■   / 『対峙漸次』 ■

 


「……っはぁっ!!」

私は早朝、悪夢に魘されて目覚めた。

昨日の夜、疲労困憊というか、精神的に疲れて帰宅したあと、例のごとくすぐに風呂に入った。

流石に返り血を浴びている姿を見せるわけには行かず、チカラを使って家の中に侵入し、すぐに風呂で洗い流した。

しかしその時、流しても流しても血の赤は落ちようとはしなかった。

それから、悪夢が続いている。

深夜にかけて、寝付こうとしてもあの不気味な少女が出てくるのだ。

「……ったく」

悪夢を見すぎて精神が参っているので、私は寝ることを諦めた。

とりあえず、私は朝の日課に行くことにする。

時間的にはかなり早い時間帯だ。

「はぁ……まったく」

いつもの通り、洗面所からバスルームに直行する。

しかし、シャワーを浴びている間も、昨日の光景がまるで今見たかのように思い出されてしまう。

それを振り切るかのように、シャワーの勢いを強くして浴びる。温度を間違え、少し肌が赤くなる。

少しだけ、また思い出す。

夜の光景。

あれから私は、彼女達を弔った。あのままでは、可哀想な気がしたからだ。

それが偽善だということも理解している。そして、それがまやかしの優しさだということも。

おそらく、彼らの運命は決まっていたのだろうと、思う。

チカラを手に入れてから、もしくは修羅神によって取り付かれてから。

どちらにせよ、彼女達は被害者なのだ。

だから、私は憫れんだ。不憫に思った。

しかし、最後のあの光景が、未だに私の頭の中から離れない。

目を閉じると、あの、邪気のない女の子の顔が、写る。

そして、次の瞬間には鮮血を飛び散らして朽ちていく異常な光景が。

……どうやら、相当労れているらしい。

私はシャワーを止め、外に出る。

そして、髪をいつもの通り簡単に拭く。すると、

「あ? 姉貴??」

扉の向こうで樹の声がした。

「? 樹? こんな時間にどうして?」

風呂にちょっと長く入っていたと言っても、まだ太陽も昇ってはいない時間帯だと思うのだが。

ちなみに、まだ私の起床時間まで、余裕で1時間はある。朝に弱い樹がこんな時間に起きているのは、不自然だった。

「え? いや、ちょっと寝付けなくてね」

”寝付け”なくて?

この時間帯に言うにはちょっと変な言葉だ。

…もしかしたら、昨日、見られていたのかも、しれない。だとしたら、困ったことに成った。

今度こそ、隠しとおせる自信がない。

「……樹。どうかしたの?なんか、変だけど」

「へ? 別に…なにもないけど?」

「そう? なら、いいけど……」

少しの沈黙。

その間も、樹が扉の前を動く気配が無い。

「……どうしたの、樹?」

おかしい。明らかに、先ほどからの樹の態度がおかしいのは明らかだ。

「…なあ、姉貴。昨日…何処にいってたんだよ…てかさ、毎晩」

と、帰ってきたのはいつもとは違う樹の声だった。

…樹を、心配させてはいけないと思う。

だから、私は樹に何も話せないし、話さない。

「何処でもないわよ。関係ないわ」

つっぱねる私。

しかし、今日の樹は簡単に引き下がろうとはしなかった。

「関係あるんだよっ! もしかしたら……俺は、姉貴を…」

そこまで言って、樹が言いよどむ。

ソコから前は、私は聞こえないものの、頒る気がした。

信じれない。

そう、言うつもりなのだろう。トレースするまでも、ない。

「……樹。とにかくもう一度寝たら? その方がいいわ」

それだけ言って私は、樹を追い返した。

樹を、裏切ってはいけない、それだけを、私は強く思い出す。



その日、私は樹と極力話さないように気をつけながら過ごした。

だが、樹は、どうも私の挙動に気づきすぎる節があるようだ。

考え直せば、それは明白だった。

樹は確かに、何処へ”行っていたのか”? と訊ねた。

言い換えれば、私が家に居なかったということを知っていた、分かっていたということだ。

この前の披露困憊していた時ならまだしも、昨日は能力を使って最新の注意を払って入ってきたのだ。

それを、樹がやすやすと見つけたのだろうか。

それとも、私が夜にシャワーを浴びている姿でも目撃したのだろうか。

わからない。

それを考えると、一日はとても早く過ぎた。

大学の講義もどうせ頭に入りそうに無かったので、適当に庭園で時間をつぶす。

と、庭をぶらぶらしていると一人の男性に声を掛けられた。

「ん、曽我さんじゃないですか〜。貴方がサボリなんて…珍しいですね〜?」

それはこの大学の非常勤に来ている先生だった。

名前は…確か、新羅 矜持<シンラ キョウジ>とかいう変な名前だった。

金髪。長さはロングで、肩には届くだろう。

中性的な顔立ち。左の耳にイヤリングをしていたら、確実にアッチ系のヒトに見られる美貌。

そして、何故か白衣。

まあ、このヒトの本職を考えれば、それは当然なのだが。

「…何で保険・衛生の先生がここに?」

今は誰とも話したくなかったので、曖昧な回答をする。

「ってさ、酷いね。俺は今先ほど、君が本来出席しなきゃいけない講義を終わらしてきたところだってのにな」

途端に、態度が変わる。今までの姿は”講師用”なのだろう。

こっちが、素。私はちょっとした付合いだから知っている。

一言で言えば、意味不明な先生。

言葉はいい加減なのにも関わらず、その奥には絶対に踏み込ませてもらえない。

こちらばかり、見透かされるような感じ。

だからと言って、別に嫌がらせとかはしてこない。まあ、元々そういう性格なのだろう。

今回も皮肉を皮肉で返すような先生だ。

これで結構有名な医者なのだから、手に負えない感じがする。

世間では名医と呼ばれているらしい。

…まあ、だからこそ、私みたいな”曽我お嬢様”の主治医になるに至ったのだろうが。

本当に、分からない先生だった。

「……別に…単位には影響ないでしょ? 出席日数は足りてるはず」

うざったかったので、追い返すような態度で言い返す。

「ああ、単位はやるよ。そんなもんは、な」

大学の単位を”そんなもの”と言い切る先生。このヒトは、本当に教諭なのかどうか、疑わしくなってくる。

そんなことを思いながら眺めていると、先生はニヤリと不気味に笑い、

「親父さんがいなくなって、どうよ?」

と、聞いてきた。真意は、つかめないが。

「…ご心配どうも。資産は少なくなったけど、まだあるし…当分お金には困らないわよ?」

「はっ、カネじゃねーって。”自由”になった気分はどーよって聞いてんだ」

…この人間が、私のことをどこまで知っているのかは謎だが、その言葉に悪意は見えない。

実際、私が能力で機械検査は誤魔化せたものの、この先生だけは誤魔化せなかったのだから。

曰く、『無理すると、またぶりかえすぜ?』らしい。

周りの看護師さんたちは分からなかったらしいけど。どうやら、この先生なら知っててもおかしくない気がする。

そんな、先生だった。

「…別に」

私は、わざとぶっきらぼうに答えた。その答えに先生はニヤと笑って、言う。

「そーかよ。んじゃ、俺はやることがあるから行くぜ。寝不足みてぇだしな。ちゃんと寝ろよ? じゃねーと、美人が台無しだぜ?」

そして、先生は去っていった。

その後姿に、

「………ったく、余計疲れた…」

私は静かに嘆息した。


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