■ 捌 / 『根源理解』 ■
<閑話休題>
沈んでいた。
思考がまともに機能してくれない。
辛うじて”ここは、何処だろう”と思う。
沈んでいた。
辺りは何も無い、闇。
でも、その闇に恐怖はなく、優しく包んでくれているような、そんな感じだった。
何か浮遊する感じにも、流される感じにもとれる、不思議な気持ち。
ありとあらゆる思考がぼやけ、形を成してはくれない。
しかし、そこには強烈な意思だけがある。
その暗闇は何も生まないことはわかった。しかし、逆に永遠になくならないことも。
沈んでいる。
不安は無い。むしろ、安心。
しかし、これは紛れも無いリアル。どこか、現実感に飛ぶ、リアル。
それだけは、理解していた。
”母なる海”。
その言葉が何となく、浮かんだ。だから、自分はこの海を、”聖域”と呼ぶことにした。
何も犯されること無い、神聖な領域。
たどり着くことも適わず、夢見ることすら許されない、聖域。
そこには何もなく、全てがあり、全ての概念は曖昧模糊として存在しており、思考は霞がかる。
沈んでいる。というより、浮かんでいる。
今から自分はどうなるのだろうか、そういった不安すら抱かない。
全にして一、一にして全。
全てを内包していて、そこには何も無い。
そもそも、空間なのかどうかすら、危うい。
概念の間。思念の間。
全ての―――――――――”根源”。
浮かんでいる。いや、漂っている。
「――っ」
唐突に、理解した。
誰に教えられるわけでもなく、それは理解というより受態に近い感覚だった。
受け取った。そういった感覚が一番近い。
始まりの場所。
真の永遠。
そして、絶対なる存在。
「お―――れ……は」
言葉が生まれた。
いや、ここでは言葉など存在しない。
思考と思念が入り混じった空間に、言葉などは無意味であり、それは存在すら出来ない。
再び、沈む。
運命の螺旋。
終着点。
漂う。ただ、流される。
人類の目的………―――――――創られた目的。
到達するため……どこへ?決まっている、終着点に。
そのための、意思。道しるべ。
間違いなどは存在しない。完全なる者には、そうである必要が無い。
螺旋に組み込まれた、永遠のプログラム。
意思はない。ただ、任務を遂行するだけ。それは、意思ではなく最早、機械なのかもしれないが。
それでも、意思。絶対なる意思。
変わることは無い。完全足りうることが、存在意義。
流される。いや、沈んでいる。
全ては繋がっている。
すべてはここから生まれ、そして没す。
繰り替えすこのが、永遠。終わることは無い。
螺旋は、途切れることなく、続く。
運命という必然の堆積によるプログラムは、今も機能しているはずだ。
唐突に理解した。
そして―
光が、溢れた―――――――――
<異端邪説>
「…ここ、かな」
少年は町を見下ろしていた。
自分が何故、ここに居るのかは知らない。
たまたま乗っていた飛行機が爆破のために無くなり、仕方なくバスで目的地へと行こうとしていたら、その途中自分の財布が無いことに気づき、放り出されたからである。
しかし、それ自体はささやかなことである。
単なる”必然”の積み重ね。
少年が必要であるがゆえに、そこにいるのだ。
「ったく……今度はどんな災難が待ってやがるんだ?」
”導かれた”少年は、明らかにまだ子どもだった。
見た感じ、まだ高校生といった風貌。
美形と言えば美形だが、少年自体が格好を気にしている風は無いのでそこまで目立つものではない。
まるで、汚い町に埋没している一輪の花。
決して見つけることは出来ないが、存在している華のようだった。
その花は、おそらく自分のことに気づく前に、そして誰にも気づかれる前に、消えてしまうだろう。
と言うか簡単な話、彼は空前絶後の美少年だった。
「……ん?」
と、少年はこちらを見る一つの視線に気づく。
それは男だった。
金色の髪の毛。これは染めていないらしい。地毛なのだろうが、長い髪が暗闇によく映える。
そして、少年は彼に見覚えがあった。
いや、見覚えがあるはずは無い。だが、知っている。
「あーーーーー新羅 矜持……だっけか? ココでの名前は」
少年は語りかける。
と、男はふっと鼻で笑うと、小さく「ああ」と言った。
「ま、尤も、お前に名前なんて無いんだがな」
少年もふっと、嘆息する。
神羅矜持は、その言葉に振り向きながら、答える。
「聖都の使徒か? 聖都も、私の実験が余程気に入らないと見える」
新羅矜持、いや―――
「実験ねぇ、まあ、そんなところじゃないのか、ブランク」
ブランクは、いつの間にか、白い法衣に着替えていた。
その姿を見れば、誰でも聖職者だと思うほど、整然として、凛々しい雰囲気。
「なら、我々は敵というわけだ」
少年はその言葉を聞いて一瞬たじろぐ。だが、すぐに持ち直すと、得意の余裕顔で
「いや、それはないな。そもそも、貴様がここにいることは知らなかったからな。正直、俺は別件らしい」
いまいち歯切れが悪い解答。
何かしらの目的があるのだが、それを知らないといった解答。
しかし、その少年の変答を不思議に感じた様子もなく、ブランクはただ黙っていた。
「まあ、”俺って言う媒体”を通して恐らくは、聖都も今気づいたってところだろ? 離反してる貴様を見つけるのも、一苦労だからなー」
新羅 矜持は、哂う。
「キミの名前は?」
「ん? なんで、そんなことを聞くんだ?」
少年はいきなり意味不明なことを言ってきた男を見返す。
矜持は笑って、
「君は、敵意ある使徒ではないようだからな。それだけだ。それなら、私だけが知られているのは不公平ではないかね?」
とくに他意はないようなので、少年は自分の名を口にする。
尤も、親が付けた菊池 亮介という名前ではなく、自分でつけた名前を、だが。
「俺は……ディマンダーさ」
彼は自嘲しながら、そう言う。
それが、彼――ディマンダー<命令するもの>と、ブランクとの、二度目の邂逅だった。
<多岐茫洋>
人並みの中を、一人の女が歩いている。
彼女は美しい黒髪を、無造作に束ねているだけの極めてラフな格好だった。
格好も格好で、上から下まで、黒一色である。
それはまさに、”喪”以外の何者でもない。
只、歩いている。
目的も無く。
いや、目的なら、ある。
自分の運命に、決着を付けるために。
いや、言い方は適切ではない。
”自らの運命”と、訣別する為に。