■ 玖 / 『諮問封殺』 ■
「……遅かったわね」
と、私は声を掛けた。
辺りは既に薄暗くなっている時間帯である。
そこで私―曽我 琴葉<ソガ コトハ>は、ずっと待っていたのだから。
季節も微妙に変わり行く時期なので、ちょっと夜は気温が不安定なる。
今日は、格別寒い。というか、最近は特に。
「ああ……あんたが、俺の相手か?」
と、対峙した少年が聞いてくる。
それは正に初対面の会話だ。いや、実際初対面なのだが。
私は、相手を鋭く観察する。
――おそらく、能力としてはかなり強い。それも、桁違いに
私は一瞬で悟る。
自分は、最早生かしておくことは出来ない存在になったのだということを。
”聖域”は、すぐにでも私を消しに来る事は、予想がついていた。
「………成る程。確かに……あんたは”危険”だな」
と、唐突に少年がそう、ボヤく。
あの夢を見てからだろう。
いや、あれは夢だったのかどうかすら、分からない。
樹が死んだ時、何かが開放された感じがした。そして、その夜、私は只、浮いているという妙な夢を見た。
いや、もうその理由は分かっている。
私は、到達してしまったのだ。運命という、螺旋呪縛から開放されて、聖域へと行ってしまったのだ。
後戻りも、取り消しも聞かない。
悪なのか正義なのかも分からない、ただ、知ってしまっただけ。
目の前に居る男は、おそらく私を確実に消すだろう。
それも、完全に。
それも、理解できた。それで直、私は受け入れる。
「―――樹も、こんな感じだったのかしらね」
ふっと、ほんの数日前なのに、ひどく懐かしいときのことが思い浮かぶ。
そして自分の気持ちに覚悟を決め、最後の戦いに挑む。
――樹。貴方は間違ってなかった。でも、運命なんてものに、最後まで振り回されてしまった。
すうっと、息を吸う。肺に、空気が満たされていく感覚。
――運命っていうのは、確かに必然の積み重ねかもしれない。でも、それでも、私は、自分の意思で行きたいと思う。
「自己紹介はいらねーな? 俺は”使徒”だ。残念だが、封殺させてもらうぜ、お姉ちゃん」
目の前の少年も構える。
一瞬の、視線の交錯。
相手の確認。
それ以上の意味は無い。
勝負は一瞬。
辺りに、沈黙が走る。
静寂に……微かに混じる、音。
緊張感が辺りを支配している。
「……運命ってのは、自分で作るしかないのよ」
ぐっと、相手に力が篭るのがわかる。
「それが例え、操られていようと、ね」
両者が、お互い示し合わせたかのように飛ぶ。
《改律、開始》《反作用力 零へ》
一撃目は、私が勝利した。
予め、相手の行動を予測し、対応した。
結果。
私の倍加した衝撃で少年は一瞬怯む。
そこに、更にイメージを叩き込む。
内部からの……爆発。
《改律、圧力減少》
少年が居る空間の圧力を極端に下げる。つまり、真空状態を作り出す。
どうやら、私の能力はあの”夢”を見て以来、自由度が増したらしい。
まあ、だからこそ”危険”と判断されたのだろうけど。
途端、少年が居た場所を、確実に爆発が襲う。
凄まじい熱量が荒れ狂う。
燃えたのは何なのか分からない。発火装置も無ければ、爆発する要素がない空間が、である。
しかし。
「…甘いね、お姉ちゃん」
その爆発を掻い潜り、少年が走ってくる。
手には……短剣。
それも、ダガーのような小ぶりの剣。正解だ。重い剣は子どもには使えない。
それより、自慢の速度を生かして短剣で攻撃したほうがいい。
致命傷ではないキズを、無数に与えるだけでいいのだ。
「はぁっ」
気合と共に振り下ろされる剣戟。
《改律、反発係数1へ》《作用力 零へ》
しかし、私は瞬時に剣をイメージでなぎ払う。
私の身体に当った途端、何かに弾かれるように飛ばされる剣。
少年は一瞬怯むものの、今度はその剣を一瞬で小刀に変え、投げつけてくる。
それを手で弾き、今度はこちらから攻める。
「伏せろ」
まずは…巨大な物体による圧殺。
がくんっっと、少年の膝が沈む。
「っ」
少年が息を呑むのが分かった。
そして―――
次の瞬間、水蒸気で、辺りが一瞬見えなくなる。
――逃れたか?
しかし、私には少年が何処に居るのか、手に取るように分かる。
――後ろ
私はそのまま目を瞑ると、
《反発係数維持》
私に物理攻撃は一切効かない。
自らの衝撃を、自らで100%復されるのだから、どんな攻撃も通用しない。
「ちっ」
少年は舌打ちし、少し間を取った位置で、一旦止まる。
その間に、私は今まで少年がしていたことを回想する。
――圧殺から逃れて、さらには金属の形状を一瞬で変えることが出来る能力…
ふと重圧の辺りを見ると、うっすらとぬれているのが分かる。
「……固有結界、ねぇ」
すっと、少年の目が細まる。口元には微笑。
「でも、自らが限定した範囲、視界かな? とにかく限定範囲の侵食とは珍しい」
それを聞いて、今度は淡々と語る私。
「さっきの重圧を回避したのも、周辺に拡散している重力子を一時的に開放しただけかしら」
少年は黙っている。しかし、じりっと私に近づくように少しだけ、動く。
「金属は元々単位元素の集合体だから、形状変化は物理法則をいじくればいいしね」
くるっと、私はそこで始めて少年と対峙する。
「あなたこそ、固有結界ではなくて?」
少年は先ほどから何も言わず、私を見つめている。
「私の衝撃に堪えたのも、恐らくは身体の鉄分でも集めたのかしら? 何も不思議なところは無い」
そこまで言って、少年は破顔した。
楽しくてしょうがないといった感じだ。
「流石は……ランクがある魔道師さんって呼ばれてるだけあるな。洞察眼も大したもんだな」
クククッっと、笑ってみせる少年。
私は何も答えない。
ただ、一つ。先ほどから見つめていたものに対して、イメージを注ぎ込む。
《改律、再始動》《圧力 減少》《空気を開放》
その次の瞬間、少年の持っていた剣が急激に錆びる。
それは炉と同じ原理。圧力を下げ高温の状態にした鉄に、酸素を吹きかける。
そうすると、鉄で出来た物体は一瞬で錆びるのだ。
これは、私からの宣戦布告と、警告。
しかし、少年は相変わらずの態度で、私を見ていた。
「……貴方、死にたいの?」
成るべく感情を表に出さないように聞く。内心、不思議で仕方が無いのだが、あくまでも内心だ。
「いや、ボクも死にたくは無い……だけど、な」
少年は一息置いて、
「偽者の魔術師に負けるわけにはいかない」
「?」
一瞬、少年が言っていることが理解できない。
――偽者? 私が?
――ブランクによって、チカラを持った私が偽者?
「それどういう……」
次の瞬間、気づいた。自分の身体の、異変に。
「やっと、気づいたかい?」
少年はニヤリと笑う。
そこには。私の手には。
私の手には、深々と短剣が刺さっていた。
しかし、感覚は無い。
「それが、お姉ちゃんがが偽者って証拠だ」
私は目の前の少年が何を言っているのか、理解できなかった。
いや、理解しようとしても、それを拒んでいた。
「感覚は、ないだろ? そりゃそうだよね、そろそろ限界なんだよ、お姉ちゃんは」
私は、その瞬間気づいた。
私は―――
「残念だけど、そろそろガタがきてる…さっきも、俺の懺撃を数回躱せなかった。アイツの模造品じゃあ、そうもなる」
ということは、無痛症はおそらく――――――
「ま、そういうことだな。だから、本当の魔術師なら俺はあんたに危険を感じる。ブランクの種も同様にね」
そこで、一言、沈黙を置いて、
「でもさ、只”引きずられた”だけの、お姉ちゃんは魔術師なんかじゃない。単なる、”借り物のチカラ”に過ぎないんだ」
少年が走ってくる。
イメージする…エネルギーの一点収束。それによって起こる、爆発を。
しかし、それを物ともせず、少年は走ってくる。
「…覚えておいてね、お姉ちゃん。借り物のチカラってのはさ、いくら自由に使えたとしても本物には適わないんだってことを」
ぐさっと、剣が私に刺さる。
痛みは……ない。
能力は、既に消えていた。
「…あ、そうか。無痛症だったね」
ごはっっと、血が口から噴出す。どこか、内臓器官に異変が生じたらしい。
その痛みは確認できないが。
「まあ、弟さんは種なんかじゃなかったんだけどさ……あんたは、弟さんによって”引きずられた”にすぎない。仮初のチカラと、感覚もね」
少年がすっと、剣を抜く。
感覚は無いが、剣に付いている血は自分のものだということがわかった。
「なんで聖都に到達した弟さんが、お姉ちゃんにみすみす殺されたのかは、わかんねーけどさ…」
眼が霞んでくる。そろそろ、限界のようだ。
「多分、罪滅ぼしだったんじゃね〜のかな? ほら、巻き込んじまったっていうか、さ」
――そうだったのか…。巻き込まれたのは、樹ではなく私。
――そして、私の能力は”種”で開花したのではなく、ただ単純に引きずられただけ。
”魔法使い”曽我 樹によって。
少年はぼりぼりと頭をかく。
その動作が、何処と失く樹ににていて、酷く懐かしく思える。
なんだか、かなり昔の光景を見ているような感覚。
「いつ……きは……何も、悪くない…わ」
最早言葉も喋ることは出来ない。
そう。
――私は、聖域とやらに”到達できなかった”。
浮かんでいただけで、何も見ることは出来なかった。
弟が残してくれたものを、継ぐことが出来なかった。
『姉貴は、何も悪くねーよ』
樹は、そう言ってくれた。
殺そうとしている、運命に操られていた私に。
眼の前の少年と同じく、”使徒”と成り果てた私に。
そして、私は一言もありがとうも、ごめんねも、言えなかった。
「ああ、誰が悪いとか、ねーのさ。強いて言えば、世界が狂ってるんだよ………」
それから先は何も聞こえなかった。ただ、前の夢のことを思い出していた。
あの時、夢の中で霧散した言葉。
それが、今ははっきりと聞こえる。
『私は、傍観者だ。だから、キミらに託す』
そこには悲しみしか、なかったのだから――――――