長靴を履いた猫

- a psychological battle -

 

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そんなに嘆きなさんな。あんたが持っているものは、そんなに嘆くようなものでもない。

 

 

 

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「……」

まだ世界には鬼や悪魔がおり、人々はその影におびえながらくらしていたような、そんな時代のとある村でのはなしである。

一人の青年は何をするわけでもなく、ただそらをボウっとしながら見上げ、ただ嘆いていた。

快晴とまではいかないまでも、そこそこに太陽の光が気持ちよく、寝転んでいる草むらには適度に心地良い風が駆け抜ける。

あたりは見渡す限りの農場。草の上を這う虫の感触を背中に感じながら、青年はただ嘆いていた。

快晴の満天の太陽の下、青年は何もすることもなく寝転んでいた。ただ、それだけ。

「……そこの少年、少しモノを尋ねていいか?」

風が、ふとやんだ。

少年と呼ぶにはあまりにも年齢が上のような気もしたが、呼んだ主はそんなこと一向に気にした樣子も無い。

青年は、そちらの方に気だるそうに顔を向けた。

そこにいたのは、一匹の猫、だった。

全身真っ黒で、そのくせ格好だけは一人前のナイト気取り。

ちょこんと乗せたようなハットに付いている鷹の羽がなんとも面白いように搖れている。

にやりと、ふてぶてしく哂いながら、ピエールを眺めていた。

「……猫って喋れるのか、初めて見た」

「こら。世界には悪魔といった類の存在が魍魎としている時代に、何を言うか」

「なら、お前は悪魔か?」

「いや、見ての通りの猫だ」

……見ての通りのままだと、確かに猫だ。格好は騎士で、ちゃんと剣のようなものを携えており、そのうえ二本足で立っていることを除けば、だが。

「……で、その猫が何か用か? オレは今忙しいのだ」

「忙しい? 先ほどから草むらで、ただ転げまわっているだけなのに……か?」

「冥想してたんだ」

「哲学出来るほど学があるようにも、見えんがね?」

「……てめ……」

「ふふ、少年。名を何と言う?」

猫はすこし殺気だった少年をまったく気にする樣子もなく、坦々と語る。

「……猫に名乗る名など、無い」

「では、奴隷階級の人間か」

「……ピエールだよ……」

「ふふ、大層な名前を持っているじゃないか」

猫はその返答に満足したのか、先ほどから立っていた移置から少しだけ前に出て、草むらに同じように腰をかけた。

猫は何が嬉しいのか、ごろごろと気持ち良さそうに喉を鳴らしながら、草むらから眺めることが出来る光景を、ただ見ていた。

時たま、微風が草むらを駆け抜け、猫のひげを搖らす。それすら、猫は気持ち良さそうに、目を細めるのだった。

まったく、変な猫だと、ピエールは思った。

「……こら猫。オレが名を名乗ったらお前も名乗れ。その調子だと、あるんだろう、名前が」

「ミケだ」

「……マジか」

「嘘だ。ペロと言う。最も、コレは自らで名づけた名だがな」

「……そうか、人語を喋れる猫は、やっぱり名前もあるんだな……」

その言葉にペロは少しだけ眉を(といっても、本当に微妙だが)しかめて、ピエールを見た。

「まったく見識が狭い人間だな。この世界には、まだまだ多くの動物の国があるぞ? 人間だけが特別だと思ったら、大きな間違いだ」

「ああ、今それを実感してたところだ」

「まったく、これだから人間は好かぬ。最も、私の国の裁判官どもに比べたら、知識も見識も、立派なものだが」

「……お前、国があるのか……」

「先ほどもいったが、ピエール、君の見識だけで世界を計らない方が良い」

「ああ、今それを改めて実感してたところだ。んで、ミケ」

「ペロだ」

「……ペロ、俺に何の用だ?」

「理由が必要か?」

「さっき尋ねたいって言っただろ、お前?」

「ああ、そうだったな、すまない。して、ピエールよ、尋ねたいのだが……」

 

「この国の王には、なりたくはないかね?」

 

風が、再びやんだ。

少年は今度は上半身を起こし、先ほどから坦々と語るだけの猫をまじまじと見た。

国? 王?

どの単語も、少年には聞こえたものの、何の意味もなさない。

しかし猫は冗談を行っている風でもなく、ただ草原の向こうを見ていた。

「……意味が、わからないんだが?」

「ふむ、だから、この国の王だ。この国は今、鬼が治めているらしいな?」

「あ……ああ、鬼族であることは間違いないが……一体、お前は何が言いたいんだ?」

「だから、先ほど言ったぞ。この国の王に、なりたくはないのか、と」

「……それが、意味が分らないと言っているんだ……」

猫は草原の向こうから視線をはずし、今度は嘲るような目で、青年を見上げる。

そのさい、ピエールとペロの視線が交錯し、何故かピエールの方が目を外らしてしまった。

ペロはその樣子にニヤリとご滿悦の樣子で、さらに続ける。

「私は、自らの国を追われている身でね。まぁ、あまりゆっくりとしていると、強制送還の上に、見せしめで処刑されるのだ」

「……一体、何したんだよ……」

「なに、奴隷として働かされていたネズミを、千匹ほど助けたのだ。それが、どうも国王やら頭の固い裁判官らにはお気に召さなかったらしくてな」

「……け、犯罪者じゃねーかよ」

「まぁ聞け。そして私はこの国でもお尋ね者になるのは間違いない。だから、私は先手を打つことにしたのだ」

「……つまり?」

その質問に、またまた満足そうに笑うと、手を前に差し出し(本人は指を立てているつもりらしい)、不敵に笑った。

「この国を、支配する。そうすれば、流石に向こうの奴等も私を諦めざるをえなくなるだろう?」

「……またまた大きく出たな……、んで、ペロ、何で俺なんだ?」

「正直に言うと、だ。私としてはダレでもいいのだよ、ピエール。分かるかい? 先ほど、君は私を見て、怪訝そうに思っただろう?」

「あたりまえだ」

「つまり、そういうことだ。この国も、まさか猫に支配されるとは思っていないし、猫に支配されたいとも思わないだろう?」

「……変なところで身分を弁えてんだな……」

「ま、見識の違いも、多勢の人間になれば、強大な力となりうる、そこで、私の身代わりが必要なのだ」

「人間である俺の、か?」

「そういうことだな。あくまで支配しているのは君。私はその裏で、実権を握る。どうだ、悪い話ではないだろう?」

「……そこまでなら、な。だけどな、それは無理だ。お前には何の力もない、尋ね者。何が出来るっていうんだよ?」

「そこは私に任せておけば良い。それに、万が一の時は『この猫めに踊らされていただけ』だと鬼に懇願するがいいさ。そうすれば、あの頭の悪い鬼族だ、命を取ろうとは思わないだろう」

「……はは、それはいーや」

ピエールは再び草むらに寝転ぶ。その樣子に初めて猫に、訝しむような表情が浮かんだ。

「……信用してもらっては、いないようだな?」

「あたりまえだ。俺は、まぁ、大きくは無いけどそこそこの暮らしはしてるし、兄貴と姉貴もいる。ま、滿足はしてないけど、大きな不満があるわけでもないんだ」

「ふん、まったく出世欲がない人間だな。仕方無い、か……」

「ああ、お前、面白かったぞ、なかなか。これが例え夢だとしても、なかなかいい」

「これだけはしたくなかったのだが……」

「……?」

次の瞬間、ピエールは微動だに出来なかった。

一瞬のうちにペロは剣を抜き、その剣を起用にピエールの頭のすぐ横に突き立てる。そのままピエールの手を十字に組ませて拘束すると、仰向けにして転ばせてしまった。

一瞬のうちに動きを封じられてしまい、そのまま何も出来ずに倒れこむ。

「……な、なにすんだよ……っ!」

「コレが夢かどうか、まずは確かめさせてやろうか?」

ペロは冷徹にそう述べると、固く腕を締め上げる。あまりの力にピエールの腕がぎしぎしと鳴った。

「痛っ……てめ、なんて力だよ……」

「私はそんなに力を入れていない。しかし、小さな力でも、使い方次第でこうなるのだよ、ピエール君?」

「ぐ……てぇな……離せ」

「ここで転んでおいて貰う。その大事な”両親”やら”姉妹”が死ねば、君も私に従わざるを得なくなるだろう?」

「……な……」

「ついでに言うなら、貴樣の父上は昨日病死したそうじゃないか。だから、君も途方に暮れていた。違うか?」

「……ペロ、てめ……」

「君は、君が言うところの兄貴と姉貴に、家とほとんどの財産を取られたそうだな? 為返ししたいとは、思わないのか?」

「……知ってたのか……お前」

「ああ、勿論だとも。最初、私はきみの姉上に近づいた。しかし、君の姉上は、話を聞こうともしなかった」

「はは、強情の姉貴らしいや」

「次に君の兄上に近づいた。しかし、君の兄上は、私を今度は売り飛ばそうとした」

「はは、強欲の兄貴らしいや」

「だからこそ、貴樣なのだよ、ピエール。いや、タラバ三世の息子、とでも言えば言いか?」

その言葉に、ピエールは流石に驚愕の表情を浮かべざるを得なかった。

しかし、その言葉を吐いてもなお、ペロは顔色ひとつ変えないままだった。

「……お前、そこまで……」

そこまで話、ペロは極めていた腕を釈いた。力が弱まり、ペロは剣を鞘におさめる。

「……今の国王は、貴樣の曽祖父の時に表れ、そして付け入れられ、挙句の果てに失脚させられたそうじゃないか?」

「……は、何でもお見通しなんだな……」

「当たり前だ。幾ら私といえ、流石に農民の子どもを『国王』にするのは無理だ。生まれ付いての気質というものも、関係してくるからな」

「……今、納得がいったよ……ペロ……だから、お前は俺に話を持ちかけたのか……」

 

「納得がいったところで、再び問おう―――ピエール、この国の国王に、ならないか?」

空は、すでに曇り気味で、二人の頬を、生緩い風が撫でて行った。

 

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