう一度衝撃を放つ少年。
《反発係数 維持》
しかし、前回同様、衝撃は私の身体に当たって霧散した。
私といえば、微動だにしない。
「な、なんで…」
一歩、少年があとずさる。
《改律、初期化》《摩擦係数 増加》《重力 限りなく零へ》《反発係数 0へ収束》
その瞬間、私は凄まじい速度で飛ぶ、というか疾る。
私としては簡単に地面を蹴っただけなのだが。
軽く蹴ったチカラは、無限に増幅され、無重力状態の私は、高速で移動を開始する。
地面は私に理論上無限のエネルギーを与えて、
「え?」
対応が遅れたのだろう。少年の間抜けな声が、聞こえる。
私は凄まじい速度のままただ、”体当たり”をかます。
勿論、衝撃は私の身体にも来るが直前に反作用のチカラを零に収束させる。。
だが、その体当たりは少年を軽く吹っ飛ばし、絶命させるには十分な衝撃を持っていた。
完全弾性衝突というのがある。
例えば物体Aが物体Bにある一定の力をもって衝突した際、この世の物理では例外なく”反作用”があり、反動が返る。
すなわち、10という力で衝突しても、そのうち2は反動としてAへ帰ってくるために、完全に10のエネルギーはBに伝わらないのだ。
しかし、私の能力は、その”反動”として帰ってくる無駄なエネルギーを、限りなく0にする。
結果、100で体当たりをすれば、そのまま100が伝わり、私のダメージは0、となる。これが、完全弾性衝突である。
つまり、今回の”体当たり”は、まさしくそれなのである。
《改律、初期値へ》《改律、終了》
私は少年の吐血により全身を紅く染め、傷ついた足を引きずるように少年に近づく。
「…っぁ…ぃたぃ…」
少年は野原の真ん中で倒れたまま、虚空を仰ぎ見ていた。
いや、少年の瞳には最早、何も映っていないだろう。
「生きてたの? タフねぇ」
先ほどの体当たりによる衝撃が少し身体に響いているが、それを悟られないように静かに声を掛けた。
流石に、能力が完全に機能しなかったらしい。少しだけ、反作用が来たようだ。
それゆえ、少年は生きているのだが。
「…っはぁっ…てめぇ…わざと……」
何かを言いたそうにするが、肺がうまく機能していないのか、ほとんどの言葉は言葉になる前に消えてしまう。
「ま、いいわ。消えなさい。命まで取ろうとは思わないわ」
すっと、私は立ち去ろうとする。
それは気まぐれなのか、それとも少年の姿に同情したのかは自分も定かでもない。
少なくとも近づいたときまでは確実に殺すつもりだったのだから。
まあ、少年の命の奪うことに少しの後ろめたさを感じたのは事実だ。
これから、生きてさえ居ればもしかしたら運命に囚われずいいのかも、しれないのだから。
まだ、子どもなのだから…そして、その考えが、
「・・・甘い・・・」
どうやら、甘かったらしい。
途端に私の背後に凄まじい量の熱が発生する。
――そうか、空気を操れるなら、その”密度”次第では熱をも…
だが。
その空気の”穴”は、一瞬で消えて失くなる。
「…ぇ…」
少年のうわずった声が、微かに聞こえた。
ぐさりという、血なまぐさい音。聞いただけで、この世のどの音とも動揺でなくとも、理解できる音。
即ち、血の、音。
背後、急遽出現した気配に私は驚き後ろを見ると、そこには一人の少女が居た。
少年の胸に、突き立てられた日本刀が、ぬらりと光る。
少年は、少女によって、殺されていた。
「っ!?」
少女は先ほど、確実に少年を殺したにもかかわらず、それを少しも気にしていない様子で、こちらを見ている。
ただ、見ている。
横で、喉を刺されて死んでいる男の子。
「和クンはね、私の幼馴染だったんだよ。まあ、戦って死んじゃったんだから、死ななきゃいけないのに、生きてたから、殺したけど。」
悲しそうに、意味不明なことをつぶやく少女。目線は依然、私に向けられたままだ。
「それじゃあ、ご主人様に顔向けできないじゃない」
その瞬間、なんとなく理解は出来た。
「貴方が……修羅神から頼まれて…けしかけたの? 彼を」
少女はニヤっと不気味笑うと、
「ええ、そう」
ずぶり…と、彼女は日本刀を引き抜く。一瞬少年の身体が痙攣するように震えるが、それをまったく気にしない。
次の瞬間、少女は日本刀で自分の喉を裂いた。
そこまでの動作は、まるで死を意識していなかったものだった。それなのに、少女は、笑ったまま朽ちた。
そのまま、紅い鮮血をあたりに撒き散らすと、少年に重なるように倒れる。
一面、赤一色。
隠れていた月光が、やっと夜道を照らす。
そこには、幼馴染と名乗った少女と、男の子が重なるように倒れていた。
私はその不気味な光景に、何も出来ずに佇んでいた。