■  / 『決戦対峙』 ■

 


私が家に帰ったのは、已に深夜だった。

と言っても、格別何があったわけでもなく、ただ単純に樹と顔を合わせられ辛かっただけなのだが。

今日は、能力を使わないで玄関から堂々と入ることとする。

というか、家に帰っても居ないのに、玄関から入らなかったら変だし。

そっと、木製の引き戸に手をかけると…開いた。

――?

何故か、鍵は掛かっていない。まあ、私が帰ってくるから開けておいた、という可能性もあるのだが。

…いや、一応金持ちの大屋敷なのだから、少しくらい用心を―――

瞬間、私は違和感を感じて飛びのく。正確には、扉を掛けた手を”引き抜く”ようにして下がる。

…これは、素人でもわかる。『結界』だろうか。

扉を開けようとした瞬間、何か”布”のようなものが破れた様に見えた。

そっと、扉を開ける。今回は”布”は巻き付いておらず、簡単に開いた。

家の中は、静寂だった。

予想通りいつもなら迎えてくれる沙耶華やら使用人やらがいない。

いや人の迎えどころか、気配すらない。

「……」

《改律、開始》《反発係数 1へ収束》《作用力 限りなく零へ》

無言で、能力を使う。とりあえず、物理攻撃の奇襲攻撃だけは避けなくてはいけない。

しかし、このバッドポイントとして、身体から完全に刺激が消える。

私は息を殺したまま、家に入る。勿論、浮いて。

重力を操作し、月の重力のさらに半分くらいにする。

家の中は、異界と形容して良いほど、様変わりしていた。

まるで、今まで住んでいた家ではないような、妙な違和感。

いや、ここは家の中と言うより、”結界”の中。

より、神経を研ぎ澄ます。私の能力が、”結界”に飲まれる。

そしてそのまま、ゆっくりと母屋の玄関にたどり着く。

そこまで、使用人には会っていない。勿論、樹にも。

「やっぱり……おかしい」

静かに、呟く。

私は覚悟を決めた。

 

―――弟と戦う覚悟を―――

 

もしかして、その考えは絶えず頭にあった。

そして、樹が、能力者。そう云う考えに至ったのは、あの矜持にあった直後からだった。

そして、私は家の”結界”を見て確信する。

樹は、”敵”だ。

樹は毎日私を目撃していた。それは、私が気をつけたときも、そうでないときも。

同時に、修羅神は私に対して、どうも何かの”偏執的”までの感情を持っているらしいということ。

普通、死徒を送れば自らの元へと辿られるのは明白。

よほど計算されたものでなくては、相手に死徒を送るのは、それこそ相手に塩を贈っているようなもの。

即ち、修羅神は確かめたかったのだ。私の反応を。

そして案の定、連日連夜、遅くに帰宅した私。

そこで、おそらく修羅神も確信したのだろう。

「…出ていらっしゃい、樹」

私はどこかで聞いているであろう樹に、呼びかけた。

沈黙。

しかし、明らかに屋敷に異変が起きていた。

どこからとも無くあふれ出る、気配。付近には殺意が満ちてきた。

「……樹。あなたが”修羅神”ね?」

虚空に呼びかける。

いつでも外に飛び出せるように玄関を背にして。

呼びかけには沈黙のみが帰ってくる。

「…気づいたのは、勿論最近。だけど、疑い始めたのは……あの”少年”をけしかけたときかしら?」

沈黙のままだが、私にはどこかで樹が聞いているだろうという確信があった。

「私は、基本的に車で登校する。なのにも関わらず、少女は”けしかけた”って言った」

一息おいて、続ける。

「おかしいじゃない? 修羅神は私の行動を確実に知っていた」

少しだけ、前に足を踏み出す。今回は能力は切ってある。

敵に、みすみす能力を見せる手はない。

それに、私は敵が攻撃してきても、負けない自信もある。

「それに、私が通学する道も。まあ、そこまでなら事前に調査すればわかる…けどね」

一回、周囲を見渡す。未だに、それらしき気配は無い。

「あの子、私の能力を知ってたみたいだった。初めて会った時から、彼は私に姿を見られる前に仕留めようとした」

また、一歩。

「それは何故か…考えれば、簡単よね」

私は軽く嘆息する。勿論、その間も辺りに気を配りながら。

「”視界の中のものを破壊する能力”と知っていた。それは何故か? 答えは簡単。修羅神が教えたってことね」

一歩、前進する。

気配は相変わらずない。

「まあ、あの少女を使ったのかもしれないけど…それはどうでもいいの」

ゆっくりと、母屋の中を、気配を探りながら歩く。電気もつけず、付近は暗闇。

慣れ親しんだ家とは言え、結界の中にいる限り安心は禁物だ。

「私の通学の道を知っていて、尚且つ私の能力を教えることが出来る人間。そして極めつけは……」

刹那。

背後の扉が勢いよく破られていきなり日本刀を持った沙耶華が襲い掛かってくる。

「あぁぁっっ!!」

「っ!?」

反応。

大きく跳んで避ける。

更に襲い掛かってくる沙耶華。その目に、最早光は宿っては居ない。

――修羅神の木偶と成り果てたか…

沙耶華の日本刀を遠心力で吹き飛ばす。

日本刀とは、達人が持つからこそ武器と成りうる。素人が持っても、それは宝の持ち腐れ。

重量のある剣を、しかも日本刀を、しかも大振りで振っている限り、私には勝てない。

私は日本刀を紙一重で難なく交わし、そのままの状態で沙耶華に掌を当てる。

確実に、急所をついた。

…これで子どもが填なくなったら、御免なさい…沙耶華…。

心の中で謝罪。

私は鷲をイメージさせるような、手を大きく開いた状態で停止する。簡単な、日本武術の技だ。

尤も、衝撃はその比ではないが。

思いっきり能力で重量を増し、その上反作用力を零へとする。

結果、対手の体内に、思いっきり衝撃が叩き込まれる。

吹き飛ばされる沙耶華。

死んではいないだろうが、最早立つことは無理だろう。

「……極めつけは、貴方の早起き、かしらね…それに、こっそり帰ってきたのに気づいてたし」

ゆらりと、付近の景色が歪む。

途端、屋敷の置くから現れる木偶人形たち。

「……結界の能力…なのかしらね…」

屋敷に残っていた数人の使用人。

そして、家に帰る途中をそのまま連れてこられたような風貌のサラリーマンや、学生風の男。

そして、主婦の姿をした女性まで。

――関係ない人々を…!

「……出てきなさい、樹っ!! こんなこと、いつまで続けるつもりなのっ!」

私は大声で叫んだ。

しかし、木偶人形達は留まることは無い。

―――仕方、無いのかな……

「樹……貴方が、そのつもりなら…私は…」

―――本気で、いく。

《改律、初期値へ》《反発係数 1へ収束》《作用力 限りなく零へ》

多くの人形が、私に遅いかかる。

しかし、襲い掛かってきた木偶人形たちが、何かに吹き飛ばされるように飛ばされる。

最も、自分の力がそのまま跳ね返ってきたのだ。そうなる。

しかも、今の人形達は皆、理性がない。ただ、攻撃するだけ。

「……っ!」

脳がずきりと痛む。しかし、今はそんなに悠長なことは言ってられない。

――やはり、能力を連続で使用するものじゃない…

これは、長々と勝負を続けている訳にもいかなそうだ。

ごめんなさい―――。心の中で、一瞬だけ黙祷。

死に行く者への、追悼。せめてもの、慰め。

でも、自らの死を危険に晒してまで正義の味方を貫けるほど、私は強くない!

《改律、発動》《物質の密度を、”弱体化”》《重力、倍加》

「死地へと沈め!」

私の声と共に、壁やら様々なものが砕け散る。

私の能力で出来る、”奥義”みたいなもの。

「重力の枷<グラビティ・ゲート>」

弱体化させられた密度。そして、倍加する重力。

結果、付近の様々なものが”砕け”る。

鯨が陸に上がったら、自重に耐え切れず圧死するように、全てのものが自重によって潰される。

――人間も、例外ではない。

勝負は、一瞬で終わった。

《改律、終了》

付近には、見たくもない肉片。嘗ては人間の形をしていた、蛋白の塊。

夥しい量の血液。嘗ては人間の中を駆け巡っていた水分。

鼻が捻じ曲がるような、異臭。行ったことないが戦場の匂いはこんな感じだろうと、少しだけ思う。

そして、冬の夜の冷たい空気。

気分は、最悪。頭も痛い。

「……樹っ!出てきなさい!」

しかし、そこには誰の気配も無い。

「い……つき……」

木偶人形が散った後には、私一人が静かに佇んでいた。

私は、少しだけ、泣いた。


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